帰省中の私の急なお願いにもかかわらず、関西の豈同人を中心に、15人もの俳人の方々が集まってくださった。
当日会場では子規と虚子を中心とする特別展があり、二人とその周囲の俳人に関する書などが展示されていた。
子規の『仰臥漫録』のコピーなど、興味深い品の多いなか、特に目をひかれたのが高浜虚子と河東碧梧桐の書であった。
高浜虚子の書は当然ながら数多く展示されており、自然と目に入ってくる。
碧梧桐のほうは、軸や短冊が数点のみの展示だったが、他のどの俳人の書と比べても圧倒的な異彩を放っていた。
虚子と碧梧桐は、子規の門人として双璧をなすが、その作風や生き方など、すべてにおいて対照的である。
彼らが書く文字についても、やはり対照的であるという印象を受けた。
虚子の文字は紙に対する文字の大きさも、文字同士の大きさの比率も、実によくバランスがとれている。
するするとなめらかな、ある意味女性的な筆致である一方で、ゆがみや傾斜のない、しっかりした骨格をそなえている。
独特の丸みがあり、文字のひとつひとつが粒のそろった球体のようである。
それに対して碧梧桐の文字はとてもユニークである。
線は野放図に太く、紙の平面いっぱいに墨の勢いをほとばしらせている。
文字の大きさもまた自由自在であり、不自然に巨大な文字があるかと思えば、スペースが足りなくなったのか、メリハリのつけすぎか事情はわからないが、極端に小さく書き込まれた文字もある。
かたちも独特で、折れや曲がりの部分は90度になっていることが多い。紙が長方形だからだろう。
長方形の紙という制約のなかで力いっぱい暴れまわる碧梧桐。
端正であるが、何食わぬ顔をして紙から抜け出てしまいそうな虚子。
どちらも好きだが、怖いのは虚子のほうだろうか。
水の秋余白を毀す碧梧桐 中村安伸
芦屋の句会では、いろいろとありがとうございました。
返信削除虚子と碧梧桐の字の違いを、当日はあまり注意を払えていなかったので(子規直筆の「仰臥漫録」のコピーが面白かったものでして)改めて伺ってなるほどと思いました。
2人の字の違いを考えると、子規への意識や近代のなかでの俳句の位置づけなどなど、2人が時代とどう向き合ったかへの興味がさらに沸いてきます。まだまだ見えていないところ多いなあとこのような場所に行くといつも思わずにいられない私です。
次はわたしが東京、ということになるでしょうか、
お会いできる機会ができたら、よろしくお願いいたします。
岡村さま
返信削除こちらこそお世話になりました。
『仰臥漫録』おもしろかったですね。わたしは一部しか見ていませんが。
句をつくりながらだったので、展示をもうすこしじっくり見たかったなと、すこし残念です。
『鑑賞現代俳句全集』(1980 立風書房)の月報Ⅲに、虚子と子規と碧梧桐の短冊の話が出てました。「現代俳句を語る」の座談会の冒頭で、飯田龍太、大岡信、高柳重信、吉岡実が話題にしています。それぞれの字の違いを語り合っていて面白いです。
返信削除茂根さま
返信削除それは恥ずかしながら未読でした。非常に興味深いですね。