2010年4月27日火曜日

初心者連句入門 第2回 連句の用語と基本的なルール その1   葛城真史

今回は連句のいろいろな用語やルールについて書きたい。

「長句」と「短句」

連句は、「長句」(ちょうく=5・7・5)と「短句」(たんく=7・7)を交互に連ね、製作する。第一句目を「発句」(ほっく)、最後の句を「挙げ句」(あげく)という。前者は必ず「長句」、後者は必ず「短句」になる。なお、現在も使われている”挙げ句の果て”という表現は、ここからきている。


「捌き」と「連衆」

連句を製作することを「巻く」という。巻く際のメンバーを「連衆」(れんじゅう)といい、その場をとりまとめるリーダーのことを「捌き」(さばき)という。連句の進行は、基本的にはこの「捌き」が、連衆の句を一覧し、付ける句を決めてゆく。付ける際に句の修整が必要であり、捌きがそれを行うことを「一直」(いっちょく)という。捌きを特に決めずに連衆たちで相談しつつ句を付けていくことを「衆議判」(しゅうぎはん)、順番を固定して進行することを「膝送り」(ひざおくり)という。

また、連句は基本的に数名で巻くものだが、一人で巻くことを「独吟」(どくぎん)、二人で巻くことを「両吟」(りょうぎん)という。後者は基本的に「膝送り」で行われるが、自然、一方が長句だけ、もう一方が短句だけになってしまうので、途中で一方が二句つづけ、順番を入れ替える。


「季句」と「雑の句」

季語が入る句を「季句」(きく)、入らない句を「雑の句」(ぞうのく)という。形式にもよるが、季句を入れる場所は、おおよそ決まっている。連句を巻く当季が発句の季節となり、それにより他の季節の配置が変わる。また、捌きのあんばいにもよる。このことは今後、「歌仙」(かせん)の解説をする時に詳しく触れたい。

連句の季語は、たとえば「春」なら、「初春」「仲春」「晩春」、そしてこの三つにまたがる「三春」にわかれる。同様に、「夏」は「初夏」「仲夏」「晩夏」「三夏」、「秋」は「初秋」「仲秋」「晩秋」「三秋」、「冬」は「初冬」「仲冬」「晩冬」「三冬」にわかれ、これに「新年」をくわえた十七季が、連句の季語の分類である。


「季句」のつづけ方と「季戻り」

連句では「夏」「冬」の句がでたら、”一句以上三句まで”、「春」「秋」の句は”三句以上五句まで”つづけることになっている。

季句は、その季節の中においては、現実と同じ順番で付け、戻らないようにする。たとえば、「初春」→「初春」→「晩春」はよいが、「初春」→「晩春」→「仲春」となってはいけない。これを「季戻り」という。

「三春」「三夏」「三秋」「三冬」は、いわばオールマイティで、「初春」→「三春」→「仲春」、あるいは「晩春」→「三春」→「三春」のように使える。ただし、「三春」→「三春」→「三春」のように付けるのは、禁止ではないが、好ましくはない。

ところで、先に「その季節の中においては」とことわったのは、連句では、たとえば「秋」の句の後に雑の句をいくつかはさんで「夏」の句をだしたりするからである。


「月の定座」と「花の定座」

連句では、一巻(いっかん=一つの連句作品)の中に必ず「月の句」と「花の句」を詠み込むことになっている。「月の句」を詠む場所を「月の定座」(つきのじょうざ)、「花の句」を詠む場所を「花の定座」(はなのじょうざ)という。それぞれの句数や何句目に詠むかは、各形式により異なる。なお、ここでいう「花」とは、連句では「桜」のことをさすが、「桜」といわず、必ず「花」と詠む。「花の雲」「花冷」「花万朶」(はなばんだ)などのことばがある。

定座の場所に関して、”「月」は上げ下げ自由。「花」は上げてもこぼさない(下げない)”といわれる。しかし、「月の句」はある程度柔軟に前後させても(「捌き」が判断する)、「花の句」は動かさない方が無難である。私の経験でいうと、連句を巻く時期が桜の季節である場合、例外的に発句に「花」をだすことがあるが、それ以外で「花」を動かすことはない。

今回、「自他場」や「打越」についてまで触れようと思っていたが、例句が必要だと思い、次回にまわすことにした。今回説明したルール等についても、これらは基本的なことなので、必要があれば随時補足したい。

また、何度か「形式」ということばを使ったが、これについてはいずれまとめて説明したい。

2010年4月25日日曜日

界遊004   上野葉月

カーオブザイヤーの表記がいつまでもカーオブジイヤーにならないのは県民感情にそぐわないからではないかというようなことが気にかかる「心に乙女を飼っている俳人」葉月です。皆さん、如何お過ごしでしょうか。今日は別に間違いだらけのクルマ選びの話ではありません。

こんなご時世でも紙媒体でミニコミ誌(死語?しかし一発でIMEでも変換した)を発行している感心な若者たちがいて『界遊』という雑誌を作っています。今回は第4号でなんとなく縁起の良い数字。今ふと思ったけど感心な若者なんて書くと皮肉っぽいだろうか?
本当に感心しているんだけど。私って竹を割ったような性格な割には言動が皮肉に取られてしまうことが多いような気がする。結局文字通り散文的な体質が災いしているのかもしれない。ポエミーが足りないというか。ポエミーの足りない私がハイミーに投稿する(なんて書くとまるで『化物語』副音声みたいだが)。ともあれいつの世にも文学青年が絶滅しないというのは心うれしい限りだ。

3/31(水) ジュンク堂書店新宿店にkai-you vol.2 「自動生成時代の表現!」と銘打ったトークイヴェントを見に行ったのだけど、なんか色々な意味で感心しました。俳句世間でも話題の例の『星野しずる』という短歌自動生成スクリプトをたたき台にしたトークイヴェントだったのに、特に文学めいた話にならず情報工学的な(?)話に終始したのが気持ちよかった。ニコ動のタグ争いについてパネラーがまじめに語るところなんてあんまり生でお目にかかれそうも無い。
紙媒体の『界遊』誌のほうも小説や短詩系ばかりでなくアニメなどにも手を伸ばしていて私の嗜好に合っているように強く感じる。楽しく読ませてもらっています。

今回『界遊004』では古川日出男の新作が読めるのがわたくし的には目玉なのだが、これってけっこうすごいことのようにも思う。うん、豪い。考えてみると現役で活動中の小説家で所謂ラノベ系の数人以外で私が新作を待って読むのは古川日出男と万城目学ぐらいのものだ。

それに付録的(?)企画「界遊句会」では私もちょっと顔を出しています。はい、熱狂的葉月ファンを自任するそこの貴殿! これは買いです! 必ず購入するように。
野口る理vs上野葉月の世代を超えた壮絶なガチバトルも観戦できます(うそです)。仮に貴殿が葉月ファンではなく、る理ファンであったとしても私は全然気にしません。ええ、ちーとも気にしませんとも。

ご購入はこちらから。

クリック、クリック~!

食卓に辞書置忘れ春の雪  上野葉月

2010年4月21日水曜日

観劇録(4)国立文楽劇場『妹背山女庭訓』(前)

近松半二他作の時代物狂言『妹背山女庭訓』は、天智天皇、蘇我入鹿、藤原淡海(不比等)といった大化改新をめぐる人物を中心に、大和国のさまざまな民間伝承を盛り込んだ大作である。
「山の段」あるいは「吉野川」と通称される「妹山背山の段」そして、お三輪という町娘を主役にした「杉酒屋」から「金殿」までの一連が有名で、歌舞伎、文楽ともに頻繁に上演されている。
しかし、いわゆる三大名作と比べて全段通しの上演が少ないのは、全体に陰惨で嗜虐的な印象が強いからかもしれない。
実際、通し上演を観たのは、今回の国立文楽劇場がはじめてである。

昼の部は、雛鳥と久我之助の出会い、鎌足の娘采女の失踪、皇位簒奪を狙う蘇我入鹿のクーデターなどが描かれる。
そして前半のクライマックスとなるのが「山の段」である。

この段は、舞台装置が非常に特徴的である。
幕が落とされると舞台全面に桜の花が咲き乱れ、その中央に青い吉野川が流れている。

向かって左の下手側は妹山、上手は背山である。
妹山には太宰の後室定高の屋敷、背山には大判事清澄の屋敷があり、両家は領地争のために対立しているという設定である。

妹山方定高の屋敷には娘雛鳥が侍女とともに雛を飾り鬱々と日を送っている。
背山の大判事屋敷には息子の久我之助がただ一人文机に向かっている。

しばらくして定高と大判事がそれぞれ蘇我入鹿のもとから難題を抱えて帰って来る。
歌舞伎での上演の際は、座頭、立女形クラスの役者が両花道より登場し、大喝采を浴びるところである。

文楽では床とよばれる大夫と三味線の座る場所が上手に設置されているが、この段では下手側にもこれが置かれる。
つまり、吉野川を中心にして舞台の機能すべてが左右に分断されているのである。

下手の床には定高役、雛鳥役の大夫と三味線一挺、上手には大判事役、久我之助役の大夫と三味線一挺がそれぞれ座る。

雛鳥と久我之助は恋仲だが、両家が対立しているために結ばれない。
この悲劇的な設定が、和製「ロミオとジュリエット」とも呼ばれる所以である。
しかし、通し上演で見るとよくわかるのだが、二人を死へと追いやるのは蘇我入鹿という強大な権力者の圧力である。
それぞれの親は、入鹿の無理難題を切り抜けるため、子息を犠牲にする判断を強いられる。
ここで興味深いのは、対立しているにもかかわらず、両家それぞれが相手方の子を助けるため、自らの子を殺そうとするところである。

いとうせいこう氏がツイッターで、文楽の女性や子供をモノのように扱う演目を批判していたが、このくだりなどはまさにその代表例といえるだろう。
また、争って自分の子を犠牲にしようとするところなど、一見すると美しい自己犠牲のようでもあるが、意地悪く見れば相手方に借りをつくりたくないのだともとれる。
現代の感覚からすると、違和感をぬぐいきれないところではあるが、それでもこの段のもたらすカタルシスの強烈さは比類のないものだ。

定高は雛鳥の首を落とす、その一方で大判事は久我之助に腹を切らせる。
雛鳥は自分の死によって久我之助が助かるものと思い、そのことに喜び、感謝しながら絶命する。
しかし、久我之助はすでに腹に刃を突き立てていた。

ここに及んでようやく両家は和解し、瀕死の久我乃助のもとへ、雛人形の道具を嫁入り道具に見立て、雛鳥の首が川を渡って嫁入りする。
これが、いわゆる「首の祝言」である。

陰惨きわまりないこの場面が、この上なく美しく感じられるのは、奇跡のような人形の動き、すなわち人形遣いの芸の力である。

雛人形の乗物に、姫の首を載せる台を白い布で結びつける作業を侍女たちが黙々と行う。
こうした無駄とも思える動作を、ゆっくり時間をかけて見せるところにこそ、文楽の芸の見せどころがあるのだと思う。
一見したところなんでもない、しかし実に研ぎ澄まされた所作から、なんとも言えぬ愛惜の情が、自然と染み渡ってくるのである。

歌舞伎でもこの段は何度か観たが、文楽のほうに軍配を上げたいという思いがする。
それは、役者は本物の死体になることができないという一点による。

人形はもともと命のないものだから、舞台の上でほんとうに死ぬことができる。
もちろん人形遣いが、その奇跡的な芸によって人形に命を与えるからこそ、死の表現にも説得力が生まれるのである。

大判事清澄が血を吐くような台詞で嘆く後ろで、雛鳥の首をひしと抱きかかえている瀕死の久我乃助の姿の哀切さ。
首となった雛鳥はすでに人形遣い吉田簑助の手を離れているが、やはり吉田簑助の芸のうちにあるのだ。


手鏡に映りし桃も脳のうち   中村安伸

2010年4月18日日曜日

haiku&me特別企画のお知らせ(5)

Twitter読書会『新撰21』 第五回 「谷雄介+飯田哲弘」

Web同人誌「haiku&me」主催の特別企画、Twitter読書会『新撰21』は第五回を迎えることとなりました。
※Twitterについての詳細はこちらをご覧下さい。

この企画は『セレクション俳人 プラス 新撰21』より、各回一人ずつの作家と小論をとりあげ、鑑賞、批評を行うもので、全21回を予定しております。原則として隔週開催とします。

第五回は谷雄介さんの作品「趣味は俳句です」と、飯田哲弘さんの小論「自堕落詩人」をテーマとします。

「haiku&me」のレギュラー執筆者が参加予定ですが、Twitterのユーザーであれば、どなたでもご参加いただけます。主催者側への事前の参加申請等は不要です。(できれば、前もって『新撰21』掲載の、該当作者の作品100句、および小論をご一読ください。)

また、Twitterに登録していない方でも、傍聴可能です。(傍聴といっても文字を眺めるだけですが。)

■第五回開催日時:2010/4/24(土)22時より24時頃まで

■参加者: 
haiku&meレギュラー執筆者
+
どなたでもご参加いただけます。

■ご参加方法:
(1)ご発言される場合
Twitter上で、ご自分のアカウントからご発言ください。
ご発言時は、文頭に以下の文字列をご入力ください。(これはハッシュタグと呼ばれるもので、発言を検索するためのキーワードとなります。)
#shinsen21
※ハッシュタグはすべて半角でご入力ください。また、ハッシュタグと本文との間に半角のスペースを入力してください。

なお、Twitterアカウントをお持ちでない方はこちらからTwitterにご登録ください。(無料、紹介等も不要です。)

(2)傍聴のみの場合
こちらをご覧下さい。

■事前のご発言のお願い
(1)読書会開催中にご参加いただけない方は、事前にTwitter上で評などをご発言いただければと思います。

(2)ご参加可能な方も、できるだけ事前に評などを書き込んでいただき、開催中は議論を中心に出来ればと思います。

(3)いずれの場合もタグは#shinsen21をご使用ください。終了後の感想なども、こちらのタグを使用してご発言ください。

■お問い合わせ:
中村(yasnakam@gmail.com)まで、お願いいたします。

■参考情報ほか:
・第一回読書会のまとめ
・第二回読書会のまとめ
・第三回読書会のまとめ
・第四回読書会のまとめ

新撰21情報(邑書林)

・『新撰21』のご購入はこちらから

2010年4月16日金曜日

 —  Twitterを始めてみると  —


     そよ
  真夜戦ぐものや穀雨の線路際     青山茂根


 だいぶ以前、書評で見つけて関心を持ちながら、題名も著者も忘れてしまったのだが、確かアメリカ人の客が、イギリスの書店から本を取り寄せるそのやりとりの書簡を一冊に纏め上げた本があった。一度も会ったことがなく(いや一度その書店を訪ねる機会があったのだったか)、ただ文字だけの、ときに数ヶ月も間を置いたやりとりに、その間の世界大戦の状況などが否応なく響き、それぞれの人格や本の趣味への理解と交流が読み取れる書簡であったそうだ。本の題名をご存知の方がいたら、教えていただきたい。

 朝、全く知らない人からフォローが入っている。う、まずい。頭を引き戻して自分の発言を現在から逆に振り返って見ると、どうやら昨夜数人の俳優やタレントに言及したためらしい。検索でつぶやきがひっかかったのだろうが、申し訳ない。そんなにそのタレントの目撃情報つぶやけないし、そういう気もないのだ。ま、すぐに気がついてフォローが外れると思うが、何かそういう発言を求められている気がしてどこかに視線があるように落ち着かない。こちらは何の気なしに載せた発言が、知らないうちにBotやら何やらにひっかかってどこかで引用されたりするのは、少し怖い気もする。ちょっと古い洋モノの器について発言したら、すぐどっかのアンティーク屋のフォローがついた。お!フォロワーが増えた、と喜ばせて何が買わせようという魂胆が見え見えである。Twitterにはこういうしょうもないフォローもあってうんざりもする。全く未知の複数の相手に日常を覗かれているようで、広範に開かれているのも少し不安なのだ。

 ここの関連で、『新撰21』の読書会をするためにTwitterを始めたのだが、結局な んだかんだと日々そこを開いてしまう。むしろ、俳句以外の情報、大手でかからない映画や、日常のちょっとした笑い話、海外情報などが一般市民の目線で語られるのが面白い。現在海外に留学している、全く知らない学生の方からフォローがついていたときは驚いたが、その発言を見たら私の興味の範疇だったのでフォローしかえしてみると気になって、日々そのつぶやきとリツイー トを読むためにTwitterを開いているような毎日だ。文体が魅力的 とかではなく、多分、私以外には大して興味をひかないだろうその内容自体が面白い。しかし本当に俳句には全く関係ない人物のようで、どこからどうやって私のところへたどり着いたのか謎だ。その人物に届くだろうか、と私も日本の現在のちょっとした情報や、外国の諸事情や文化的な差異について、気づいたささいなことを載せてみたりしている。

 彼が発するのはだいたい現在留学している地の情報だが、他言語とその文化を理解しようとする姿勢や他国の人々との交流の様子が、ひたむきながらイマドキの若者らしさもあり (その国はカジノが盛んだとかで、彼も日々「カジノ行った」「幾ら勝った」とかつぶやいてたり)、それまでに留学していたアジアの大学の状況なども比較し回想してものを言っているのが興味をひく。「炊飯器欲しい」などまさに単なるつぶやきも多いので 玉石混交だが、日本人は全く見かけない(アジア人は多いらしいが)中で一人異国に 暮らすのは言葉が話せても寂しいときもあるだろう。かなり真剣に語学を勉強してきているらしいこと、新たな知識への 意欲も伺えて、まだこういう人たちもいるのだ、と少しほっとする(現実に会ったら どうかはわからないが)。なぜだか俳句関連のTwitterには、そこに出されている 俳句にも、あまり触手が動かない。意外と、作家の方たちの個人的なつぶやきが興味をひかないのと同じかもしれない。大半の発言が、誰とどこへ行ったとか、今日は何したとか、大体予想される内容で構成されていて、その人なりのものの受け止め方などが出ていないのはつまらない。最も、作家が本業の方たちは、本業のほうでそういったものを日々記述しているので、こちらは息抜きなのだろう。もしくは自作の宣伝ツールといったところか。  

 つまりは井戸端会議か、と漠然と思う。欧州や、アジアもそうだが、田舎町などにゆくと、路地裏や細い通りに面した家の正面に椅子を並べて、日がな一日通りを眺めながら道行く人々と挨拶をしたり、ちょっとしたボードゲームやカードなどに興じているお年寄りを見かけるが、それに近いノリなんだろう。顔の見えない相手で あることで、むしろ儀礼的な慣習を重んじる日本人には、気安くなれる部分があるとも思える。

 Twitterの向こう側にいるのは、(俳句つながりの人たちを除いて)きっとこの先も一生会うことのない人々なのだが、その留学中の人物が帰国してしまうと(どうやら日本での就職活動のために5月には帰ってくるらしい)、異国人の眼を通した、その国の市井の話も読めなくなるのだ、と何か寂しい。つまりはその人物自体に興味があるわけではなく(実際会ってみたらわからないが、それはまた別の話だ)、彼の眼で捉えられた異国とその文化を、追体験したいのだ。と、これは俳句への興味と同じかもしれない。

 

2010年4月14日水曜日

桜花の表情

東京の桜はほとんど葉桜となった。
桜はその散り際の潔さを褒められるけれど、散りつつある花と、力強い芽吹きの同居する葉桜の逞しさもまた面白い。
「葉桜の中の無数の空さわぐ 篠原梵」という句は、そのような葉桜の生命感を言いとめたものであろう。

言うまでもないが、桜が最も人の目を惹くのは、満開のときである。

「想像のつく夜桜を見に来たわ 池田澄子」という句があるように、例年の桜の花の記憶から、只今咲いているであろう桜の様子を類推したりするが、眼前にした実際の花は、常に想像を裏切る。

まず、その年の気候によって桜の咲き具合は異なる。
「満開」という言葉は同じでも、短期間に一斉に花をひろげた場合と、少しづつ花を咲かせていった場合とでは、花の密度が違う。
前者の、ずっしりと重みのありそうな花房を、木の全体に満遍なくつけた様子は見事で、数年に一度しか見られないものだ。
頭上を覆いつくす万朶の花を見上げていると、そのまま空の中心へ向けて落下していったとしても、花のクッションがやわらかく受け止めてくれるだろう、などと思ったりもする。

桜は赤みを帯びた白い花で、光をよく反射する。だから気候や時間帯など、光線の加減によって、その見え方が大きく変化する。

晴れた日の昼間、降り注ぐ強い光を浴びて白く輝く満開の桜は、最高の存在感を示す。
朝のうちの引き締まった空気のなかでは、桜はなにかの結晶のように清らかである。
夕桜は日の暮れてゆくにしたがって刻々とその表情を変えていくが、私が最も愛するのは、すこし日が傾いたころ、野山とともにやわらかなオレンジ色に染まりつつある桜である。
その一塊をすこし離れたところからぼんやりと眺めていると、魂がそこらをふわふわと漂ってゆくようななつかしさを感じて、陶然とさせられる。

曇り空の下では、桜はその存在感を薄れさせてしまう。
そして、輝きが弱まる分、やや赤みが強く感じられる。雨にうたれる桜には、艶然とした風情がある。

夜桜は、月や星や街の光、あるいは照明のわずかな光を吸い、うっすらとした妖気とともに吐き出している。
夜桜にも、もちろん天候の影響がある。
人工の照明のない、天然光のみに照らされた夜桜を観た経験はないので、もっぱら市中の夜桜についてだが、曇りの日には街の光が雲に反射し、花の吐きだす光が薄れてしまう。
多くの場合、桜の木の近くにもなんらかの照明があるが、それはシンプルな白い光がよく、色とりどりの雪洞や提灯などを吊って照らすのはあまり品のよくないことだと感じる。

夜桜は青山や谷中などの墓地で見るのが好きだ。
雪洞や提灯は無く、照明の具合が良いということもあるが、無数の死者の存在感が、桜の吐きだす妖気を濃密に感じさせてくれるからだろう。

満開の桜を見ると、おおげさだが、自分は桜の花を見るためだけに生きていて、残りの季節はその幻影を言葉にしているだけなのではないかと思うことがある。
光に応じて無数の表情を見せる桜の花は、自らの内面のあらゆる情感を反射し、浄化してくれるのではないか、そして、まだ観ぬ無数の花の表情を追い求めることで、あらゆる美を垣間見ることができるのではないか、そんな期待を込めて次の桜を捜す。

花万朶息を吸ふとは光を吸ふ   中村安伸

2010年4月13日火曜日

俳句は愛   上野葉月

やっぱり『マリア様が見てる』の登場人物では水野蓉子さまが好きです(「やっぱり」って何だよ)。

さてSara句会の参加費が今月から千円になった。所謂「いつか来るとはわかっていたが今日来るとは思わなかった」状態。五百円から千円。実にインフレ率100%である。

さすが常に時代を切り開いてきた炎環若手句会、かたや3%のインフレターゲットでも首を縦に振らない日銀のような組織もあるというのに、100%はすごいとしか言わざるを得ない。それにしても日銀というのはいったい何なのだろう。一応役所の一種なんだろうけど。最近とみに検察への風当たりが激しいけどまだ検察なら何をやりたいのか推測がつこうというものだが、日銀となるともうさっぱりである。あれは一応政府から独立した機関だからもしかしたら役所とは言わないのかもしれないけど何もやらないことがお役所体質の芯だと仮定した場合、日銀こそ役所中の役所だと言えよう。

Sara句会の中核を担っているのは所謂「団塊ジュニア」である。失われた十年(+α)にもっとも苦しめられてきた世代。
デフレというのは即効性の毒ではないので身を切られるような痛みは少ないが経済の常識に沿った場合、長期的なデフレの流す害毒は甚大である。
おおよその企業が収益を下げるので当然人件費削減の圧力が長期に渡ってかかる結果、非正規労働者の解雇や新規採用の減少など主に若い世代へのしわ寄せが激しくなる。この二十年近くの日本経済の状況はまさに若者いじめに終始していたと言っても過言ではない(とはいうものの所謂先進国、ある程度の物質的な豊かさを達成した国では大抵の場合、失業問題とは若年層の問題であるのは否めないのではあるがそれにしても近年の日本はひどすぎると思う)。何か今回の五百円から千円への変更というのは若い世代の社会に対するルサンチマンを感じさせる(それにしても呪詛と漢字で書くのに比してルサンチマンとカタカナで書くとなんとなく救いがあるように感じられるのは何故だ)。

一方短期的に見る場合、デフレは高齢者など貯金で生活している層にとってはプラスに働く。放っておくだけで手持ちのお金の価値が若干増すわけである。
そして俳句人口のほとんどが中高年齢層であることは忘れるわけにはいかない。そういえば最近haiku&meというタイトルを見るとつい貯蓄&ミーと読んでしまう。

そういえば合衆国では個人の預金高の平均がついにゼロを切ったそうだ。アメリカ人があまり貯金しない習慣なのは今に始まったことではないが、それにしても世界唯一の超大国の国民の大半が「日本を代表するワーキングプア」として名高い葉月さんと同等かそれ以上に貧しいというのにはさすがに危機感を覚える。

ソ連崩壊後、たしか二年間で7000%のインフレを見たように記憶している。大雑把に言って物価が70倍程度になったわけである。ルーブルの価値が70分の1になったとも表現可能だ。
ドル崩壊に当たってはどうなのだろうか。70分の1で済むだろうか。まあ神原駿河も言っているように「裸で物を落とした試しなし」なので葉月さんのようにお金に縁のない人間にはどうでもいいことなのだが。もっとも世界一の貯金を抱える日本の高年齢層にとってはまさしく対岸の火事ではない。当のアメリカ人より日本の俳句界のほうがよっぽど大きな影響を受けそうな気もする。

「アメリカ以後」ということが熱心に語られるようになってもう十年以上は経つ。その割に「お金以後」ということについてはあまりビジョンが提示されていないようにも思う。近世以降の金融システムに慣れすぎてしまっているので多くの人が想像力の欠乏に悩まされているのかもしれない。現在のように物は溢れているのに時間とお金はいつも足りないという状態とか世界の多く人々が極端な貧困状態に置かれていることの原因の大半は現行の金融システム(いわば銀行)のせいで、お金さえ流通しなければ多くの問題が解消するのは確かだ。もちろんお金がなくなったところで人間の抱える全ての不幸から自由になるわけはないだろうが、お金のくびきから逃れることは多くの人(特に若者)にとって歓迎すべき事態である。
二三十年ぐらいの短期的なスパンに立ってみれば、なるべく合衆国と距離をとって新興国の市場相手に今まで通り付加価値の高い製品を売って行くことで日本もそれほどの苦境に立たされない可能性もあるかもしれない。ただ長期的には世界が生き延びるにはローカリズムしかないように思う。もっとも私のいうローカリズムとは「可能な限り自給自足、可能な範囲で伝統的な生活習慣遵守」程度の薄っぺらなものなのだが。
いうまでもなく未来なんて誰にもわからないけれど、どう転んでも今後は自殺数は減る傾向を見せるような気がしてならない。犯罪数は増えるかもしれないけど。

白薔薇の花筏かなググレカス  上野葉月

2010年4月12日月曜日

しょうもない

加倉井秋をの第一句集『胡桃』をいただく。うれしい。
昭和23年刊。これ藁半紙かな、ひじょうに燃えやすそうな紙。一瞬で燃えるな。片面がザラザラで片面がツルツル。これ両面印刷する紙ではないのではないか。とても読みにくい。序文を師の富安風生が書いているのだけど、長い。風生は秋を俳句の特徴を「全体に通ずる口語調(仮にかく呼ぶ)の自由奔放な駆使にあるであろう」と書いている。

月光に掻き鳴らすギターは出鱈目  秋を
さくらんぼの柄は灰皿へ捨てる
鳩時計歌ふカレンダーを三月にする
食卓の鉄砲百合は素つぽをむく
雛の灯を灯すスヰツチが押入に
貸茣蓙に氷水とどき父が起きる
残雪らしき土塊を蹴つて見る
デパートの雛壇の裏に窓がある

引いていくととまらない。なんだかしあわせになるゆるさ。こんな句がえんえんと続く。風生の「退屈なガソリンガール柳の芽」路線だが、秋をは大胆な口語調、破調、散文調。切字はもちろん、切れがほとんどない。雑な句、しょうもない句がたくさんあるが、俳句でしか詠めない「詩」がここにはある。逆に言うと、ゆるさの裏に、俳句以外でも詠める「詩」は、俳句以外でやればいいじゃん、という意志が感じられる。

花種を蒔くことだけは自分でやる

これに似たゆるい句を以前作った(が、句会で小澤實にボツにされた)。ボツ句もたまには載せよう。

結婚式二次会花種もらひ帰る   榮 猿丸

2010年4月9日金曜日

 ― 芽から葉へ ―

  

  行く春の錨のまはりにも魚よ       青山茂根


 冬に一輪だけ咲いていた、庭の薔薇を伐って花瓶に挿したときに、茎がもったいなかったので、駄目元で鉢に挿し木してみた。通常、気温が低いときはつきにくい、まず発根するのは無理だろうとほったらかしておいた。冬の乾燥した日が続いたときに、一応その鉢にも水遣りをしておいた程度だったが、今朝みたら、新葉が出ていた。発根剤を一応塗っておいたのが良かったのか、今年の気候のためだろうか。

 イングリッシュローズのパット・オースチンという品種で、この系統の薔薇の中では四季咲き性が強いほうだろう。しかし、あまり世話をちゃんとしていないので、春・秋のシーズンにも咲き乱れるほどの花を見せてくれない。そんな、赤銅色の、思いがけず美しく咲いたその年の最後の一輪だった。私の住む辺りでは、霜が降りるか降りないかの時期に、くたびれかけた葉の中からすっくと一つ花が咲くのが冬薔薇だ。冬の休眠期に入る前に、最後の持てる力を出し切ったとでもいうように、やっと一、二輪花をつけた、という風情がいたましくいとおしい。無残な葉の状態にふさわしくないほどの、意外な大輪の花になることもあるが、たいていは、開ききるまで気温の高い日が続かずに、花弁の縁が乾燥して、色あせた花のまま、散ることもならずに枯れかけた姿を幾日も曝している。

 そもそも、四季咲き性のモダンローズでなければ、屋外でその時期には咲かないので、俳句で言う「冬薔薇」とはまずこれを指していると思われる。温室で育てられた、切花として流通している薔薇を、「冬薔薇」あるいは「冬の薔薇」として季語に使っている例をたまに見かけるが、それは本来の「冬薔薇」ではないだろう。無季の扱いで作句すればいいものを、「冬」とつけて冬の句にしているだけだ。 切花の温室で咲かせた花が持つ風情は、実際の屋外の寒さの中で咲く花とは全く異なる。

 四季咲きのバラは秋にも咲くが、暖地ではそれが冬まで続く。すでに葉の色も変わり、冬枯れの中にわずかに一つ二つ、残りの花が開く姿は、華麗な花だけに寂しさが増す。
            (『図説 俳句大歳時記 冬』 角川書店 昭和48年)

 四季咲き大輪種は晩夏に剪定する。仲秋から咲き始め、寒さに向かい渾身の力をふりしぼり咲き続け、その品種そのものの彩(いろ)を見せてくれる。最後の一輪を剪るときは、大きなためらいがある。
            (『新日本大歳時記 冬』 講談社 1999年)

 と歳時記にあるのを、育ててみて実感する。霜が降りるほどの時期に、葉や花が凍るような上からの水遣りなどもってのほかだ。そも、水遣りは株元にするのが園芸上では基本であり、夏場などの葉の乾燥を防ぐ以外は上からの水遣りはしないほうが植物にとって望ましい。

 季節がずれた話になってしまったが、その後、暦の上で春を迎えたまだ感覚的には冬の時期から、薔薇の芽は膨らみ始める。他の大方の植物の芽がまだ動きださない頃に、赤みを帯びた芽が、皮膚の下から透けて形を見せるエイリアンのように、表皮を持ち上げて次第に紡錘形を表す。そんなあれこれも、世に多く出ているどれかの歳時記には確かに載っていて、文字面だけの知識ではわかりえない微妙な色や他の植物の状態との違いを、実際に記憶しつつまた歳時記に戻って確認するのが楽しい。初春の季語である「薔薇の芽」を過ぎて、赤みがかった新葉がいっせいに開く時期もまた心躍るものがある。新葉の先端、ムーミンに出てくる謎の生物、ニョロニョロの手のような、柔らかなぎざぎざが枝一面に春の深まりへ誘うのだ。 もう今は、ほぼ葉が出揃ってきて、そこに蕾のさきがけが見えやしないかという頃合に。庭にあるもう片方の薔薇は、知り合いからもらった枝を挿し木して大きくなった一季咲きで、偶然だが、毎年変わらず自分の誕生日の頃に花を見せる。 

2010年4月8日木曜日

haiku&me特別企画のお知らせ(4)

Twitter読書会『新撰21』 第四回 「佐藤文香+小笠原鳥類」

Web同人誌「haiku&me」主宰の特別企画、Twitter読書会『新撰21』も第四回を迎えることとなりました。
※Twitterについての詳細はこちらをご覧下さい。

この企画は『セレクション俳人 プラス 新撰21』より、各回一人ずつの作家と小論をとりあげ、鑑賞、批評を行うもので、全21回を予定しております。第四回以降は原則として隔週開催とします。

第四回は佐藤文香さんの「真昼」と、小笠原鳥類さんの小論「無人の風景を見る?」をテーマとします。

「haiku&me」のレギュラー執筆者が参加予定ですが、Twitterのユーザーであれば、どなたでもご参加いただけます。主催者側への事前の参加申請等は不要です。(できれば、前もって『新撰21』掲載の、該当作者の作品100句、および小論をご一読ください。)

また、Twitterに登録していない方でも、傍聴可能です。(傍聴といっても文字を眺めるだけですが。)

■第四回開催日時:2010/4/10(土)22時より24時頃まで

■参加者: 
haiku&meレギュラー執筆者
+
どなたでもご参加いただけます。

■ご参加方法:
(1)ご発言される場合
Twitter上で、ご自分のアカウントからご発言ください。
ご発言時は、文頭に以下の文字列をご入力ください。(これはハッシュタグと呼ばれるもので、発言を検索するためのキーワードとなります。)
#shinsen21
※ハッシュタグはすべて半角でご入力ください。また、ハッシュタグと本文との間に半角のスペースを入力してください。

なお、Twitterアカウントをお持ちでない方はこちらからTwitterにご登録ください。(無料、紹介等も不要です。)

(2)傍聴のみの場合
こちらをご覧下さい。

■事前のご発言のお願い
(1)読書会開催中にご参加いただけない方は、事前にTwitter上で評などをご発言いただければと思います。

(2)ご参加可能な方も、できるだけ事前に評などを書き込んでいただき、開催中は議論を中心に出来ればと思います。

(3)いずれの場合もタグは#shinsen21をご使用ください。終了後の感想なども、こちらのタグを使用してご発言ください。

■お問い合わせ:
中村(yasnakam@gmail.com)まで、お願いいたします。

■参考情報ほか:
・第一回読書会のまとめ
・第二回読書会のまとめ
・第三回読書会のまとめ

新撰21情報(邑書林)

・-俳句空間-豈weekly、新撰21竟宴、シンポジウム第二部の全記録

・『新撰21』のご購入はこちらから

2010年4月6日火曜日

初心者連句入門 第1回 連句とは   葛城真史

 連句とは、言葉を連ねてつくる”宇宙のミニチュア”である。
 何の前置きもなくこの一文を冒頭に提示したのは、これが連句というものの本質をついていると思うからである。
 私事であるが、私は学生時代から「草門会」に参加している。連句協会の常任理事・川野蓼艸(かわのりょうそう)、『現代連句入門』の著者・山地春眠子(やまじしゅんみんし)らが昭和62年に立ち上げた連句結社である。その例会の席で、特別ゲストとして招かれた俳人・眞鍋呉夫(まなべくれお)先生に、二度ほどお目にかかった。
 二度目のとき、眞鍋先生は孫のような年齢の私に、
「貴方は連句をどう思っていますか?」
 と丁寧にお尋ねになった。私はナマイキにも冒頭の一文のように答えた。
 すると、眞鍋先生が、
「これは大変なことをいいました。僕は芭蕉も同じことを考えていたと思う」
 とおっしゃったので、私は感動し、以来、連句とはどのようなものかと人に聞かれたとき、自信を持ってそう答えることにしている。
 松尾芭蕉の名がでた。江戸期における巨大な「俳句の名人」として知られ、学校でもそのように教わるが、厳密にいえば、誤りである。「俳句」とは、近代になって、正岡子規が連句の発句(ほっく=第一句目)を独立させ成立せしめた、日本文学史的にいえば、比較的新しいジャンルなのである。
 つまり、元来は「連句」であった。近代以前のそれは、「俳諧の連歌」(はいかいのれんが)、あるいは単に「俳諧」といった。だから、正確にいうと、芭蕉は「俳諧の名人」にほかならない。
 以上は、余談である。連句の歴史について、ここでは長々と書くつもりはないし、第一、正直にいうと、筆者はさほど精しくもない。この稿は、あくまでも実践のための「初心者連句入門」としたい。
 引き続き、連句の概要について。
 歴史を語るわけではないが、芭蕉の言葉を引用する。

「たとえば歌仙は三十六歩なり、一歩も後に帰る心なし」(『三冊子』)

 ここでいう「歌仙」とは、三十六句からなる連句のこと。後戻りをしない、というのは、連句の大きなルールのひとつである。つまり、連句は、前句を解釈し、一句ずつ連ねて作り上げる文芸作品であるが、同作品中に一句でも類想の句があってはいけないのである。付け句をしながら、イメージを新たにし続けてゆく。俳句が世界の”一瞬”を切り取った一枚の絵画であるとしたら、連句は、次々に場面を転換して一個の世界を成す映画といえるであろう。
 ついでながら、俳句と連句の違いを今ひとついう。現代俳句は「写生」を重視し、俳人たちはその鋭き観察眼をもって日常の何気ない”一瞬”を切り取り、詩と化し、その驚きと感動を我々に伝える。
 しかし、逆にいえば、現代の「写生の」(と限定しておく)俳句は、目に見えるもの(実感できるもの)以外の多くを切り捨ててしまったといえるかもしれない。
 連句は、ちがう。俳句が、地に足をつけて詠むべきものだとしたら、連句は、地を離れ、高く大空へはばたいて、あるいは宇宙へ飛びだしてしまっても良いのである。つまり、あまり荒唐無稽な俳句は嫌われるが、連句は、虚実の世界を自由に往き来し、遊ぶことができる。そして、それこそが、連句の魅力なのである。
 冒頭の”宇宙のミニチュア”という表現には、そういった意味も含まれている。


 このブログの管理人である俳人・中村安伸氏の言葉に甘え、連句についての連載をさせていただくことになった。連句人口は、俳句のそれに比べ、非常に少ない。とりわけ若者が少なく、冒頭に名前の挙がった蓼艸さん(そう呼ばせていただいている)と私は、連句の未来について、憂いを共有している。おそらく、このブログには若い読者が多いと思う。拙文でどれだけの人に連句に興味を持っていただけるかはわからないが、少しでも増えてくれることを願うばかりである。
 今回は、連句の概要について、あまりにも大ざっぱに触れた。次回より、さらに詳しく書いていきたい。

2010年4月3日土曜日

スノーシューの雪上ハイキング   広渡敬雄

山笹の擦れあふ音の春めきぬ       広渡敬雄

今年の二月、仙台の近郊の船形山で高齢の登山者が遭難した際、翌朝の捜索隊の全員がスノーシューで入山していた。以前ならば、樏であっただろう。
樏(ワカン、輪かんじき)は、古今から雪国での生活に不可欠なもので、竹や木を曲げて作られていたが、今は、金属製のものが多い。

   樏をはいて一歩や雪の上   虚子

最近、スノーシューでの雪上ハイキングが静かなブームである。
特に奥日光の戦場ヶ原~湯元温泉あたりは、二月から三月にかけては、ハイカーが絶えることがない。
スノーシューは、特に練習や訓練をせずとも、たやすく雪上を歩きまわることが出来るし、誰も踏んだことない雪原を、どこ構うことなく歩き回れる。
そのことで、最高の開放感が味わえ、皆自然と笑顔となるから不思議である。

筆者も、雪山や雪原でこれまで樏、アイゼンを使用してきたが、雪原ではスノーシューに限ると思い始めている。接地面積が広いため、新雪でもそう沈まないし、かなりの硬雪も裏側の金属製のツメで滑りにくい。

山登りでは、やはり山に登ることに集中し、呼吸も乱れるためか、休憩時以外には、余裕をもって周りを観察することがないが、スノーシューの場合は視覚、聴覚、臭覚を自然に委ねることで、おのずから自然の方も自分に集まって来る感がある。

三月中旬、奥日光・戦場ヶ原は雪がかなり少なくなっていたので、その奥の小田代ヶ原まで足を伸ばした。
戦場ヶ原南端の赤沼パーキングから雪解けでやや水量の多い湯川に沿ってしばらく歩く。

  折れ羊歯の浸りて動く雪解かな  

湯川には、番の鴨がのんびりと遊んでいた。
冬季には氷点下20度以下にもなるこの地で、大丈夫かなと心配もしたが、彼らにとっては要らぬお節介だろう。雄の青首が印象的だった。

風のない氷点下20度の朝は文字通り「ダイヤモンドダスト」の世界だという。
是非一度は見てみたいものだが、最近は冬季でも滅多に見られないそうだ。
湯元温泉方面への人気コースの分岐を過ぎると一気に静寂の世界となる。
橋を渡ったところで、膝までのロングスパッツとスノーシューを装着する。(※写真①)









スキー同様ビンデングで靴をスノーシューに装着するが、靴が登山靴なので、スキー靴のような圧迫感がなく開放的で良い。
といっても、第一歩目は少々浮き上がった感じもするが、もう二歩目は足になじんでいる。

大きなみずならの樹が、雪が融けて顔を出した笹原のなかに立ち現れる。
葉を落とした高枝に、やや薄緑のやどりぎが眩しい。
やどりぎはこの季節しか太陽を独占出来ないためか、精一杯生育しているようで、早春の色を発散している感もする。

    やどりぎにさみどりの日の当たりけり

その太幹の中程に機械で開けたような小さな穴を見つけたが、あとで調べると赤ゲラ(きつつきの仲間)の仕業らしい。そういえばそれらしい鳥影も見えた。

雪解けはこの数日の暖かさで一気に進んでいるようだ。燦々とした春日では、1日30センチ以上も融けるとも言う。
時々、ゆるやかな傾斜もあるが、総じて平らなコース。
両手のストックを交互に雪に差し込んで白樺を縫うように進む。
一応夏道を行くが、どこをどう行こうと自由なのが、スノーシューの雪原歩きの醍醐味。
夏場なら1メートル近い丈の笹や藪で歩けないところだが、ショートカットして歩く。
 (※写真②)









突然、北側からのスキー跡と交差する。山スキーの連中にとっては傾斜が少ないので、まあクロスカントリースキーみたいなものか。(本格的な山スキー ※写真③、④、⑤)



























戦場ヶ原方面に一直線にシュプールが伸びている。

   山笹にばさと飛び散るスキーの雪

しばらくして、やや風が出てきたと思ったら、ぱらぱらという音がした。
驚いて見上げると何かきらきらするものが、降ってくる。
霧氷だった。今朝は冷え込んだので、枝々の霧氷が風と陽気で落ちてきたのだ。
その落ちてきた霧氷を口に含む。冷たいが、歩いて来てやや温まった身体には心地良い。

もう30分は歩いただろうか。
雪上に黒豆みたいなものが見える。鹿の糞だ。
このあたりは、鹿の害がひどく、たしか小田代ヶ原あたりも鹿に荒らされないために
進入防止柵や電流柵があると聞く。

奥日光から金精峠を越え、尾瀬ヶ原にも日光の鹿が侵入し湿原を荒らしていると言う。
航空写真が写した「尾瀬ヶ原」には無数の鹿の踏み跡が見られる。

幹の皮が剥がれて痛々しい姿をとどめる樹があった。
鹿が食べたのか、あるいは角研ぎか。
もう笹も雪上に顔を出しているので、それを食べればとも思うが、彼らには小さな木の皮も美味いのだろう。

遠くで雪崩の音がする。
この季節の午後は雪崩の時間。まあ今いるところは全く心配ないが、、、、。
関東以北で最高峰の奥白根山(2577.6米)の前衛峰の外山(2204米)、湖上山(2109米)の谷筋だろうか。
真近だと、腹にどすんと響く衝撃がすざましいが、遠いためか遠花火の音の様でもある。
ふと、藤田湘子の第一句集「途上」の奥日光と前書きの「引鴨に一夜の雪や前白根」を思い出した。若き湘子の叙情の迸る筆者愛唱の句だ。

振り返ると自分が歩いてきた跡が延々と続いているのも、雪原歩きの嬉しさのひとつで、爽快な労働のあとがくっきりと残っており、自分を褒めてあげたい気持ちにもなる。
このあたりも、普通の靴なら30cmは沈むだろうか。
雪原は一度踏み抜くと、靴の周りの圧雪が固まり足を雪原に出すのも難儀なものとなる。

落葉した樹々の上から、早春の太陽が照る。
この季節、雪と太陽の双方からの光線は眩しい。
休憩がてらに、顔と首筋に日焼け止めクリームを塗り、サングラスをかけた。

白樺やぶなには、しっかりと冬芽がついている。
唯一冬も葉を落とさない石楠花にも尖った冬芽が見える。
彼らも今か今かと出番を待っているようにも見え、いじらしい。
森の精は休んでいるのだろうか。静かだ。

ぶなは根の周りの雪が、あたりよりいち早く融けて、丸い窪地となる。
その窪に兎らしい糞と小便あとの沁みた黄色い雪があった。
鹿、兎はその繁殖力がすざまじく、当然その足跡等もよく見られる訳だ。

このぶなもあと1ヶ月少々で一気に芽吹き、目に鮮やかな新芽そして新緑の葉を漲らせることだろう。まさにスプリング真近と言える。

戦場ヶ原・三本松の民宿の主人から聞いた話しだと、戦後海外から引き揚げて戦場ヶ原の東の原野(当然に大半は林)の開拓に従事。片道1時間半をかけて、下の中禅寺湖の小学校まで通ったとのこと。桜も湖畔より1ヶ月弱遅く、霜の降りないのは6~9月の4ヶ月間のみ。
そんな厳しい自然環境のため、米麦でなく高原野菜栽培だったと言う。
但し、最近は、地球温暖化現象のためか、以前より半月以上も、季節の訪れが早まったと首を傾げていた。

程なく、戦場ヶ原展望台に着く。
まだ一面の雪原だが、白樺がほど良い間隔で茂っている。真正面に太郎山(2368米)。
どっしりと存在感あり、その山麓あたりが光徳牧場かなと目処を立てる。
しばらく、雪の上に腰を降ろし、展望を楽しむ。確かな春の息吹が光線からも感じられる。
こんな時に、尻に敷くのは、もう20年以上前から愛用の「狸の尻当て」。
何となく「またぎ」になった気分をいつも味わう。さすがに雪の冷たさも湿りもない。

ふたたび、誰一人歩いていない雪原を小代田ヶ原に向かう。

みずならの大木に洞がある。よく栗鼠やヤマネの巣があるが、棲んでいる気配はない。
この大木には、「キケン注意」の木札が付いていた。上の大枝が折れて落ちてくるらしい。
大枝を空に吸われる様に拡げている姿は感動的だ。
ふと拙句「みづならは綿虫の来る淋しい木」を口ずさんでいた。
雪原にやや黒い小粉が散ばっていたが、みずならの樹皮だろうか。

どこを歩いても良いということは、どの景も同じであるため、霧や吹雪でホワイトアウトの時は、磁石等で位置を確認しないとパニックに陥る。
筆者も何度か経験しているが、一瞬に霧が出る場合もあり油断は出来ない。
磁石、高度計、GPSがあれば、安心だ。

時々、兎か狐らしい小動物の足跡がある。
北海道の山では、羆の足跡、糞で緊張したこともあるが、奥日光のこの季節では、熊はまだ冬眠中だろう。但し、春以降のこの場所は熊避けの鈴、笛が必携だ。

雪面にコナラの葉が、葉脈だけの標本みたいになって落ちていた。
その葉先に少し融けてきらきらと光る雪片が美しい。

遠くから、トントントンと木を突く音がして、しばらくすると止んだ。
そしてまた始まる。先ほど見た、赤ゲラやコゲラだろうか。
静謐な時間の中をコゲラが樹を突く音が小気味よい。
この空気の何とも言えぬ豊かな安堵感!

小代田ヶ原の鹿進入防止柵を入ると、戦場ヶ原と違いやはり雪が深い。
兎かそれを追う狐の足跡が誰も触れてない雪原に遠く伸び消えている。

さあ、雪上の最大の楽しみの食事の場所は、小田代ヶ原の大雪原の真ん中という贅沢。
今度は、奥日光の主峰・男体山(2398米)が真正面だ。
ガスコンロで湯を沸かし、クロワッサン、ハム入りサラダ、シチューにコーヒー。
そして、デザートの伊予柑が美味い。

雪を融かしても良いが、今回は水筒の水を使う。
のんびりと小一時間を過ごす。この季節の午後は、日が差しているとそう寒くもなく
雪原一面に広がるコーヒーの香りの至福感に浸る。
寒さが厳しい時は、毛糸の目出し帽が不可欠だが、今日は不要のようだ。
そう言えば煙草を止めて10年くらいになるのかな、、、以前なら紫煙を胸一杯吸い込んでいたし、うまかったが、、、。
スノーシューの良さは、登山の様に気合を入れずに日常と同じ感覚で歩き出して、殆ど息も乱れず、直ぐに非日常の世界に浸れることかも知れない。
自然との肩肘を張らずに向き合うことも最大の魅力なのだろうか。
登山は登山で、その良さも限りなく魅力的だが、、、。

のんびりと往路を戻る。自分が来たトレースを忠実に辿る。
このトレースはホワイトアウトの際には文字通り生還の唯一の道標ともなるが、雪が降り出したら、あっと言う間に消えてしまう。

のんびり歩いて1時間少々で赤沼パーキングに着く。
戦場ヶ原の白樺の疎林を見た後、湯元の温泉に浸かり千葉の自宅に戻った。


参考文献:「雪上ハイキング・スノーシューの楽しみ方」 瀬戸圭祐著

写真: ①スノーシュー
    ②戦場ヶ原展望台手前
    ③岡山県津山・奥津温泉近郊 泉山(1209米)3月春雪山行
    ④、⑤ 日本百名山、新潟県魚沼・巻機山(まきはたやま、1967米)
     ④:割引岳山頂、⑤:御機屋
     ともに春山スキーのメッカ(勿論、スノーシューもOK。)
     5月の連休でこの雪量!、以前はスノーボーダーも登って来ていたが最近は見かけなくなった。

地図:戦場ヶ原付近

2010年4月2日金曜日

 ― 水辺から ―

 おたまじゃくしがいた。といっても、タイでの話だ。まさか海外で、まさに当季の季語を見つけるとは思わなかった。

 五日間ほどの旅で、あまりせわしく観光などに出かけるのが好きでない私は、いわゆるリゾートホテルとビーチの往復しかしなかった。宿の、現地の伝統様式のサラタイプの部屋の玄関の前には、小さな池が作られていて、ドアの脇に三つ並んだスイッチの一つは、その池に据えられた細長い壷から、小さな噴水が吹き上がるという仕掛けだった。そこに、おたまじゃくしがいたのだ。見つけたのは子供だが。

 夜に、明かりを落とし、子供達が眠りに落ちると、何かの音がいっせいに、音楽のように流れだした。なんだろう、こんな夜中に?と訝しく思って、あ、と気づいた。蛙の声だったのだ。丘の斜面に、海を臨むように立てられたサラの下は、また細長い池になっていて、水辺の植物が植えられていた。音はそこからしていたのだった。

 闇の中、ずっと、時折止んではまたいっせいに始まるその合唱を聞きながら、アジア的なもの、ということを眠れない頭で考えていた。そういえば、飛行機が着陸に向けて下降をしているときに、まず見えてきたのも田んぼだった。おそらく何期作かの、そこには風に揺れる緑の葉はなかったが、四角く区切られた、泥色の水をたたえた景色は、強烈な熱帯の太陽の光に包まれながら、何か懐かしい。

 以前、五月くらいに、アジアの他の島へ行ったときも、まだ生暖かい夜の宿の柱で、守宮が出迎えてくれた。そして、狂おしいほどの螢の群れだった。日本の螢のような、柔らかな光ではない、まさに真闇の中の、乱舞の激しさで。

 どこに行っても、思いもかけない何かが、原点として立ち現れる。邂逅というべきか。



  泥色の瞳も髪も目借どき          青山茂根

2010年4月1日木曜日

青春ラジカセ

「NHK青春ラジカセ」というサイトに、かつて放送されていたNHK-FMの番組「サウンドストリート」がアーカイブされていることを知った。しかも、その公開が3月末で終了ということだったので、慌てて何本か聴いてみた。ちなみにこの記事を書いている4月1日午前4時現在、まだサイトは生きているようである。

アーティストや女優、音楽評論家といった人々がDJをつとめていたこの番組は、1978年から87年、つまり私が小学~中学生だった頃に放送されていたものである。当時継続的なリスナーではなかったが、折々に自然と耳に入ってきていた記憶がある。

81年3月に5回にわたって放送された「坂本教授の電気的音楽講座」は、坂本龍一がローランドMC-8というシーケンサーや、プロフェット5アープ・オデッセイといったアナログシンセサイザーを駆使して、当時としては最先端の電子音楽を制作していく過程を記録したものであり、非常に資料的価値の高いものだと思う。ドラムはチキチキというハイハット音だけをプロフェット5で作成して自動演奏し、他のパートは教授自身がドラムセットを叩いていた。また、シーケンサーへのデータ入力は、プログラマーが音を数値化し、キーを叩いて文字通り「打ち込んで」いた。

もちろん単純に比較すべきものではないが、最近観たこの動画では、applegirlと名乗る女性が、数台のiPhoneを使ってLady gagaの「Poker Face」を再現する様子が記録されていて、その手軽さに隔世の感をおぼえた。

80年12月放送の烏丸せつこDJの第一回では、冒頭、彼女に交代した先代DJ甲斐よしひろのファンから送られた抗議ハガキが読まれ「おまえなんか大嫌い!」という文面に対して烏丸が「私もあんたなんか大嫌い」とかえすという、スリリングな展開が繰り広げられていた。

87年3月放送の、佐野元春DJの最終回とその前回は、多くのリスナーと直接電話で会話し、番組や元春へのメッセージをもらうという内容だった。電話口に出てくるリスナーたちの声や言葉がとてもキラキラした感じで、素敵だった。

私の文体も若干80年代っぽくなってしまったようだが、昔のテレビ番組の動画をyoutube等で観る場合に較べ、ラジオ番組などの音源は、同じ年代のものであっても、より鮮度が高い気がする。

アナログメディアの信号劣化などは別として、動画の場合、たとえば画面の端々に映る衣装や髪型などから「印象の経年劣化」がはじまるのだろう。そして、大雑把にいえば、情報集積度の高いメディアのほうが劣化しやすいという法則がありそうな気がする。そういう意味では、俳句などは最も劣化しにくい類のものなのかもしれない。もちろん、はじめから劣っている場合はどうしようもない。

春雪や江ノ島姉妹解体ショー   中村安伸