Twitterというウェブサービスをご存じない方も多いかもしれない。
ブログとチャットの中間くらいの感じのモノで、なんにせよ使っていただくことが理解への早道ではあるが、もうすこしだけ具体的に説明しておきたい。
まずはTwitterのサイトでアカウントを登録する。
もちろん無料であり、mixi等のSNSと違って紹介なども不要である。
ちなみに、登録しなくても他人の投稿の閲覧、検索は可能であり、Googleなどの検索の対象にもなっている。
登録するとTwitter内に自分のアカウントに対応したページが作られ、そこへ140文字以内のテキストを随時投稿することができる。
この時点では時系列にしたがって自分の投稿が表示されるのみだが、他のユーザーを「フォロー」すれば、そのユーザーの投稿も同時に表示されるようになる。
この、フォローしているユーザーたちの投稿と自分の投稿がごちゃまぜに表示されているビューのことをタイムライン(TL)と呼ぶ。
時の流れとともに上から下へとさまざまな記事が流れて行く様子を、川にたとえる人もいるようだ。
フォローするユーザーが増えると、TLの流れはより速く、より多様になる。
また、自分をフォローしているユーザーに対しての返信機能もあり、TL上での対話もしばしば行われる。
ちなみにTwitterへの投稿のことを日本語では「つぶやき」と呼ぶ。
英語のtwitterは「囀る」という意味だが、直訳すると若干ネガティブな印象があるので「つぶやき」となったのだろう。
Twitterの機能のひとつにハッシュタグ(タグ)というものがある。
これは、つぶやきの文中に「#」ではじまる半角文字列を挿入し、それを標識として仕分けを行うというものである。
この機能は検索機能とリンクされており、タグの文字列をクリックすると、そのタグを含むつぶやきが一覧表示される仕組みになっている。
たとえば#haikuというタグ(英語圏のユーザーがほとんどなので、このタグは事実上英語のhaikuに対応している。日本語の俳句に特化したタグとしては#jhaikuというものがある。)を使って俳句を投稿している人もいるし、#tankaというタグもある。
つぶやきに挿入した#tankaというタグをクリックすると、Twitter上に投稿された短歌作品が新しいものから順にずらりと表示されるというわけである。
このようなタグのなかで日本語ユーザーに人気のあるもののひとつに#twnovelというものがある。
これは小説家の内藤みかさんが提唱されたもので、140文字(実際にはタグと区切りの半角スペースがマイナスされるため、131文字が上限)の範囲内で完結する小説を対象としたものとされている。
現在かなりの数のユーザーによってこのタグを使用した作品(「Twitter小説」「Twitterノベル」「ついったー小説」などと呼称される)が投稿されており、一日の投稿数が200以上にのぼる日もある。
私も先月半ばくらいからこの形式による創作を実践しており、一日4~5篇を投稿していたときもあった。
今では少しペースダウンしているが、これを書いていると、約130文字という制約はなかなか絶妙であるという気がしてくる。
最初のうちは書くことが非常に楽しく、熱に浮かされたような感じで書いていた。
この楽しさは俳句や短歌を作り始めたときの高揚感に似ていた気がする。
このタグの定義、使用範囲については、過去若干の議論があったようで、長編を連載する場合には使用せず(シリーズものは可)一話で完結するものに限るということがおおよそのコンセンサスとなっているようである。
私なりにこれを定義してみると「Twitterの文字数制約内で書かれている、完結し、自立した日本語の散文による文芸作品」ということになるだろうか。
フィクションかどうかという点で線を引くことも可能だが、私小説のようなものを排除したくないという思いがある。
自立という点で、批評、評論に類するものは除かれるだろう。
また、完結という点で続き物の長編は除外される。
俳句、川柳、短歌などの定型詩や自由詩も、散文作品という点において対象外となる。
散文詩はおそらく上記の定義のボーダーライン上のものとなるだろう。
私自身の作品についても、小説というよりは散文詩に近いものが多いと思うことがある。
#twnovel 鹿から鹿をつくる奈良の鹿職人。一頭の鹿から二頭の鹿を作れるようになると一人前だが、修行はきびしい。三頭の鹿で一頭をつくるところからはじまり、数年で二頭から一頭を作れるようになる。もちろん彼らは奈良公園の鹿の数を増減させないよう細心の注意を払っている。
#twnovel 黒猫をなでながらその骨格を組み立てなおし五重塔をつくったら夕立がきた。そこで今度は傘のかたちにして右の後足を握った。雨がやみ、ずぶぬれの黒猫をしぼったら三毛猫になった。しかたないので硯の海を泳がせたらもとの黒猫に戻ったが、体長は約3センチになっていた。
#twnovel 静物画のなかから林檎を取り出してテーブルに置く。静物画の林檎はなくならない。もう一度取り出して置く。やはり絵の中の林檎はそのままで、テーブルには二つの林檎。皮を剥こうとナイフをあてたら、絵の具がぽろぽろとはがれ、林檎の質感をもつ闇があらわれた。
#twnovel 滝の中ほどにある無人駅。屋根はなく、真上から激しい水流が間断なく落ちてくるので、列車から出るとずぶ濡れになってしまう。駅から外へゆく通路はなく滝壺を泳ぐしかない。ここで降りるのは修験者のみである。彼らはひととき瀧にうたれ、次の列車に乗って帰ってゆく。
#twnovel 記念日にわが家では雲を切り取って壜に保存します。これが私が生まれた日の雲です。薄暗い戸棚に置くとただの空っぽのガラス瓶ですが、このように青空にかざしてみると、ほら、38年前の雲だけど、少しも濁らず、きらきらと絹のようにこまやかに陽の光を跳ね返すでしょう。
#twnovel 砂の山の頂上を目指して登っていた。飴色の満月が空にかかり、砂は銀色に照らされていた。そこここに睦みあう男女の影がゆらいでいたが、そのように見えたのは鉱夫たちが女のかわりに爬虫類を抱いているのだった。頂上には月から零れた蜜の池があり、啜ると背中から蝶が飛び立った。
#twnovel 姉が鏡に捺した人差し指の指紋が砂漠となり、その中ほどを駱駝に乗った隊商が進んでゆく。この家のどの部屋からもアメリカは見えないが、この鏡にはいつもアメリカが映っている。隊商はアメリカの破片を拾って運んでゆく。姉の涙が落ちてオアシスになりそこで隊商は休息する。
#twnovel ハンドクリームの海で泳ぐおまえの指がイルカになって、太陽と同じ高さに掲げられた火の輪をくぐる。そのとき俺の人生のすべてと同じ重さのドラえもん貯金箱が割れた。あふれ出した貝殻をお前は器用に拾い集める。それらは衣装、宝石、鞄、靴になっておまえを飾る。愛でたし。
#twnovel 万華鏡の中に石や貝殻、ガラスの破片などを入れて遊んでいた。飽きたのでをナメクジと巻貝を入れると蝸牛が這い出した。面白いので男と女を入れてみると女が妊娠した。次にタンカーと財宝を入れると海賊船が出てきて私は船長になった。太陽を入れようとしたら船が燃えた。
#twnovel 夕焼を纏った女たちがテラスを歩く。サッカーボールをシャンパンで拭う子供たち。クラクションの塊が出島を封鎖する。豚の心臓を旗印に一揆はカフェで一服中。出番前のソプラノはペットの半獣神と散歩。男たちは夕食のため念入りに時計を殺す。眼球の品評会が始まるまでの彼誰時。
つまり、形式に慣れないうちは、形式との格闘から創造への刺激を得ることがあるのだ。
ただ、少し慣れてくると若干退屈に思えてくる。
もちろん形式の本当の深みはずっと先にあって、それを経験してはじめてその形式に絡めとられることになるのだろう。
とりあえず「ついったー小説」を書く私は、今その少し退屈な時期を迎え、一休みしている状態である。
とりあえず「ついったー小説」を書く私は、今その少し退屈な時期を迎え、一休みしている状態である。
このタグの定義、使用範囲については、過去若干の議論があったようで、長編を連載する場合には使用せず(シリーズものは可)一話で完結するものに限るということがおおよそのコンセンサスとなっているようである。
私なりにこれを定義してみると「Twitterの文字数制約内で書かれている、完結し、自立した日本語の散文による文芸作品」ということになるだろうか。
フィクションかどうかという点で線を引くことも可能だが、私小説のようなものを排除したくないという思いがある。
自立という点で、批評、評論に類するものは除かれるだろう。
また、完結という点で続き物の長編は除外される。
俳句、川柳、短歌などの定型詩や自由詩も、散文作品という点において対象外となる。
散文詩はおそらく上記の定義のボーダーライン上のものとなるだろう。
私自身の作品についても、小説というよりは散文詩に近いものが多いと思うことがある。
こうした作品を#twpoemや#twbngkなどといった別のタグを用いて区別する方法もあるようだが、私は「小説」という語にはあまり拘らず、Twitterの文字数制約内での散文による文芸作品の試みを#twnovelという一つのタグで包括したいと、今のところ考えている。
小説と詩の区別という難問に、現時点ではあまり深く立ち入りたくないという気持ちもある。
もちろんこれは、あくまで個人的な運用方針である。
ちなみに、上記とは別に自分自身に課している努力目標として、できるかぎり文字数の枠いっぱいまで使い切る、ということがある。
タグの定義の問題だけでなく、作品批評の充実や著作権保護など、新しい文芸の形式としての普及、定着に向けて課題はいろいろとありそうだが、とりあえずそれは棚上げにして、ここに私自身の作品を十篇ほど転載しておく。
もちろんこれは、あくまで個人的な運用方針である。
ちなみに、上記とは別に自分自身に課している努力目標として、できるかぎり文字数の枠いっぱいまで使い切る、ということがある。
タグの定義の問題だけでなく、作品批評の充実や著作権保護など、新しい文芸の形式としての普及、定着に向けて課題はいろいろとありそうだが、とりあえずそれは棚上げにして、ここに私自身の作品を十篇ほど転載しておく。
#twnovel 鹿から鹿をつくる奈良の鹿職人。一頭の鹿から二頭の鹿を作れるようになると一人前だが、修行はきびしい。三頭の鹿で一頭をつくるところからはじまり、数年で二頭から一頭を作れるようになる。もちろん彼らは奈良公園の鹿の数を増減させないよう細心の注意を払っている。
#twnovel 黒猫をなでながらその骨格を組み立てなおし五重塔をつくったら夕立がきた。そこで今度は傘のかたちにして右の後足を握った。雨がやみ、ずぶぬれの黒猫をしぼったら三毛猫になった。しかたないので硯の海を泳がせたらもとの黒猫に戻ったが、体長は約3センチになっていた。
#twnovel 静物画のなかから林檎を取り出してテーブルに置く。静物画の林檎はなくならない。もう一度取り出して置く。やはり絵の中の林檎はそのままで、テーブルには二つの林檎。皮を剥こうとナイフをあてたら、絵の具がぽろぽろとはがれ、林檎の質感をもつ闇があらわれた。
#twnovel 滝の中ほどにある無人駅。屋根はなく、真上から激しい水流が間断なく落ちてくるので、列車から出るとずぶ濡れになってしまう。駅から外へゆく通路はなく滝壺を泳ぐしかない。ここで降りるのは修験者のみである。彼らはひととき瀧にうたれ、次の列車に乗って帰ってゆく。
#twnovel 記念日にわが家では雲を切り取って壜に保存します。これが私が生まれた日の雲です。薄暗い戸棚に置くとただの空っぽのガラス瓶ですが、このように青空にかざしてみると、ほら、38年前の雲だけど、少しも濁らず、きらきらと絹のようにこまやかに陽の光を跳ね返すでしょう。
#twnovel 砂の山の頂上を目指して登っていた。飴色の満月が空にかかり、砂は銀色に照らされていた。そこここに睦みあう男女の影がゆらいでいたが、そのように見えたのは鉱夫たちが女のかわりに爬虫類を抱いているのだった。頂上には月から零れた蜜の池があり、啜ると背中から蝶が飛び立った。
#twnovel 姉が鏡に捺した人差し指の指紋が砂漠となり、その中ほどを駱駝に乗った隊商が進んでゆく。この家のどの部屋からもアメリカは見えないが、この鏡にはいつもアメリカが映っている。隊商はアメリカの破片を拾って運んでゆく。姉の涙が落ちてオアシスになりそこで隊商は休息する。
#twnovel ハンドクリームの海で泳ぐおまえの指がイルカになって、太陽と同じ高さに掲げられた火の輪をくぐる。そのとき俺の人生のすべてと同じ重さのドラえもん貯金箱が割れた。あふれ出した貝殻をお前は器用に拾い集める。それらは衣装、宝石、鞄、靴になっておまえを飾る。愛でたし。
#twnovel 万華鏡の中に石や貝殻、ガラスの破片などを入れて遊んでいた。飽きたのでをナメクジと巻貝を入れると蝸牛が這い出した。面白いので男と女を入れてみると女が妊娠した。次にタンカーと財宝を入れると海賊船が出てきて私は船長になった。太陽を入れようとしたら船が燃えた。
#twnovel 夕焼を纏った女たちがテラスを歩く。サッカーボールをシャンパンで拭う子供たち。クラクションの塊が出島を封鎖する。豚の心臓を旗印に一揆はカフェで一服中。出番前のソプラノはペットの半獣神と散歩。男たちは夕食のため念入りに時計を殺す。眼球の品評会が始まるまでの彼誰時。
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