2009年9月21日月曜日

かえってきたムーンライダーズ『Tokyo7』

ムーンライダーズの新譜『Tokyo7』を購入。
昨年暮れから今年の六月にかけて、ネットでの配信オンリーでほぼ月イチペースで新作六曲を発表。これらは、今回の新譜に入ると思いきや、生産限定ミニアルバム『Here We go'round the disc』としてまとめられた(もう売り切れ)。そして今作である。

ネットでの新曲は、ある意味ひじょうにライダーズらしい楽曲だった。今作もその延長線上にあるのかと思ったら、みごとに期待を裏切ってくれた。

ロックである。ロックバンドである。音色が明るい。ムーンライダーズにしてはすっきりしている。ここまでドライブ感のあるロックは、はじめてではないか。ライダーズのキャリアを振り返ると、『青空百景』『アマチュア・アカデミー』『A.O.R』『月面讃歌』を彷彿とさせるが、しかし、それらもポップではあったがここまで軽やかではなかった。なかでも「夕暮れのUFO、明け方のJET、真昼のバタフライ」は驚いた。FMでパワープレイされてもおかしくないぞ。すばらしい。

この変化は、裏ジャケや中ジャケにも写真がばっちり載っているサポートメンバーのドラマー夏秋文尚の存在が大きいのではないかと思う。白井良明(そういえば今日、彼が音楽監督を務めた『二十世紀少年』を観てきたのだった)のギターが前面に出ているあたりもふくめ、昨年暮れからコンスタントに行ってきたライブ活動の勢いがそのままダイレクトに反映された結果が、このドライブ感につながっているのだろう。

そうは言いつつも、最後の三曲、「パラダイスあたりの信号で」「旅のYokan」「6つの来し方行く末」は、近年のライダーズらしい内省的で重厚な作品になっている。しかし、音はやっぱり明るく軽い。従来なら音も歌詞ももっとヘヴィーに展開するはずなのに、あっさり終わる。それが物足りないというわけではない。むしろ、より高いレベルでポップミュージックとして昇華されていると言ったほうがいいだろう。

メンバーがホテルで記者会見している風のジャケットの写真。キャピトル東京でのビートルズの来日会見を彷彿とさせる。それもあってか、最初に聴いたときは、ビートルズの「ホワイト・アルバム」を思った。楽曲的にバラエティに富んでいて、まとまりに欠けているように思ったのだ(というか、「本当におしまいの話」は、ホワイト・アルバムの「ピッギーズ」へのオマージュだし)。ならば、ミニアルバムで出したネット配信曲も入れて、2枚組で出せばよかったのに、とも思ったが、いま、2回目をヘッドフォンで聴いて、サウンド的にはひじょうに統一感があるのがわかった。

ムーンライダーズというバンドは、アルバムを出すごとに、ファンの思惑を裏切ってきた。驚かせてきた。従来のファンが離れようとも変貌しつづけてきた。しかし近年は、「ライダーズらしいな」とは思っても、驚きはしなかった。だって三十三年やっているんだもの。そうなるでしょ。ファンもそれを自然と受け入れていた。ところがである。ひさしぶりに驚かせてくれた。大御所感ゼロの腰の軽さを見習いたい。『火の玉ボーイ』から三十三年間走り続けて来た現在進行形のロックの傑作である。

  蜜厚く大学芋や胡麻うごく   榮 猿丸

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