2010年10月27日水曜日

小学生の錬金術

小学生になったばかりの頃、まだ決まった額のお小遣いを貰ってはいなかった。

それがどういうものだったか、確か黄色っぽい色のちいさな、プラスチック製のものだったと思う。駄菓子屋にあった一個50円のおもちゃだが、私と弟はそれが欲しくてしかたなかった。

値段だけはっきり記憶しているのには理由がある。あちこちで拾ったりもらったりした一円玉や五円玉を壜に貯め、それがちょうど100円になったので、弟と一緒にそれを持って買いにいったのだった。しかし、家で数えたときたしかに100円あると思っていた小銭が、お店で確認すると5円足りなかった。どうしても二つ欲しかったので頼み込んで売ってもらったが、のちほど駄菓子屋から家に連絡があった。

品物を返したのか、親が残りの5円を払ったのか、その顛末は記憶していない。おそらく、手に入れてしまったおもちゃに対しての興味は、すぐに消えてしまったのだろう。

その事件のあとか先か、記憶がはっきりしないが、通学路と県道(現在は国道)の交差点に派出所ができた。警察官という存在は当時の我々にとっては非常に新鮮で、大いに好奇心をそそられたのだった。

その頃いつも、弟と、隣に住む弟の同級生のSちゃんの三人で遊んでいたのだが、あるとき三人のうちひとりが路傍で10円を拾った。もちろん、拾ったお金は警察に届けなければならないと教わっていたので、さっそく三人でそれを派出所へ届けることにした。

落とし主があらわれた場合、1割をお礼として貰えると聞いており(実際には5~20%を請求できるらしい)そうなると10円が1円になってしまうが、仕方がない。なにより、警察官と会話してみたいし、もしかしたら拳銃を見せて貰えるかもしれないなどと思っていた。

派出所の警察官は親切に応対してくれた。そればかりか、なんと、正直にお金を届けた褒美として我々三人に10円ずつくれたのである。その30円は警察官が自らのポケットマネーから出したものだったはずだ。

派出所に10円を持ってゆけば30円になる。これはお金を三倍にする錬金術(という言葉は知らなかったが)だ、という妄想が我々の頭を支配した。ならば手持ちのお小遣いを道で拾ったことにして持ってゆけば……とまではさすがに考えなかったが。

数日後だったか数週間後だったか、今度は別の一人が100円を拾った。我々は100円が300円になったら何を買おうかなどと期待しつつ、再び件の派出所へその100円を届けに行った。警察官はにこやかな表情で我々三人に、20円ずつくれたのである。

いつのまにかその派出所はなくなり、今は更地になっている。

鳥渡る空に罅なき日を選び   中村安伸

2010年10月26日火曜日

暮の秋   上野葉月

アッラーの造り賜いし世界は数多くの神秘に彩られているので、三十一歳年下の幼馴染みに「勘違いしないでよ!」と言われてしまう危険性がまったくないとは断言できない(実際その場合ほぼ確実に勘違いである可能性も高い)けど、1US$が100円以上に戻ることなんて、食パントーストを咥えた高校生と街角で鉢合わせくらいありえない出来事のような気がしてきた葉月です。お久しぶりです。そういえば最近久しぶりにウラハイに『恋のハンムラブ法典』という記事も書きました。

私が若い頃は1US$が100円になったら日本沈没なんてことがしきりに言われていたが、今じゃ1US$が80円。本当に安くなったものだ。どういう縁なのか米系企業で働くようになって八年にもなるけど、USって日夜順調に衰弱している印象は拭えない。ドルが紙屑になってしまうのはそんなに遠い将来ではなさそうだ(ま。もともと単なる紙屑なんだけど)。

それにしても世界の主な宗教のほとんどは金銭の貸し借りで利子を得ることを禁止しているのに、今や地球上の主な場所で拝金主義とでも呼べるようなものが蔓延ってしまっているのはどうしたことだろう。資本主義と言えば資本主義なのだけど、だいたい経済成長が永遠に続かない限り存続不可能なシステムなんて早晩機能不全に陥る事なんて誰の目にも明らかだろうに。長期的にはほとんどの人が第一次産業に従事する自給自足的なつつましい社会に戻っていくことは避けようもない。

それにしても最近の円高。もともとが日本の世帯あたりの貯蓄残高は平均でも(平均でも?!)一千万円超だし、そんな預金ばかりでなくそのほかに資産もあるだろうから国民全体としては紛れもなく世界有数の金持ちな訳だけど、この調子じゃ、日本人全員が働かず海外から安いものばかり輸入して貯金取り崩してごろごろ食っちゃ寝していても十年以上はどうにかなりそうだ。さらに円高が続けば、何十年もごろごろできそう。そんなに長い間円高が継続する理由もないけど。

ここのところ、一部若手俳人の間で働かないライフスタイルが定着してきていると言う人が跡をたたないのはそれなりの根拠が確かであるようにも見えるけど、上記のような事情も多少は後押ししているのかもしれない。

我が身を振り返って思うのは、働いたら負けというのは自明なのだが、働かないでいたらもっと負けているような気がするのは何故なんだろうという疑問だ。食うために働いているという錯覚に人間は陥りやすいけど、実際には人から役に立っているように見られたい(誰かに頼られたい)という要求の方が勝っているような気もする。
私も数年後には引退して、どこか暖かくて食料の豊かな物価の安い国に移住する可能性は高い。働いたら負けというより、もう何十年も世界平和のために戦い続けたのでさすがにもう疲れましたという感じではあるわけだが。
私ってけっこう真剣に日本は鎖国すべきだと主張しているのだけど、本人はどこか別の国に移住するつもりであるあたり愛嬌である。この辺の現行不一致が愛されてやまない理由のひとつなのかもしれない。

ひと月ほど前に長年借りていたロードバイクを友人に返して現在MTBで通勤している。あまり予想できていなかったのだけどMTBだと走っていてもあんまり楽しくない。私はそんなに速度を出すタイプではないのだがそれでもMTBだと何かしら緊張感が足りなく感じる。ロードバイクだとタイヤやホイールを痛めるので余程追い詰められないと歩道に乗り上げたりしまいものだが、MTBはタイヤが頑丈なのでちょっと車道が危険だと歩道に移ってしまうせいもあるかも。

どうしたって引越しなければいけない現状なので、住むところを見つけてからロードバイクを買うつもりだった。でも最近ロードバイク禁断症状が出てきていて、いつまで我慢できるか心配だ。考えてみると中学生の頃から自転車でよく高尾山へ行っていたりしたので趣味(スポーツ?)として自転車とかかわるようになってから随分長い年月が流れている。いつのまにかのスポーツ車中毒?

TVドラマ『ゲゲゲの女房』で長女の藍子ちゃんが小学四年生時に行ってもいない高尾山に家族で登った作文を書いたせいでミシュランガイドで高尾山に星がついてしまったりしてけど、ミシュランの日本版はやればやるほど墓穴を掘っている印象があるのは私だけだろうか。オリジナルの赤ミシュランガイドのフランス版イタリア版など住所と電話番号ぐらいしか情報のない質実剛健なうれしいガイドなのに、日本版のふにゃふにゃ感はどうしたことだろう。最近関西版も出たけど、京都ではミシュランに載っている店よりミシュラン調査員なんて入れない一見さんお断りの店の方がずっと格が高く評価されるのは火をみるより明らかではないのか。近いうちに「いきなりぶぶ漬けガイド」と呼ばれないことを祈るばかりだ。

さて東京の一部地域には全ての道は高尾に続くという諺がある。終電でうまいことシートに座れたと思ったら気がついたときには高尾で大量のタクシー代金が消費してしまうなんてことが中央線でも京王線でも頻発するので、まあ諺にもなるだろう。高尾山には天狗も住んでいるし。
調布市民としては天狗と言えばやはり仙川の天狗。江戸時代から昭和初期まで活躍した天狗様で数多くのエピソードを地元に残している。でも昭和48年小学校四年生だったTVドラマ『ゲゲゲの女房』長女の藍子ちゃんは仙川の天狗を知らなかっただろう。それにしてもなにしろ全国津々浦々の善男善女が見るNHKの TVドラマは常に子役選定に命をかけていると言っても過言ではない状態なのだが、今回村井家の長女次女の演じた子役達は本当にもう確実に不退転の決意と言って良いほど力がはいっていた。特に長女四年生次女幼稚園時の配役は神がかりとすら感じました。

結局私が何を書きたいかというと天狗で有名な仙川で10/30(土)に行われる吉祥寺句会番外編のことです。いつも前振りの長い葉月のこととは言え、今回の前振りは本当に長かった。
http://93825277.at.webry.info/201010/article_1.html
サイゼリア仙川店での出句時間は16:15ですが、欠席投句(メール出句)の場合15:15締切です。
出句時間は16:15ですが、欠席投句(メール出句)の場合15:15締切です。
(大事なことなので二回言いました)
ではよろしくお願いいたします。

呼び鈴の乾いた音や父の秋  葉月


2010年10月25日月曜日

デンデロレン

ソニーのウォークマン、カセットテープ式のものが国内出荷終了となったというニュースを観た。語学の練習用とか会議録音用以外の、つまり音楽用のカセット式ポータブルプレーヤーがまだあったのかということにちょっとおどろいた。

なんて言いつつ、私の世代はものすごくカセットテープにお世話になった。カセットテープ世代である。

大学生の頃、はじめてドライブデートをしたときのこと。彼女がドライブ用に編集したカセットを持ってきた。快晴だったその日にふさわしく、キラキラした、オシャレな選曲。ソフトロックや映画のサントラ、古いR&B、当時流行っていたエル・レーベルなどなど。曲順も考え抜かれている。オープニングが「わんぱくフリッパー」のテーマとかで、完璧な出来映えにぼくは感動した。

ところが、B面の最後、曲が終わったあとにちょっと間があいて、いきなり「デンデロデンデロデンデロレン…」とエレキギターの音が鳴った。「ん?」と思ったが、つまりこれは、「重ね録り」していて、前に録音した曲の最後が残っていたのである。この辺がじつにカセットテープらしい。CDやMDではありえない。

その、それまでのキラキラオシャレな楽曲とはあきらかに異質なエレキの音に、車内の空気が一瞬固まった。助手席からも(あっ…)という声にならない気配が感じられた。が、とくにそのことに触れることもなかった。たしかに違和感があったが、たんに重ね録りした、というだけのことだ。

デートから帰宅して、その日の夜。布団の中で「デンデロレン」がふとよみがえってきた。そういえば聴いたことあるな、この音。なんだっけな……と考えるとはなしに反芻していたら、はっと気づいた。まさか……いや、間違いない。

それは、「太陽にほえろ!」のオープニングテーマの、最後のギターの音だった。




土曜日に生放送で行われたNHKBS2「俳句日和」を観る。観ているだけではつまらないのでつい投句してしまった。というか、投句しないと観てられないというほうが正しいか。高柳克弘氏の選に入り、丁寧な評をいただき感謝。もちろん名前を変えて投句した。こういう場合、選ばれると申し訳ない気もする。お題は「曲」。

通勤に聴く曲激し秋の風   榮 猿丸

2010年10月21日木曜日

水晶の鹿

かつて銭湯だった建物を改装したという「SCAI THE BATHHOUSE」は、ちいさなギャラリーがたくさんあつまっている谷中一帯でも、現代美術に力を入れた展示内容で異彩を放つ存在である。
このスペースに、今は名和晃平の作品が展示されている。(10月30日まで)

建物に入ると銭湯の名残の下駄箱があるが、靴を脱ぐ必要はない。
引き扉を明けてなかに入ると、更衣室だったらしい展示室の壁は黒く塗られ、照明も暗めに落とされている。

ここに展示されているのは"Dot-Fragment_Q#2"というドローイング作品である。
部屋を一周するように飾られた白いキャンバス。その全面に、インクをこぼした痕のような点が無数に散りばめられている。
規則的であるようにみえて、その密度や濃淡はさまざまに変化し、全体を見ると波のようなリズムがあるとも感じられる。

黒い壁が長方形に切られたところから隣室の光が押し寄せてくる。その穴を抜けると、浴槽であったと思われる広い展示室がある。壁も天井も白一色に塗られ、強力な照明が展示物を照らしている。

向かって右側の壁を見ると、そこに掛けられているものは、銀色にかがやく鹿の胸像に見えた。それは透明の、大小さまざまな球体をつなげあわせ、鹿の胸部から頭部、そして立派な角を模したものと思われた。かなりの大きさのオブジェである。

近寄って見ると、そのオブジェの内側に実物の鹿の剥製が入っていることがわかった。
ふたたび離れてみると反射光の輝きに鹿の鼻や目の黒色、毛や角の茶色が反映され、モザイク処理された映像を思わせる視覚的効果がある。

この作品のタイトルが“PixCell-Double Deer”であることを後で知った。PixCellとは、デジタルカメラなどのPixell(画素)とCell(細胞・小部屋)を組み合わせた造語ということである。

同様のオブジェが向かって左側の壁にも掛けられている。そして部屋の中央には鹿の全身を同様に加工したオブジェ……そこではたと気づいたのだが、中央に置かれているのは、同じくらいの大きさの鹿を二体重ねあわせたものなのである。そして、両側の壁のオブジェも同様に、二体の鹿を重ねたものであった。

タイトルのDouble Deerというのは、このことを示している。それももちろん後でわかったことだ。

六体の鹿はすべて立派な角を持つ雄鹿である。種類や、生息地などはわからない。
表面を覆っている透明の球体は、ほとんどがビー玉ほどの大きさのアクリルであり、そのなかに混在しているテニスボール程度の大きさのものは水晶であるということだ。


天高し水晶にさかしまの鹿   中村安伸

2010年10月19日火曜日

空気吸うだけ

以前ここでも書いた、鴇田智哉、関悦史、大谷弘至、榮猿丸による〈若手俳人〉座談会が特集だった「俳句」6月号。通常の連載のほかは初心者向け記事も実用的なハウツー記事もなく、そして鉄板ネタのご長寿健康記事もなく、予想通りの大赤字だった、と思いきや、なんと3ヶ月かけて通常号の売れ行きを上回ったらしい。出足勝負の雑誌では普通ありえない売れ方で、じわじわと売り上げを伸ばしたという事にちょっと感動した。そして〈若手〉特集だけで売れるはずがないという大方の予想を裏切る結果に当事者としてホッとする。

『超新撰21』が12月1日発売になるとのこと。関悦史さんのブログで知る。

私は体調さだまらず波あり。空気吸うだけ。というわけでリハビリブログ。




どんぐり十個それ以上には負けられぬ
   榮 猿丸

2010年10月7日木曜日

 ― 街をあるく ―



  陸続と墓標やうねりつつ萩は     青山茂根


 「ステディカム(Steadicam)」というカメラ機材、私が仕事をしていたころに米国から紹介されて、テレビコマーシャルの撮影などで時折使用されるようになってきていた。まだ使用料も高く、技術者も日本にはあまりいなかったために、費用が潤沢にある撮影でしか用いられていなかった。前後、高低差のある移動でもぶれにくい、独特な映像が撮れる。テレビをたまたまつけて、『世界ふれあい街歩き』という番組を初めて見たときに、あ、これだ、と気づいた。今やテレビ番組でも普通に使えるだけの機材になっていたのだ。この番組、世界各地の街、それも観光地の名所ではなく、普通に人々の暮らす路地などへカメラが入っていく。先日のノルウェーのベルゲンや、ヘルシンキ郊外の裏道など、かなりの登り坂でもそのまま撮影していくので、相当な重量を腰で支えるこの機材、現場の重労働がしのばれて、その街の景色を楽しみつつも、「あ、もうそこまででいいから、もうカメラ下ろして!」などとテレビのこちら側でつぶやいてしまう。

 毎回、その番組を楽しみに見ているうちに、この旅する感覚はどこかで見たような、という気がしてきた。もちろん、自分が旅するときもわりといきあたりばったりでいつもこんな感じなのだが(下調べをせずに訪れたりして、そこでぜひ見なくては、という建物や美術館が修復中なこともしばしば、何しに行ったのか、というときもよくある)、出会った街の人々に尋ねながら、次の目的地を決め移動していく、この感じは、そういえば、と『西アジア遊記』(宮崎市定著 中公文庫 1986)を思い出した。

 道に迷わぬように、電車線路に沿うて歩いていると、やがて細長い芝生のある広場に出た。エジプトから持って来た大きなオベリスクが立っていて、その側に旧ドイツ皇帝が寄贈したという泉水殿がある。前面に大きなモスクが立っているから、事によるとこれがかの有名なセント・ソフィア、キリスト教寺院を改造したアヤ・ソフィアかと思って中に入って見たら少し勝手が違う。これは通称「青モスク」で通っているアフメッド寺院であった。
                           (上記『西アジア遊記』より)

 と、万事このような具合の旅の記録で、読みながら自分もそこに立っているかの気分になってくる。日本への郵便を出そうとして、現地の若い窓口の女性にお釣りをごまかされたり(あとでその地の領事館の人々に話したら、「よっぽど別嬪さんだったと見えますね」とひやかされ)、ブローカーがしきりにふっかけてくるのでためしにものすごく安い値段を提示して遺跡への車をチャーターしたらそれが交渉成立してしまい、「群集の後ろから雲つくような大男のいかめしい顔したのが出てきて、(中略)自分はちょっとおじ気づき、さりとて大男だから嫌だとも言えずに躊躇していると、返事をする間もあらせず、大男は自分を小脇に抱えて自動車の中へ運び込んでしまった。」と言葉も通じないアラブ人運転手の車に乗る羽目になってしまうのがおかしい。「他の運転手はみんな洋服を着て、中には乗馬ズボンなどを穿いている中に、この男だけが純粋の遊牧(パダヴイ)アラブの服装のままで」、「こんな男に自動車の運転が一体出来るかしらと危ぶんだが、走り出したところを見るとなかなかどうして腕はたしかなものだ」、「よく見ているとこの男は恐ろしい顔をしているに似ず、なかなかの愛嬌者である。退屈だと見えてしきりに私に話しかけるのだが、もちろんさっぱり分らない。」と無事に長距離を移動し、死海見物を終えて帰ってくる。

 実はこれが、「昭和十二年八月、私は留学先のパリを立って、ドイツからバルカン半島に入り、ドナウ河を下ってルーマニアの首都ブカレストにおける学会に出席した後、黒海を渡ってトルコの旧都イスタンブルに着いた。」という旅の記録なのだ。今、実際に我々が旅するのと全く変わらないように感じさせる文体の先見の明も思うが、「大会社の社員は至る所に連絡あり、駅頭に迎えられて駅頭に送られ、孤独なるは単に車中にある時のみ、これを以て、吾人が自ら計画を立て、自ら行李を運び、蟻のごとく蝸牛のごとく地面をなめるように旅行するに比して苦楽また同日に語るべきでない。」という視点とポリシーでの行程をつくづく感じる。このとき著者は30代、経験と分別も20代初め頃の旅とはまた違うものがあるだろう(危険な地域を旅するときは、この経験からくる一瞬の判断と分別が非常に重要)。しかし、十分な若さと感受性で、「それから小アジアを横断して、シリア、イラク、再びシリア、さらにパレスチナからエジプトに入り、ここではカイロから南に下ってカルナクに達し、引き返してアレキサンドリアから地中海を横切ってギリシアに着き、アテネからコリント地峡を経て、コルフ島に上陸し、イタリアに渡ってタレンツムから西海岸を北上して、十一月にパリに帰着した。」という各地の遺跡を足で歩いて見た記録は、圧倒的な力で現代の我々をも魅了する。

 まだまだ誰かに話したくてたまらなくなるエピソードはたくさんあるのだが、以下の記述を見つけてニヤリ、としてしまったことだけお伝えしておきたい。俳句に手を染めた人間ならどこかでちらっとは見かけている話に、思いがけず繋がっていたので。今でも、所謂パリ・ダカ、ダカールラリーなどの映像で、よく見られる光景であることも。

 箱根丸の二等船客になって、ヨーロッパへ向う途中、スエズに着いた。同じ在外研究員の仲間、成瀬政雄博士、増本量博士、落合驥一郎学士、松本雅男学士等を誘って、カイロ見物に出かけた。同船の長谷部照伍中将や高浜虚子氏、横光利一氏などは一等の廻遊券だが、われわれは三等の廻遊券を買った。船のボーイが怪訝な顔をしたが、別に国辱でもあるまいと思っていた。われわれだけ特別に一台のボロ自動車に乗せられて一番あとからついて行くと、先頭の車が砂塵をあげて砂漠の中を走る壮観が見られて、結局この方がかえってよかったとも思った。

 

2010年10月1日金曜日

 ― 『57501』 ―

 細長い、白い表紙の中央いっぱいに、縦に記された「57501」の墨の文字。俳誌『575』の創刊号を頂いた(ありがとうございます)。表紙の「01」というのは、創刊号を指すらしい。シンプルながらインパクトある版型。高橋修宏氏の個人誌として発行されたもの、しかし、高橋氏の敬愛する作家たちの作品が載っていて、鮮烈な存在感をもって迫ってくる。

  ドアというどのドアあけてみても犀    宗田安正
 
  鳥曇やさしく立てるテロリスト

  地底にも雲雀の揚がりをるならん

  そこに着くまでに燃えなむ蝸牛

  雪明りめざめてのちも馬である

 宗田安正氏、「冥府」から。<蝸牛>の句からは、地底と地上とを繋ぐ神話のような壮大な物語を想像した。また、万葉集にある狭野弟上娘子の歌、「君がゆく道のながてを繰りたたね焼きほろぼさむ天の火もがも」をふと思い出す。蝸牛が愛を引き出すのか。単純に、背後に燃える火と、進む蝸牛の対比としても、滅亡する世界のような美しさだ。

  野遊びの毛のいろいろを吹き分けて   谷口慎也

  墓石を抜かれて弱る春の山

  麦笛や大和というは紐いろいろ

  花氷死して手脚の開き方

  サーカスの夢のほどけて烏瓜
 
 「流離譚」、谷口慎也氏。<野遊びの>の句、冷たさの残る春風の中で、草木に絡んだ様々な動物達の毛や羽、実景を置きつつも、人々の妖しい遊戯へと連想が働く。<毛のいろいろ>とはユーモラスな表現ながら、刹那的な響きに聞こえるのはなぜだろう。

  膝曲げて脱ぐわかものに百合の意思  江里昭彦

  検温のための整列ひつじらは

  産卵のはじまる海に靴を投げ

  グァテマラに蘂湧きあがる花を見き
        
  望の月艦(ふね)は兵士をいれかえて

 江里昭彦氏、「人生は美しい」より。どの句にもみずみずしい暮らしの片鱗があり、生の息吹を盛り込みつつ、過去と現在を自在に行き来する。ときに享楽的に、あるいは冷徹に。それもまた人生、というように。<膝曲げて>の句、デニムを脱ぐ仕草から、青春期のナルシスティックな自尊心を描くのだろうか、少し異端の匂いも。<産卵のはじまる海>のフレーズの魅力、どんな生き物や魚類の産卵期でもいいのだが、海亀の来る海辺の碧さ、島や最果ての地のどこへもゆけぬ感傷を靴が。<望の月>の句、軍艦であろうが、なぜかトロイアの木馬を思ったり。ギリシャの月と夜空が広がる。

  すめらぎがすめらぎ殺め野火走る    高橋修宏

  黄沙降る柩は王を入れかえて

  液晶の並ぶ白夜の秋津島

  花野かな折檻のあとそのままに

  ひそやかにひめをひらけばひらく蘭

 「電子地母」、高橋修宏氏。ほぼ定型であり、有季の句も多い。だが、この印象の違いは何か。史実の、中央や片隅の出来事が、隣の家で現実に起きているような錯覚を起こす。<すめらぎ>を倒す謀反に放つ火は、野を焼く火に重なり。<黄沙降る>の不条理な世。ナム・ジュン・パイクのモニターを積み上げたインスタレーションの不気味な世界、初めて目にしたのは青山のワタリウムだったか、それが<液晶>の句の白夜へ。

 高嶋裕氏の短歌、「終日の水」より。

  少年期少女期永く曳いてきてふたり真昼の窟(いはや)にしやがむ     高嶋裕

  日常をふたり離れて鮮紅のブーゲンビリア眼に宿しあふ

  鳶あまた旋る(めぐる)港を行くときにあなたは錆をまた嗅ぎ当てる

  助手席で灯る子宮に委ねきる。をとこごころも、こどもごころも

 高嶋氏の評論、「短詩型と歴史への問い―『蜜楼』が提起するもの」から以下を。ここまで掲げてきた句の面白さには、定型が関係するのか否か、矛盾と分裂を孕むためなのか考えつつ。

 ・・・前近代の言語環境・文化環境に育まれた和歌の規範性や歳時記の宇宙を出自として背負ったまま、個の表現としての近代文学であろうとすることは、それ自体が矛盾であり、分裂だからだ。