2009年9月4日金曜日

― 青いパパイヤ ―

 
 
 調べものをするときにも、ついお堀端の図書館へ行ってしまい、なかなか大久保の専門図書館へ足が向かない。開館時間が11時と遅く、学校の下校時刻に間に合うように慌てて戻るといくらもはかどらないこともあるが、どちらかといえば天井の高い建物が落ち着くこともある。検索がPCでできることも一因だが、大久保近辺は本当は足を運びたい場所なのだ。韓国料理やらタイやらミャンマー料理の飲食店が選ぶのに迷うほど並んでいるのも、ディープエスニック料理好きには堪えられない。以前、その辺りのミャンマー料理店で夕食を食べていたら、隣のテーブルの人々が感極まるといった感じで乾杯を重ねている場面に出くわしたことがある。聞いてみると、その日アウンサンスーチー女史が軟禁状態から開放されたのだった(現在また三度目の拘束をされている)。遠い異国で、こうして感涙に咽ぶ人々が、せっせと外貨を地下組織で現政権と闘う人々に送金しているのだろう。のんびりと箸を動かす自分たちが、少々恥ずかしくなった。

 JRの駅からその図書館へ向かう途中に、なんてことない八百屋だがスーパーだかがあるのだが、この時期は店頭に青いパパイヤが山積みされているのだ。赤ん坊の頭ほどもある実が驚くほど安い。家の近くではまずお目にかかれないし、生協など宅配の食品と一緒に頼むと小さな実がその何倍もする。へたすると、中華街の八百屋より安いくらいだ。幾つも背負って帰りたいくらい(いやどうせ食べきれないか)だが、二個を手提げに収めるのが精一杯なのが悔しい。

 沖縄のリゾートなどへ泊まっても、やっぱりレンタカーかタクシーで地元の町を回ることになる。洗練されたリゾート内のレストランにはすぐ飽きてしまって、地元の人がくるおいしそうな食べ物屋で、地のものを食べて飲んでのほうが楽しいのだ(アジアや沖縄は特にそうだ)。表通りの裏にある、人々の日常を覗くのも面白い。しっくいの塀の無い家には、生垣がわりのハイビスカスが植えられていて、家の裏手にはパパイヤの木がある。何故常に裏手に植えられているのかは謎だが、、ひょっとして本土の枇杷の木のようないわれがあるのかもしれない。たいてい、パパイヤの青い実が数個ぶら下がっている。冷蔵庫に一週間放っておいてもあまり痛まない性質ゆえ、台風などのときにも自給自足できる野菜として重宝なのかもしれない。

 青いパパイヤをサラダ仕立てにした料理は、なんといってもベトナムを印象付けるもので、旅先でその味に魅了されてから、帰ってきてレシピを探した。ヌクマムもいまやどこでも手に入る。アレルギー体質のものには、完熟の果物としてのパパイヤより、青い野菜としての味に安堵する。といっても、調理するときにはかぶれることもあるのでとにかく手早く水にさらす。サラダだけでなく、チャンプルーにも、棒々鶏風に調理しても美味しい。 『サイゴンから来た妻と娘』という、現地特派員だった新聞記者の方が書いた本があった。著者が故人となって何年にもなるが、いまだにユーモラスかつ温かな筆致は色褪せない。かわいがって飼っていた兎をある日けろりと食べてしまうエピソードがなんとも印象深い。食に貪欲な民族なのだ。ベトナム人は男性でも50種類のスープを作れるというし、虫や爬虫類の料理法が豊富にあるのももしかしてベトナム戦争などでレジスタンスが長引いたせいかもしれない。

 トランアンユン監督の『青いパパイヤの香り』(1993)、画面の中の料理にもそそられるものがある。映画とは、欲望をテーマとしたものが多いからか。そういえば、欲望の香りがしないでもない。


  誰が袖にあらずや菊枕咬めど    青山茂根

2 件のコメント:

  1. 青パパイヤのサラダというとタイのソムタムというのが好きですが、タイでは田舎料理という位置づけのようですね。
    大久保近辺は私も大好きで、歌舞伎町へ抜ける日本だか韓国だかわからないようなエリアが特にわくわくします。

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  2. タイ料理では東北部イーサーン地方の料理であったものが
    一般化したようですね。タイの青パパイヤサラダは甘酸っぱ辛いですが、ベトナムのはそんなに辛くないのでお勧めです。
    渋谷のユーロスペース近辺から道玄坂付近にもネパール料理屋が多数点在していたのですが、某事件以後減少したようです。

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