2009年9月8日火曜日

読めるけど書けない

八月九日に句会に出席したら、原爆忌の句を2ラウンドで十句以上提出した人がいた。
大量の原爆忌俳句を眺めながら、自分でもちょっと意外だったが私は原爆忌俳句を選句したり作ったりすることはないのだなと改めて思った。
以前ブログにもちょこっと書いたが私の父は少年時代に長崎で被爆している。 
そんなわけで私は所謂被爆者二世なのだが、核兵器に関して特に思い入れ(?)は無いつもりでいた。しかし原爆忌というだけでまったく取る気になれないのだ。自分では意外だった。

全ての被爆者にとって核兵器廃絶が悲願であることはさすがによく見聞きしているが、私は核兵器廃絶には危険な印象を持っている。結局被爆者二世は被爆者ではないという当たり前のことなのだけど。
人間は殺し合いをやめないという確信が私にはあって、それは「人間、死にたいと思う奴はいても老いたいと思う奴はいない」という心理的な理由から一足飛びに殺し合いの必然性に結びついてしまったりするのだからどうかと思うくらい単純な話ではある。さすが扱い易さと美貌が売り物。って自分で感心しててどうする。
ともかく決して殺し合いをやめない人類がヒロシマ・ナガサキ以降、まがりなりにも世界大戦を引き起こしていないのは、大量の核兵器がそれなりの抑止力を発揮していることがかなり強力な一因だと思える。これで地球上から核兵器が姿を消してしまったら人間たちは何を始めるか想像つかない。怖がりすぎだろうか?

自分が原爆を意識したというか被爆者二世であることを体感したのは少年時代無料で健康診断を受けていた時ぐらいだった。CIAから予算が出ていたそうだからまさにモルモット状態とも表現可能だけど。

ところでここまで書いてきてふと思ったのだが、被爆者の血を引いているというのは未だに結婚などの障害になったりすることがあるのだろうか?
「人間への放射線の短時間照射には遺伝的な影響はほとんど見られない」という研究結果をペンタゴンが発表したのは確か1980年ぐらいの出来事だったが、そんなことを記憶しているのはそれこそ自分たちに関するデータの集積による結果だったからで、一般の人たちの記憶に残っているとも思えない。
でもまあうちの息子たちは無駄にもてるから、深く考える必要もないか。

朝顔の薄い薄いと呟けり  上野葉月

2 件のコメント:

  1. 葉月さん、こんにちは。
    葉月さんのブログを探して見たのですが、お父さまの被爆体験に触れられている箇所を見つけられませんでした。もし差し支えなかったら、場所を教えてください。

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  2. KKさん、こんにちは。
    被爆体験というほどのものではなく、父が1945年長崎にいたことに少し触れているだけなのでがっかりしないでいただきたいです。
    『たったひとつの冴えたやりかた』
    http://93825277.at.webry.info/200707/article_15.html

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