2011年6月21日火曜日

6thコードの響き

最初にお知らせ。
ぼくが所属する俳誌「澤」の同人でもある詩人の村嶋正浩さんの第7詩集『晴れたらいいね』の栞文を書かせていただきました。版元のふらんす堂の山岡さんが詩集についてブログでくわしく紹介されていますので、ぜひご覧ください。

「澤」7月号で行う予定だった永田耕衣特集、諸般の事情で8月号に延期になりました。お忙しいなか執筆いただいた方々には大変申し訳ありません。妥協許さずということで必ずや充実した内容になりますので、ご容赦ください。

*

「レコード・コレクターズ」7月号、キャンディーズ特集というので買う。久々に手にした音楽誌、隅から隅まで一気読みしてしまった。その中に、作曲家の宇野誠一郎さんの訃報記事があった。享年84歳。

宇野誠一郎は、ぼくが日本人で一番好きな作曲家である。「ひょっこりひょうたん島」「ムーミン」「ふしぎなメルモ」「アンデルセン物語」「山ねずみロッキーチャック」「一休さん」など、子ども向けのテレビ番組やアニメの音楽を多数手掛けた人である。

いまのアニメの主題歌(にかぎらないが)はタイアップばかりだけど、昔はそのアニメのために作られたものだった。エンディングテーマが、主人公のダークサイドや哀愁を歌っていたりして、なかには、これ子どもに聴かせていいのか、というものも多かった。そういう時代のアニメ/テレビドラマ音楽家である。宇野誠一郎と渡辺岳夫が両横綱で、それぞれ作品集もCDで出ている。

渡辺岳夫は、「巨人の星」「天才バカボン」「キャンディ・キャンディ」「キューティー・ハニー」「魔女っ子メグちゃん」「アルプスの少女ハイジ」「フランダースの犬」「機動戦士ガンダム」等々、これまた挙げていったらきりがない(渡辺岳夫は1989年に56歳の若さで亡くなっている)。

もちろん、子どもの頃から大好きで聴き馴染んだ楽曲群であるが、その凄さをはっきりと理解したのは、高校のときである。友達が「アニソン全集」といった趣きの、メロディー譜にコードが付いている楽譜集を数冊持っていた。それを借りてギターで弾いてみたら、そのメロディーとコード進行の美しさに衝撃を受けたのだ。基本的に子ども向けの歌なので難しいコードや複雑なコード進行を使わない曲も多いのだけど、そういうときは6thコードを多様したりする。もちろん、簡単なコードで豊かなメロディーを紡ぎ出すというのは、類い希なる才能と技術がないとできることではないのは言うまでもない。でも、「ふしぎなメルモ」なんて、子どもが歌っているのに、あんな複雑なコード進行でいいのか。「山ねずみロッキーチャック」の主題歌「緑の陽だまり」と言い、宇野誠一郎は日本のバカラックであると僕は思っている。

曲だけではなくて、アレンジも素晴らしい。たとえば渡辺岳夫の「ハイジ」の主題歌「おしえて」は、ヨーデルを取り入れた牧歌風な曲だが、ベースラインは16ビートでめちゃめちゃファンキーだったりする(エンディングの「まっててごらん」もまた素晴らしい)。しかもヨーデルやホルンはスイスまで行って録音している。制作費が出なくてスタッフは自腹で行ったらしい。そこまでこだわっている。とにかくグレードが高い。

僕が宇野誠一郎の曲で一番好きなのが、「アンデルセン物語」のエンディングテーマ「キャンティのうた」である。「ムーミン」をはじめとする、井上ひさしと組んだ曲のなかでも、もっとも美しくて、かなしい曲だ。この曲も6thコードを多用している。

宇野誠一郎の曲をギターで弾いてみる前は、6thコードと言えば、ビートルズであった。「シー・ラヴズ・ユー」とか「ヘルプ」の、あのエンディングのコードである。ギターで弾きながら、なんか古くさい響きだなと思っていた。しかし、宇野誠一郎と出会って、6thコードの持つ、あかるくて、せつない響きを知った。こういう音楽を聴いて育ったことは、とても幸せであると思う。御冥福をお祈りします。



 煙草吸ふたび途切るる鼻歌月涼し
  榮 猿丸


2011年6月17日金曜日

 ― 難破した猫も ―

 海綿状の生物にでもなってしまったような日々が続いて、被災したわけでもないのに、沸き起こった無力感と罪悪感にぼーっとしていた。どこかから喝が飛んできそうだが、きっと、そんな人が多かったのだと思う。ふと、手にした古い一冊の写真集は、モノクロの写真と、その場所についての文章が交互に綴られていて、海綿を満たす水のように、様々な報道で疲れた脳裏にじわじわと浸み込んでいくものがあった。

 そのときに思い出したのは、窪田空穂先生がかつて大和に旅してここに立ち寄られ、立派な歌を残しておられたことである。(中略)

 浄見原宮の帝の勅もちて立てし御堂の三つ立てる見つ

 これを表装して床の間にかけ、前に座って眺めていると、私の頭の中には明らかに当麻寺の景がうかび出て来る。
                 (『日本の寺』 「当麻寺の記憶」水原秋桜子 より)

 隆起なくして庭すれすれの石はまだ他にもある。七、五、三の七の5の両側の2である。これも石の数に入れないとすれば、竜安寺の石は3:2:3:2:2となる。目を移して石組にリズムの感ぜられるのはこの数の関係から来るのであろう。

 それに、私は携えて行った縮図に物指をあてがって見た。五つの石群は二つの不等辺三角形をなしているが、五つの石群の距離を左からa・b・c・dとしてあらわすと、a/b=d/cという等値式がなり立つ。石組の配置の美しさはこの数の関係から来るのであろう。
                 (同上 「西芳寺 竜安寺」 山口誓子)

 『日本の寺』撮影・土門拳・藤本四八・入江泰吉・渡辺義雄・佐藤辰三:二川幸夫 美術出版社 昭和44年。目次から<法隆寺・薬師寺・東大寺・唐招提寺・当麻寺・室生寺・平等院・中尊寺・浄瑠璃時・神護寺 高山寺・建長寺 円覚寺・西芳寺 竜安寺・金閣寺 銀閣寺・大徳寺>の写真に、それぞれ先に揚げた水原秋桜子・山口誓子や、井上靖、野間宏、吉井勇、中野重治、佐多稲子などの文章が添えられている。カラーの写真も各寺に一枚ずつ添えられているのだが、なんといってもモノクロの物言わぬ力に圧倒されてしまう。日本人というか、日本に居住している人なら、8割方の寺に一度は、恋人との旅や修学旅行のほんの30分であろうとも、足を運んでいるレベルの有名な寺ばかり。だが、その写し撮られた風景は、ああ、ここ知ってる、という訳知り顔を次のページではっとさせるような、様々なある細部の切り取りが並ぶ。90%シルエットとして捕らえられた法隆寺五重塔の相輪、東大寺大仏殿前の銅灯籠に火の入った夕景、高山寺文覚墓跡の礎盤の溝が切り込まれた石のアップ、大徳寺孤蓬庵門前の石橋を股座から見上げたようなショットなど。カラーの美しさに打たれたのは参道の苔(西芳寺)という、その塀の白さと樹木の陰のコントラストの一枚だった。仏像と寺など建造物の写真は、思いもかけずこういうときの癒しになるのだと改めて感じ入る。自分でその地へ足を運ぶのがベストだが、現代ならそのまわりの無秩序さや猥雑さが目に入らない行程はありえない。過敏になっている神経に、旅先でのちょっとした不都合や人との関わりがいつもより痛手となって響くこともあって。ずしりとした、大きな版型の本だが、紙媒体で残す、ということを考えさせられた一冊だった。なんだかぼんやりしていて、という方にお勧め。最後に、猫好きなら見逃せない一文を。

 あらしのあとの由比ガ浜の砂の中から、そのころのシナから船が運んで来た宋の青磁の破片が今でもおびただしく輝き出ることや、横浜の金沢区に三艘(サンゾウ)と言う名の唐船が三艘来た場所の地名が残り、昔、宋の船が来たころに、渡って来た猫が「かねざわ猫」と名付けられて、現代のシャム猫のように珍重された話など、六世紀も七世紀も昔の古いことだから面白いのである。 
                  (同上 「山内雑感」 大佛次郎)




  まなうらの都市蟻塚は流されず      青山茂根



2011年6月3日金曜日

 ― はさみ ―



 白い衣装をまとっているこの女神たちは、クロノスのむすめでも、妖精でもなく、夜から生まれてきた姉妹だった。ときどき、彼女たちはやせた手をのばし、とがった指先で前にあるふしぎな道具をなでた。それはつむぎ車と、ものさし、そしてはさみだった。
      (『ギリシア神話物語』 リアン・ガーフィールド&エドワード・ブリッシェン 小野章訳 講談社 1975)

 ギリシャ神話に登場する、運命をつかさどる三人の女神。盲目で、やせぎすな、無表情のまま人々の命の糸を操る女神たち。そのうちのひとり、アトロポスは、運命の糸を断つ。そのはさみは、ずっと和鋏、握り鋏の形をしていると思っていた。一枚の鋼鉄をU字型に曲げて、両端についた刃を合わせて使う、あの鋏である。切るときに一度指を開くというアクションのいらない、冷酷無比に人間の運命を断ち切ることの出来る女神のはさみ。古代の鋏は、そもそも握り鋏の形であったそうで、今日常に用いられている洋鋏のほうが後に出来たということだから、ギリシャ神話の時代設定には、握り鋏の形が正しいのかもしれない。幼い頃、母が多少の縫い物をするときの、小さなフェルトや糸を切るときの握り鋏のあの歯切れのいい音、それが何か運命の糸を断ち切る音のように思えたのか。大きな布を裁つときに使うのは、ラシャ鋏と呼ばれていた洋鋏で、子供にはよく切れて危ないのと布以外のものを切ると切れ味が鈍るからと触らせてもらえなかったが、時折母の目を盗んで工作をきれいに仕上げたいときなどにこっそり使っていた。(今さらながらごめんなさい、である。)
  
 その母の針箱の中に、といっても木製の大きな裁縫箱はほとんどいつも押し入れに仕舞われたままで、普段手元で何やかや繕ったりに使われていたのは、小さな籠や、お菓子の空き缶などだったが、そんなクッキーやゴーフルの缶の模様や籠の手触りを今もよく覚えている。その中に、ごく小さな、市松人形の手には少しあまる位のサイズの和鋏、つまり握り鋏があった。他にも、全長10センチや15センチくらいの、黒イブシやみがきの和鋏もあったのだが、最も小さい、全長6センチにも満たないほどのその和鋏が私は好きで、よくいじらせてもらっていた。母が何かしているそばで、ちょっと糸を切らせてもらったりするくらいだが。子供の小さい手によくなじみ、また、極端に小さいものは何か収集癖を刺激するせいか。割と大きな、母の手には使いづらかったのか、あるときねだったらすんなりそれを私の針箱に移してくれた。以来ずっと、糸切りにはその鋏でないと何か落ち着かなくて、実際、片手に糸を通したままの針を持ちながらもう一方の手でさっと取り上げて糸を切るには、この和鋏、握り鋏の形状のほうが指を通して持ち上げるという手間がなくてスムーズなのだ。その、極小の、握り鋏があまりに使いやすいので、なくしたときのためにもうひとつ、と思って店などをのぞいたときに探してみるのだが、全長6センチ以下、刃の部分が2センチというものはなかなか見つからない。思い立って、その黒イブシの小さな鋏に刻印してある店の名、木屋へも出かけて聞いたことはあるのだが、今はもうその大きさは作っていないそうだ。その少し上の、全長7.5センチというものが現在は最小らしい。手になじんだ道具は、ほんの1センチの違いが随分使い勝手に影響するのだが。ふと、自分が今これを無くしたら、ずっとずっと探し回るのだろう、という気がした。



  ゆくへ、ゆくへ、ゆくへ、六月、雨、ゆくて     青山茂根