飛行機を降りて夜食の民の中 青山茂根
平日の午前中の映画館は、それぞれ特有の空気がある。近頃のシネコンとかではなく。今回の映画は、昔の友人が関わっていなければ谷崎潤一郎原作物とはいえ、映画館まで足を運ばないところだが、ある年齢以上の方には興味ある作品だろう。前作は非常に話題になり、観客には女性も多かったそうで、その前作の女優さんが共同監督しているのが今回のリメイク作『白日夢』だ。まあ、知り合いも成り行きで関わることになったとは言ってたが、こうして見てみると、『棒の哀しみ』(神代辰巳監督 1994年)などの不条理さの表現 は卓抜したものだったことが改めて判る。脚本もどうなの?というところで、前作を見ていないのでなんとも言いきれないが、何よりも、衣装が生きていないのが気になる。浴衣の下に現代の下着、というのも考え物だが、予算のキャパが見えるとはいえ、うーん、もう少し何とか。エリック・ロメールはクランクインの前に、主演女優たち(といってもロメール作品なので皆が知ってるような大物は使わない)と衣装を選びに行くのを楽しみにしていたそうで、ちょっとしたシーンの衣装も、場に合った、見ていて楽しくなるものだった。大物デザイナーやら、有名ブランドの衣装が宣伝まがいにとっかえひっかえ出てくるハリウッド映画とは異なる、その辺にありそうでいながら、色彩や意匠にちょっと気の利いたセンスのあるスタイリングなのだ。日本でも、脚本と配役が決まったらまず衣装、と言う監督もいるそうだが、そんなところに着目するのも映像を見る楽しみの一つだ。
久々に訪れた三原橋界隈が、全く変わっていないのには驚いた。銀座の主だった通りが、裏から表まで高級ブランドだらけな中に、凝った店舗設計にはしているが庶民感覚でしかない店が混在するという、以前の銀座とはかけ離れた印象になっているのにもかかわらず。その映画館も、付近に並ぶ店も、階段を下りた途端に昭和そのままの異空間である。さすがに、その地下街では飲んだことがないが、有楽町から新橋へのガード下(外国人の陶芸家がフェリーニの映画のようだと評していた)あたりが近年庶民感覚を残しつつも多少きれいに改装されているというのに。最近の渋谷あたりのひどさ(センター街の無法地帯や、T急本店の向かいにDキホーテって許容し難い)に比べたら、このような空間の一角が残るのはまだ末期症状ではないのかもしれない。
東銀座近辺は、以前仕事でよく来たところで、編集スタジオの中まで聞こえてきた、サリン事件の日の、一日中鳴り止まなかった救急車のサイレンの音を今も思い出す。裏通りの路地は、やはりほとんど変わっていないようで、しかしその頃知っていた店(よく出前を取っていた、歌舞伎座の楽屋にも出入りしていたシチュー屋もあったはず)は見つけることができず、適当な蕎麦屋に友人と入って飲んだ。この蕎麦屋で明るいうちからちょっと飲む、というのも(いや、本当にちょっとだけです)、かすかな後ろめたさを感じつつふうわりと弛緩した心地よいひと時で、仕事をしていた頃はたまに出かけた。たいてい、徹夜続きのプレゼンがやっと終わり、ランチタイムも過ぎた頃に何か食べられる状況になったときに、どこも昼の時間が終わってるから蕎麦屋にでも、じゃあちょっと行きますか、という流れだった。赤坂のS場は、いつも決まった曜日の決まった時間に、いつもの席で大島渚監督(『戦場のメリークリスマス』1983年しか見ていないが)が一人で飲んでいて、〆にざるを啜っていた。あまりに人気店だと落ち着いて飲めないので、店舗が大きすぎず小さすぎず、出汁巻きやらとりわさやら天ものといった、ちょっとした自家製のつまみが頼めて、蕎麦もそこそこにだが、敷居の高すぎる店ではないほうが適当なのだ。他に、アテネフランセを降りたところにあるM翁や、白金のT庵などによく行ったが、東銀座あたりではそういえば行ったことがなかった。適当に入ったその日の店ももうひとつで、沸々とリベンジしたい気分になってくる。そんな心持ちも、学生の頃の、昼間に入る映画館とは違う、或る程度年齢を過ぎた者のためにある、小さな楽しみだろうか。
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