2011年4月29日金曜日

 ― vol.2 ―

 風化しなくて残れば詩だと思いますけどね。例えば、HIP・HOPで言うと、POPに寄り添って沢山売れた人をセルアウトといって批判する傾向があります。それは僻み根性と見られがちなのですが、違うと思います。すごく売れてても叩かれない人もいるからです。
   (「佐藤雄一 ロングインタビュー6000字 あなたを詩人に」 から 詩人佐藤雄一氏の発言)

 『傘(karakasa)』vol.2は「特集 ライト・ヴァース」。なんといっても、この佐藤雄一氏のインタビューに啓発されるものが大きかった。詩(の必然性)を、思い出させてくれたものとして。<自分の言葉が不確定性にさらされつつも、あなたの記憶に残る手ごたえがえられたときは、それは、自分が消えた世界でも残るかもしれない物質性なのかもしれないですね。> 先人たちの積み上げてきた言葉、俳句たちが無数にフラッシュバックする。中表紙の白い壁の背景に抜ける青空のように。

 中山奈々氏のエッセイ「傷談義」も、いい位置に挿入されて効果的。はるか彼方から近づいてきた何かが、見事な着地を見せる文になっている。こうしたやわらかな把握から真実に近づく俳句の周辺も、楽しい。

 越智友亮氏の総論「俳句におけるライト・ヴァース」はなかなかの力作だが、私も上田信治氏の投げかけ<俳句から、季語のコノテーションと文語的言い回しを切り離して、浮力を得るつもりらしい「傘」の中の人に、感想を聞いてみたい。>に大きく頷いてしまう。俳句におけるライト・ヴァースの定義付けには、もう少し口語俳句を歴史的に広範囲にさかのぼった裏づけも必要かもしれない。<季語を言葉として捉えなおす(中略)それが現在のライト・ヴァース>、と述べられているが、むしろ言葉の不連続性、言葉が歴史的に背負ってきた記憶を一度消し去って現代に構築しなおす試みがライト・ヴァースなのでは、と私はおぼろげながら思う。俳句甲子園以後の俳句の様相にライト・ヴァースを見るというよりは、それを語る越智氏自身の句がもっともライト・ヴァース的光彩を放っている、とも。<ひまわりや腕にギブスがあって邪魔><挙手つまり猫背ではない秋の空><新緑のホースの巻きかたに迷う>(『セレクション俳人 新撰21』 越智友亮「18歳」100句より 邑書林 2009)。 言葉に負荷をかけない、意味内容が軽いというよりは無重力性の俳句、それを牽引していく先陣に立つ一人は、恐らく越智氏だろうと。一方、藤田哲史氏の句はライト・ヴァース的でないところに惹かれるのだが。

 ただ、白泉の戦争俳句は文語でもつくられていたのであり、本来はむしろ文語・口語という振り幅のなかで形成されていった白泉の戦争俳句群に通低する精神をこそ見るべきであろう。さらにいえば、戦争を詠むときに文語と口語を使いこなしていたという白泉の柔軟な表現力を見るべきであろう。

 外山一機氏「白泉のライト・ヴァース」から。<文語・口語の領域を行き来することのできる白泉のライト・ヴァース>、ちょうど更新されていた『千堀の投句教室575・別館 飛び込め!かわずくん』 の文語・口語俳句の定義と脳内リンクして、俳人たちの習性に思わずにやりとしながら、共感するところが多かった。現在の、震災俳句と呼ばれるものとも、少し絡めあわせつつ。『傘(karakasa)』という俳句誌自体も非常にライト・ヴァースな立ち位置だなあ、などと羨ましく。

2011年4月8日金曜日

 ― うろくづと海 ―



 歌人である高木佳子氏の個人誌『壜 #02』から。


  すきとほるうつはにみづは充ちてゐて泡のひとつのひかりしろがね    高木佳子


  いちまいの花びら咬みて小鳥あそびそのはなびらのあまたなる傷


 「こゑ」9首から。シンプルながら瀟洒な作りの個人誌。なかなか俳句では見かけない気がするのは私が知らないだけだろうか。表記の美しさと、調べのなめらかさに和む。地震の前に発刊準備が進められていたという、次は「poule au pot 鶏のポトフ」10首。ポトフの作り方を歌の調べに載せつつ展開していく世界。


  鶏はおお、雌鶏だった、藁のうへたまごを想つてゐるはずだつた


  にんじんは芦毛の馬が駆けるときひづめの音を聴くはずだつた


 予定調和ではあり得ない世界の悲しみが浮かび上がり、静かな言葉の裏にほんの少し覗くシュールな現実。311、を過ぎた今読むと、様々な思いが「鶏」や、「たまご」や、「にんじん」、「馬」といった言葉に付随してしまう。意図せずにして詠まれた歌であるのに、ページをめくるとき読んでいる我々の周りには被災地の現実はないのに。得られた情報によって言葉も、いかに痛手を負っているか。ただ読み手の頭の中でのみ起きていることかもしれないけれど。


 実際にいわき市在住で、被災されライフライン復旧後も、日々屋内退避圏に近い地で事故の推移を見つめている著者の言葉が、別紙にて添えられている。その、「見よ」7首のうちから一首。


  うろくづはまなこ見開きいつの日かわれらが立ちて歩むまでを 見よ


 巻末の一首。共感と愛惜と。その海を臨む丘の景色。自分が幼い頃に見ていた海はいま。


  海を見にゆかないのですか ゆふぐれを搬び了へたる貨車がさういふ