2009年9月17日木曜日

haiku&me 8月の俳句鑑賞

エクリの筋肉   櫻本 拓


水に棲むやうに遠雷を聞きぬ   青山茂根

しとり、とした感覚をみました。アパートのベランダからおしろい花が雨に濡れるのを見る様な。なにやら、水に住むように遠雷を聞く、という事柄にはイメージの出発点としての強度があるように思える。つまり、この心象風景にどこか共感を覚えることができるということなのです。
どこへも腰をおろさせて呉れないようなところ、ふわりと余韻を欠落させたような態度も気になるところ。あら、なにか、イメージが立ち上がると見せて、直立はさせない。
そういった完結しない、イメージがよぎっては、澱のようなものを残して去ってゆく。陥没したアスファルトにできた冷たい水溜まりの底の、細かい砂のようなイメージと不安定な俳句のリズムがうまく一致したようなところがあるようにも思う。
ただ僕は、この句に関して端的に言えば、耽溺したくなるような湿度を帯びている。そこが好きなのだと思います。


秋の蚊やジグソーパズルとなる笑顔   中村安伸

かゆい、かゆい。
虫刺され跡にも色々ありまして、この場合、どうやら、広い範囲にはれ上がるパターンのようです。
「笑顔」ときて、初めて、口角があがるとき、さぞうっとうしいだろうというような、触感覚をもって読み手に迫るのである。そしてこの「笑顔」によって、虫に刺さされた顔のジグソーパズルという表現も特に生きてくるように感じる。


ロックフェスティバル先づ麦酒のむ草に坐し   榮 猿丸

この句は好きです。
ロックフェスティバル先づ麦酒のむ」までの期待感、俳句らしからぬ、軽やかで新鮮な雰囲気、モチーフ選びの妙。大凡のものでないものをかんじます。ただ、草に坐し、とおさまると、すこし、座りが良すぎるというような、なんというか、物足りなさがなくもない。見たことのある場面。それ自体が悪いわけではないが、もう一歩、ズイと肉迫する五文字。熱くなって、細い煙がたつような五文字。しばしつかみよせる握力。あればもっと、もっと素敵だと思う。


すいかバー西瓜無果汁種はチョコ   榮 猿丸

大体において、料理に於いて失敗の原因になるものは味見のし過ぎ、それによる味濃度の上昇である。できたら、ハイ!これの大切さ。灰汁のなさ。ただ見つけたもののさり気なさ。(さり気ないということばの帯びた、あざとさ、これはいまだけ忘れて呉れ)


穴開きしれんげや冷し担々麺   榮 猿丸

軽いと軽妙の間。作為が見えない、形のよい小石の様な所があるように思えます。加えてそれを五七五として生み出す不自然に発達したムスケルの存在も感じることができた。ダイエット効果もある穴開きレンゲをよろしくおねがいします。

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