2010年11月19日金曜日

 ― 転ぶときの空 ―

  
  蒲団にも舵といふものありとせば      青山茂根

 
 ほの暗い起き抜けのひとときが過ぎて、家々の屋根の隙間から次第に青空が広がっていく冬の朝は、ふと氷湖を思い起こす。周囲を針葉樹の山々に囲まれた、凍りついた、天然の湖。記憶の底にある、小さな原石の光で。

 街中にある、青天井をもつアイススケート場は、ニューヨークの冬の風物詩として毎年ニュースで伝えられるし、欧州の北のほうへ行けば、市民の冬の楽しみとして一般的なものらしい。ここ数年、いささか整いすぎに修復された横浜の赤レンガ倉庫(以前の、薄暗い、所々欠けたりした不ぞろいな煉瓦の作り出す陰影も良かったのだ)の前でも、真冬のイベントとして、屋外のスケートリンクが作られる。夜空と、ライトアップされた光景はなかなかのもので、数回見に行ったが、いざスケート靴を履いて銀盤に足を乗せてみると、氷の状態があまり良くないのが気になってしまい、それから滑るほうはしなくなってしまった。暗い海を背景にした、白く発光するその一ところは、見るためにだけ訪れても充分価値があるけれど。

 というほど、スケートが上手いわけではなく、偉そうなことは言えないのだが、幼い頃、連れて行ってもらった山の中の天然のスケート場が時折目に浮かぶ。厳寒期に凍った湖を、磨いて作られたその光景は、半透明の氷の輝きが鏡などというより、その奥に氷の宮殿でもあるのではと思えるような、神秘的な輝きを放っていた。長野県の、麻績(おみ)村というところで、特に係累があるわけでもないのに母が気に入って数回訪れた地だった。幼い頃、数日間泊り込んで現地の方にスケートを教えてもらったのだ。街中のスケートリンクと違い、貸し靴がスピードスケート用しかなくて、初心者には立っているのさえ難しかった。スピード用は、刃が薄いので体重を乗せるコツがつかみにくい。フィギュア用の先にぎざぎざがついた靴ならどんなに良いかと思いながら、しかし、氷が傷つくからそこでは禁止されているという話だった。屋内のスケートリンクのように、周囲につかまるところもあるわけではない。冷たくなる指先と、転んでばかりで痛むお尻、寒風でゆるむ鼻先と、あまり良い思い出ではなかったのだが、なぜか、何十年も経った今になって、あの氷湖の風景が蘇る。そのつらかった特訓のせいか、それ以後はあまり街中のスケート場にも足を運ばなかった。なので上達しないまま年月が過ぎた。

 幼いものを連れていくようになって気づいたのは、同年代の母仲間などが結構スケートに親しんだ世代だったらしいことで、自分専用のスケート靴を持っている人までいる。数回連れて行っただけなのに、いまや幼いものたちのほうが上達してしまい、一人で練習を重ねながら、あの湖も、近年の暖冬でスケートが出来るほどには凍らなくなってしまった、という話を思う。いつか、スピード用の靴で、あの氷上を滑走したかったのだが。
 

2010年11月5日金曜日

 -― 人生変えたい? ―

 
 未知なる食べ物との遭遇は、いつも胸躍るもので、といっても流石にゲテモノに挑戦するのは控えている。ベトナムは爬虫類から両生類、昆虫関係までかなり豊富という話だが、私が行った数日前にそういった飲食店もある巨大市場界隈で外国人観光客の強殺事件があったとかで、現地旅行社の人に止められたので行っていない。いえ、正直なところやはり見た目も美味しそうなものが食べたい。意思が軟弱なだけだ。未踏の地の未知なる味に常にふらふらと吸い寄せられてしまうのだが、いまだ蝙蝠のスープさえ体験していないのは少し恥ずかしい。

 旅先でつい、アジア各地の料理店を探してしまうのは、やはりアジアの片隅である日本に育った者の胃袋がそちらを求めるからか。欧州などで、タイやベトナム、中国料理などの高級店に入ってしまうと、ヨーロピアン向けの味にアレンジされていたりして外す場合が多い気がするが(その国の人々が住む移民街にある店は簡素でも味は本場っぽく美味。しかもお財布に優しい)、インド料理は東京以外なら(東京は外す店多し!怒!)、自分が行ったことのあるいくつかの国の大都市においてではあるが、どこもアジア人には満足いく味であったように思う。つまりどこの国に行ってもインド料理屋を見つけると入らずにはいられない習性らしい。そしてどこの大都市にもなぜかインド料理屋の看板は見つかるのだ。(あ、ユダヤのサンドイッチ、ピタに挟んだファラフェルも大好物。先日のワールドカップ中継のとき、オシム氏の解説の様子がツイッター上で流れていたのだが、中継時につまむメニューのラインナップに、スシの翌日ファラフェルサンドが登場したときは、おお!と感動した。たぶん私以外誰も覚えていない?)

 なのに、インドへは一度も行っていない。学生時代から周囲にはインドを旅してきた人ばかりで、学生の貧乏旅行からマハラジャの宮殿ホテルを渡り歩いてきた親世代までいろいろ話だけは聞かされてきた。「インドへ行くと人生変わるよ」という言葉も以前よく聞いた。昔なつかしのチューリップという音楽グループが再結成をしたときに、「この人はインドへ行っちゃって、そのままなんですよ」と財津和夫に紹介されていたギタリストがいたが、確かにそんな、インドへ行って人生変わっちゃいましたといった風貌だった。本当に、「人生変えたいんだー」と言って出かけて行った友人もいたが、その後も会社員は続けていたような。いやあれはどろどろの恋愛関係をなんとかするためだったのかも。ま、そういう状況での場面転換的にも、使われるツールがインドへの旅であった気がする。同様に使われていたものとしては、「ちょっと、ネパール行ってくる」もあったが、どちらも私は訪れていない。

 やはり絶版になっている本ながら、インドといえば!というのが、『星降るインド』(後藤亜紀 著 講談社 1981)。単なる旅行記ではなく、2歳と6歳の子供を連れてインド大使館勤務の夫とともに現地で暮らした記録であり、様々なカーストの人々と、時に友人として、使用人を雇う側として、関わった事実が描かれている。それぞれの階級に、職業に属する人々の考え方、日々の食物や幼いものの成長を通して、見えてきたありのままの姿は、生半可な知識や偏見を吹き飛ばしてしまう。もちろん、その書かれた当時とは時代も違うし、世界的にIT化が進んだ現在には当てはまらない面もあるのかもしれないが、根本的な人々の考え方は、この著者が体験し、見つめてきたままなのだろうと思う。何度も読み返し、そのたびに、「いつか行くぞ!」と思っているだけの臆病な読者ながら。


  菊人形の中にアダムとイヴ探す      青山茂根   

       

2010年11月2日火曜日

「ちっちゃいって言うな!」と小日本は言った   上野葉月

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