2012年6月30日土曜日

風づくし01   上野葉月


風薫る緑茶の色のワンピース  葉月

葉月句というのはその時々のお気に入りキャラクタを句会の度に一句は必ず読み込んでしまう傾向があって、これまでも「秋の海」、「東京眼鏡つ子」、「おつかさん部隊」、「足洗ふ女医」などの人気キャラクタが世の多くの心ある俳人達の強い支持を受けてきたのはご存じの通りだ。こういう使いまわしというかスターシステムとも呼べる形態を採用してしまうのは結局のところ手塚治虫や吾妻ひでおのマンガの影響なのだと思う。

そんな私が一年ほど前から句会で頻繁に登場願ってしまうのは「風使ひ」である。
「風使ひ」とは何か説明すると長くなるが、要するにガンガンONLINE連載中の山内泰延『男子高校生の日常』で数多くの名勝負を繰り広げたヒデノリとやっさん(文学少女)の二人のことだと考えてくれて良い。
http://www.square-enix.com/jp/magazine/ganganonline/comic/danshinichijyo/

てなわけで、この数年「風使ひ」と言えば『男子高校生の日常』、「でもこの風…、少し泣いています」「風がこの町によくないものを運んできちまったようだ」、「急ごう、風がやんでしまう前に」etcが世の常識だった。

しかしながらその平安な日々も長くは続かなかった。2012年2月を境にすべては変わった。今や「風使ひ」といえば緑川なお一色「勇気凛々直球勝負!」「風のプリキュア・キュアマーチ」。
まさに「そのとき歴史は動いた!」である。

100億円玩具市場を背負ったプリキュアシリーズ。キュアピースが「1+2+3+4」を即答できなかっただけで、全国津々浦々のお父さんお母さんが「勉強ができなくてもプリキュアになれるの?」と質問攻めにあってTV局の電話に苦情が殺到するようなコンテンツは、やはりガンガンONLINEとは格が違う。

このところ年を追うごとにTV離れが進みどんな番組でも視聴率の低下傾向に喘いでいるわけだけど、視聴率なんてまるで気にしないでただひたすら玩具の売上げ高だけを注視しているバンダイという企業には学ぶべきところが多いと思う。そういえばプリキュアシリーズの前にやっていた『明日のナージャ』は視聴率も良く視聴者層の保護者の評判も悪くなかったらしいが、玩具の売り上げに結びつかなかったのでシリーズ化しなかったそうだ。

以前ウラハイでもちょっと触れさせてもらったが(http://hw02.blogspot.jp/2012/05/blog-post_05.html)プリキュアは二人が基本である。

しかしながら今期は放映開始早々五人が登場。これなんか玩具の売上げをきわめてセヴェラルに見つめた選択であることは疑いない。プリキュアシリーズですらそこまで追い詰められている今日この頃とも言えるかもしれない。

今期スマイルプリキュアではっきり感じ取れる全体的に明朗な雰囲気も時代の反映に他ならない。世間の暗い雰囲気に反比例する形で明るい方向性が強くなっている。人類史上最悪の事故が進行中のこの国でどこまでの明るさが求められ続けるかは予想し難い。
わずか二年前のこととは今となっては信じがたいが、ハートキャッチプリキュアが未就学児童向け番組としては臨界状況ともいえる過酷な筋立てになってしまったのも、ある意味まだまだ世の中にそれだけの余裕があったからかもしれない。それにしても月影ゆり、最終的には「妹殺しのプリキュア」だもんなあ。いくらなんでもつら過ぎないか。

今期はタイトルからしてスマイルだし、エンディングのダンスなどひたすら明るい。敵キャラもなんか普通にほのぼのしていかにも幼児向けだし。やっぱりプリキュアのような影響力の大きいコンテンツは反作用で世相から影響を同時に受けるものだとしみじみ感じる。

さてスマイルプリキュアの「風使ひ」キュアマーチだが、どこかスタッフ連から強くサポートされているように感じられて仕方がない。『プリキュア5』の秋元こまちが散々「緑は存在感がない、緑は空気」と言われまくった反省なのか、キュアマーチ/緑川なおに関しては、台詞も見せ場もズームアップも他のメンバーより若干多めだ。さらに言えば変身後の髪の毛も多めだ(そういえば、スマイルプリキュアの各メンバは変身後に比べて変身前の方がずっと可愛いのには何か意図があるのだろうか。というか玩具販売的には問題なのではないか)。

「こんなにあざといとかえって清々しい」とまで言われたキュアピース/黄瀬やよい登場時には、このままではコミケが真っ黄色になるのではないかと広く世間で危惧されたものだが、二次創作のフィールドでもキュアマーチ/緑川なおの巻き返しが目に付く。たとえばpixivでの緑川なお関連のタグの量には舌を巻く。「すこぶるどうでもいい」「なおちゃんマジ男前」「風の谷のなおしか」「なおの虫嫌い」「スマプリ7話ノーブラ事件」「腹ペコなおちゃん」「なおれい」「れいなお」「風使い」「もふもふマーチ」「なおちゃんマジ総受け」「なおこれかわいい」「マーチシュート」「なおこれかっこいい」なんというか本当に数え切れない。属性多過ぎだろ。

プリキュアシリーズは年々恋愛要素が希薄になる傾向にあることはよく知られている。具体的には男子キャラの出番が減少しているとも表現可能だ。恋愛がらみの展開は視聴者の保護者に受けがよくないそうだ。気持ちはわからんでもない。
でも最近のプリキュアは水着にもなれないなんて過剰な対応のような気がする(触手を出さないというのは理解できるし賢明な選択だと感じる)。
ともあれ男子キャラの登場が少なくなるほど、大きなお友達は百合方面への妄想に突っ走る傾向が強くなるわけだが、これを負のスパイラルと呼ばずしてなんとしよう(でももしかして正のスパイラルだと感じる人間が少数とは限らないのか?)。
それに緑川なおと青木れいかが幼なじみだというだけで、オタクというのはなんであんなにも食いつくのだろう。口にしても詮無いことだが。
RGBトリオ(わからない人はGoogleで検索!)関連イラストで頻繁にあかねとれいかがなおを取り合っているし。二年前はダークプリキュアと来海ももかが月影ゆりをよく取り合っていたものだけど、あれなら本編のストーリーとの関連性が推測できないこともないが、今期に関しては少し先走りすぎているように思える。

誰も指摘していないような気がするのでこの機会に言っておきたいのだが、今回の緑川なおの声は明堂院いつきを強く意識していると思う。キュアマーチ/緑川なおの声を担当しているのは学習院が世界に誇る“できる子声優”井上麻里奈だが、念願叶ってプリキュア出演を果たしたせいか気合いが入っているのが如実に伝わってきて好感。しかしながら少し固くなっているというか熱情が内部で旋回して外に突き抜けていかない印象もある。

まあ例えばニャル子さん(CV:阿澄佳奈)ような感じで突き抜けた演技になるとプリキュアではなくなってしまうわけだけど。
http://www.youtube.com/watch?v=Z3lLl9Qx6iQ

(つづく)…(つづいてしまった、なんとなくスランプだが、次回を刮目して待て!)

2012年6月29日金曜日

― ガラム ―                  青山茂根



 

            ガラム


     不時着の砂漠を箱庭と思(も)へば

     萍やはるかパラシュートの空も

     夕映に包まれゐたる水喧嘩

     金亀子だけが開かずの間へ向かふ
  
     茅の輪より見る高階と飛行機と

     須弥山を巡りてプール流れをり

     夜濯に異国の微笑みが集ふ







2012年6月22日金曜日

― マシンガンと蜂 ―                  青山茂根




 竹岡一郎氏の句集『蜂の巣マシンガン』 (ふらんす堂 2011)。

 「蜂の巣」は受動であり、「マシンガン」は能動。相反するものを己の中に持ちつつということだろうか。好みによるのだろうが、タイトルと装丁がまず心惹かれる作り。第一印象でどう捉えるかはそれぞれながら、装丁から想像されるアヴァンギャルドさよりも、安定した句が並んでいる句集と思う。このタイトル、その元となった句を超越して、本としての存在感を存分に発揮している。

  みづうみにみみさとくをり月見草  竹岡一郎

  手毬唄とも南朝の嘆きとも

 景の広がりと、所々に顔を覗かせる歴史上の素材、そしてこれらの句の頭韻の効果。作者が、「高野素十の句が好きである」、とあとがきに書いているのは、このような句に現れていると思う。みづうみの夕暮れの葦のさやぎに耳傾けつつ、みづからも「みづのあふみ」の一点として。また、手毬唄のどこか地底から湧くような響きや、少し恐ろしい歌詞も、南朝方の悲劇に合っているように。

  戦争と雁共に来たりけり
 
  香水に女の戦まばゆけれ
 
 話題になった、「トランクはヴィトン家出は雁の頃」の隣に置かれた句。しかし、この句のほうが印象に残る。「戦」の語も、べたな斡旋と見えつつ意外にこの季語に使われていないのでは。「まばゆし」は、香水壜の耀き、美人ぞろいの売り子たちの差し出すサンプルの匂い、そして香水がもっとも発達したといわれるフランスのブルボン王朝の時代、その鏡の間の景をも内包する表現になっている。それを、已然形で用いることにより、「女の戦」のあとに「こそ」が省略されている、と読み取れる。いや、「香水に」の後だろうか、そんなことを読者に考え迷わせる句でもある。裏側の醜さもほのめかしつつ。どちらに「こそ」を付けるととるか、それは読み手のそれまでの人生経験によるのかも?

  枯園や跪拝久しきアラブ人

 同じ「鷹」に句を発表していた飯島晴子の句をテクストとして呼び出しつつ、その宗教的行動への関心を描く句。宗教的なモチーフは以下にあげる他の句にも散見されるのだが、この句はその白いアラブ服を惜しげなく地へ投げ出す彼らの行動と景の取り合わせが気にかかる句。ただ、彼ら故郷の砂漠に似た景として、「枯園」に意味を持たせない読みとしておきたいところだ。

  きのふ巫女けふは金魚を売りにけり

  色白の子の泣いてゐる飼屋かな
 
 薄暗い飼屋。ぼうっと浮かぶ子の顔。雨のように、蚕が桑の葉を食む音が降ってくる中で、一人泣く姿。少しグロテスクな蚕の容姿も、無感情なせわしない音に紛らわされて、むしろ慰めに。白は柔らかな蚕の色でもある。すぐそばに飼屋のある日常への郷愁。

  甘藍や遠き野に立つ馬百頭

  百済への航路さへぎる海市なり
  
  初夢の死者玲瓏と謡ひけり

  一舟に向日葵の束積まれあり

  聖典の挿絵の悪魔胡桃割る

  房州の蛸這つてゐる鉄路かな


  初夢や無辺の河を徒渡(かちわたり)

  冬眠のものの夢凝る虚空かな

 ときに異空間を現出させる景。宗教的なモチーフ、とさきほど述べたのだが、以下の句に見られるように、実はキリスト教の原罪の意識がどこかに隠れているようにも思う。作者自身が信仰を持っているかどうかは全く存じ上げないのだが。様々な背後の物語を感じさせつつ、衒学的にならない句群。  


  使徒像のガラスの眼鳥交る 

  息白き少年打つも打たるるも
 
  朝顔を百も咲かせて山師たり

 後に裏切ったり遁走してしまう使徒たちの眼は、何も映していない。季語の取り合わせが、実景としても、原罪意識としても巧み。そういった像の周りには、無数の鳩が。
 鞭打ちという欧米で一時期まで躾として行われていた罰としても、座禅の景でも、また少年同士の秘密の儀式ととってもよいのだが、その白さに、周囲の張り詰めた空気が伝わる。打つ側の罪の意識も、と。
 朝顔を見るなんとはなしの後ろめたさを、「山師」という語を取り合わせて表現する面白さ。空とぼけた飄逸さも。しかし、その花の美しい咲きぶりが、むしろ際立つ作りとなっている。 江戸期の変わり咲き朝顔のニュアンスも含んで。

 マシンガンは、撃った後の銃身の反動の強さも相当なものだろう。カヴァ-に隠れた扉に蜂が。先日の週刊俳句での『比良坂變』はよりマシンガン的な、力を感じる連作だった。硝煙の匂いの。