2011年1月24日月曜日

俳句総合誌LOVE PART2

先週水曜は黒瀬珂瀾さんの壮行会@神楽坂へ。あたたかくて、たのしくて、素晴らしい会であった。彼の人徳をまのあたりにした気分(ヘンな日本語だ)。歌人に限らず、大勢の方々がいらっしゃっていたが、俳人はなぜか私だけだったような。平日だったからだろう。

そういえば、幹事のお一人、田中槐さんの第一歌集の帯文が、なんと柄谷行人氏と聞きおどろく。すごい。うらやましい。

柄谷行人と言えば、「ヒューモアとしての唯物論」という小論のなかで、子規の生み出した写生文、「客観的」描写の根底にある精神的態度にヒューモアを見出している。これは俳句の「写生」というものを考えるうえでとても重要だと思う。いま手元にない(どこかに埋もれている)のでこれ以上書けないのだけど。

金曜日は角川短歌・俳句新年会へ。角川俳句賞の受賞者が2人だったからか、例年より人が多かったように感じた。会場の東京會舘はロースト・ビーフが美味しいので、乾杯が終わったらすぐにサーブしてもらえるよう、ロースト・ビーフのコーナー近くに陣取る。乾杯が終わった瞬間、すぐに行列。ほぼ一番乗りでいただく。美味い。

会場で角谷昌子さんから『俳壇』2月号の月評で拙句をお取り上げいただいたと伺い、また、この号は俳壇賞の発表があったらしく、しなだしんさんが惜しくも受賞を逃されたとのことで(やけ酒?に付き合えずすみませんでした)、さっそく買おうと思ったものの、近所の、割と大きな本屋を何軒も廻ったのだけどどこにも置いていない。アマゾンも品切れ。都内でなんとか手に入れた。

俳壇賞、しなださん惜しかった。これは悔しい。予選通過者にも知っている名前がたくさんあり、これはうれしい。しかし、しかしだね、選考委員に富士真奈美って……。ここ、ツッコんでいいところですよね。いや、すごい俳人なのかな。「ぴったんこカンカン」のイメージしかないが。何年か後には、吉行和子も選考に加わるのだろうか。ああ、俳壇編集部の方にツッコミたい。俳壇編集部の方、こんど飲みましょう。

何度も言いますが、私、俳句総合誌ラブですから。「俳壇」の「青春の肖像」というグラビアコーナーもすごいぞ。これ、笑ってはいけないんだよね。そして俳句総合誌恒例、毎度おなじみ〈謎のカット絵〉だが、「俳壇」のは意外にかわいい。とくに42ページの雑な鳥、78ページの妙に太丸い鯰。44ページの河豚らしき魚、64ページの、片手にパラソルを持って、片足を尻より高く上げ躍動しているウサギなどは秀逸である。ただひとつ言いたいのは、70ページのカット絵は、鶏もも肉なのか、イチゴなのか。「俳壇」のカット絵、おすすめです。

角谷昌子さんに取り上げていただいた句。「俳句あるふぁ」12・1月号より

 身に冷ゆるものあり金属探知機鳴る  榮 猿丸

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2011年1月13日木曜日

 ― ハチャメチャの裏側 ―

 松の飾りも取れぬうちから、今年は久しぶりに歌舞伎を見に出かけた。国立劇場で上演中の「四天王御江戸鏑(してんのうおえどのかぶらや)」、初演以来200年ぶりの復活であるうえに、ぎりぎりまで台本や演出に菊五郎一座の手が加えられていたとかで、詳しい筋立ても評論家始め外部の人間には幕が開くまで知らされていなかったらしい。正月の興行は、華やかな仕立てで、時にその時代の流行ものや風物などを持ち込んだ演出がなされ、笑いを仕掛ける要素も多い。以前私が見たものでは、当時話題になっていた「エリマキトカゲ」のユーモラスな着ぐるみまで芝居に登場したことがあった。役者同士が、お互いの私生活の話などを台詞にアドリブで盛り込んで、事情を知っている客席の笑いを取ることもある。

 今回の芝居は、宙乗り(それも役者を違えて2回!)、せり上げ・下げ、すっぽん(花道の途中に開いた切穴)からの登場・退場、回り舞台、花道での立ち回り、大蜘蛛の仕掛け、切腹に濡れ場、大立ち回り、押し出し、正月恒例の手拭い撒きと、まさしく歌舞伎の要素てんこ盛り。外国人の客も多く(彼らは誰も居眠りしていなかった、そこが日本の慣れた客と違う)、海外からの旅行者などには見所の多い、めくるめく展開の芝居だったろう。さらに、今時の歌と踊りを梨園の御曹司である幼い役者たちが丈の短い今風の着物で披露し、バラエティ番組に良く出ている人物に扮した役者が舞台に闖入してはちゃめちゃに幕が引かれるという場面も。芝居の出来うんぬんを言う批評もあったようだが、これぞ初芝居、というものだった。少々大騒ぎのし過ぎ、ともいえる舞台の華やぎを眺めながら、正月興行というものは、年末年始の働きを終えて、ほっと一息ついた女たちが出かけるものでもあったのだろうとはっとする。日常を離れてつかの間、心ゆくまで笑いあう女たち、ここ数年、多少は正月の支度などをするようになった自分にとっても、それはしみじみと感じられるものだった。といっても、昔の女たちの台所その他の大変さにはとても及ばない、ひよっこのような支度しかしていないのだが。

  芝居見に妻出してやる女正月     志摩芳次郎  
         (『合本 俳句歳時記 新版』 昭和49年 角川書店)


  初夢のなかをどんなに走つたやら   飯島晴子
                   (『儚々』 平成8年)

 正月といえば、真っ先に思い出す句のひとつ。「初夢」の季語は、「雪女」や「狐火」などのように空想上あるいは現実にあるものでないため、どんな言葉をおいても割と収まってしまう。先に挙げた歳時記にも、<初夢にみしエジプトの涙壷  黒川路子>という句が載っているほど、大概のものは詠み尽されているようだ。飯島晴子の句のように、どこかに夢を見ている作者と現実世界との繋がりを感じさせるものに私は惹かれる。そこに現実生活で感じている息苦しさ、切なさが、痛いほどに胸にせまる。走り終えたあとの、滑稽なほど乱れた髪や荒い息遣いは、「おもしろうてやがて悲しき」という心に通じているように。正月の句はめでたさがどこかになくては、ともいわれるのだが、二日からの駅伝中継が正月の欠かせない風物であることも、この句には少し入っているのかもしれない。芥川龍之介の句、<元日や手を洗ひをる夕ごころ>に見られるめでたさの中のほんの僅かな空虚さ、日常のつましさ、そんな現代の心情を多少推し進めた句だろう。


  初夢の大道具類押し去り闇       中山 泡


 この正月の間に、Twitterで流れてきた句。NHKラジオ第一の俳句番組に投稿された句であったようだ(webサイトで確認すると表記が違う。印象に残った句だったので作者を探して確認したら、やはりtwitter上で見たとおりに本人から訂正依頼があった。ちなみに「中山泡」は、生駒大祐氏の投稿名)。句意をそのままに読めば、夢の中に出てきた場面転換の一シーンを詠んだものか。しかし、中七下五の句跨り、押し去るという動詞を流して、闇、と受けた名詞で言い切ることで、何か大きな物体の移動するさま、その力の働く方向を生き生きと描き出す。回り舞台が動き出し、その暗闇の中で力を込める裏方の人々。大道具、という言葉に、一抹の寂しさがあることも忘れてはならない。舞台上での眼に見えないヒエラルキー、それぞれがお互いの仕事に敬意を持ち、それぞれ誇りをもって舞台を勤めるのだが、スタッフ表の名前の記載などには厳然とある順列。仕事で撮影現場などを経験してきた私としては、江戸期なら当然過ぎて誰も感じなかったであろう空気感を思う。また、作者が意図したかどうかはわからないが、この句から私は、夢を見ている浅い眠りから深い眠りに移るときの、一瞬の脳裏、ふっと暗転する意識を連想する。一晩でひとつの夢だけを見ていることは少なく、人は大概浅い眠りと深い眠りを交互に繰り返していると云う、その浅い眠りのときに夢を見るのだと。見ていた夢を手放す瞬間、それを表現している句だとしたら、やはり現代でしか詠めない俳句というべきだろう。