2011年8月30日火曜日

 『BABYLON』

  


 お知らせさせていただきます。青山茂根の

第一句集『BABYLON』が出来ました。



皆様にお手にとっていただければ幸いです。


ふらんす堂さんのサイトで購入できます。


地震の前から動いていたのですが、震災のあと、

出すべきなのかどうか少し迷いが生じ、

紙不足など考えて、少なめに刷ることにしました。


様々な日常から解き放たれて、遥かに心遊ぶひとときも、

詩歌の可能性のひとつであれ、と願います。


機会があれば、また感想や評などお寄せいただければと思います。


どうぞよろしくお願いいたします。     青山茂根












2011年8月26日金曜日

 ― それ以後の雲のしたで ―

 

 街は何も変わらないように見える。3.11の前と後と。今や以前と変わらず店舗の棚には山積みになって商品があふれているし、蛇口を開けば水も出る。トイレも使えなくなることはなかった。東京より西に住んでいる方には、あまり実感が湧かないのかもしれない。

 まわりの人々の口に地震の話題が上ることも少なくなった。が、忘れられないこともあって、ふとした拍子に脳裏によみがえる。今も被災地や過酷な環境の中に居住する方たちがいるのに、この程度のことで申し訳ない、と胸の中でつぶやきながら。
 
 なんとなくどこかへ、と急に思い立って、3月の終わりに木曾の奈良井宿を訪ねたのは、昨秋に出かけた桐生の、古いものを今に生かした町並みが忘れがたく印象に残ったのと、その古い建物のいくつかは被災して現在使用できない、と耳にしたからでもあった。今、出かけて見ておかなくては、とあせるように電車に乗った。石田波郷や加藤楸邨が乗車したその路線も、三陸の鉄道のように地震がきたら状況は違えども被災してしまうかもしれない、と。子規が歩いた道はアスファルト舗装になっているけれど、道幅も周囲の家並みも少しの変化にとどまっているかに人々は暮らしていた。泉鏡花が『眉かくしの霊』を書いたという宿屋は内部を改装中とのことで、ガラス戸から覗くことしかできなかったが、土間や建物の外観はほぼ当時のままに残されているようだ。何より、その数軒手前に宿をとった、江戸時代のままの建築は、あの、鏡花が描写してみせた宿屋と同じように、土間があって、鯉を放した池のある中庭へ抜けて、離れへと繋がっていた。その翌日に訪ねた隣町旧楢川宿の漆器店も、店の奥に池のある中庭が広がり、離れの土蔵が漆の工房となっている細長い作りで、宿場町の家々の間口に幕府が税金を課したため、京の鰻の寝床のように、皆間口を狭く、奥がずっと1本向こうの通りまで抜けるような構造になっていた。屋根こそ耐久性の高いものに替えているが、今も全体の構造はそのまま、水周りや電化した箇所を加えるのみで皆暮らしているのだ。

 特に鉄道マニアというわけでもなく、日本中の全ての路線を把握していることもないのだが、小さい頃車の運転をしない母に連れられて紀州の海沿いを走る鉄道や、いくつかの寝台特急などで旅した記憶がときどき蘇る。木製にタールを塗った床の匂い、山沿いを走る列車から見える海辺の風景、A寝台とB寝台の違い、寝台車の車掌さんの制服が立派に見えたこと、など。東京でも、この10年ほどで、以前は木床の古い車両を使っていた世田谷線も最新型に変わってしまった。震災のあとで、いままでのぼんやりとした危機感がはっきりと形を持って胸に迫ってきた、今、各地の鉄道に乗らなくてはと。

 北海道の廃止された美幸線を復活させた美深町の「トロッコ王国」(なんと自分で運転できる!普通免許要)や、旧紀州鉱山鉄道の線路やトンネルを再生している三重県熊野市のトロッコ電車(ほとんどが坑内軌道をつなぐトンネルで今なお暗い)など、行きたいところはたくさんあるのだが、そういえば、と先日、近くのカフェに置いてあったフリーペーパーを思い出した。『雲のうえ』という北九州市の観光情報を発信している雑誌、これがとても魅力的な作りなのだ。素朴さを残したイラスト、寄稿しているのもいわゆるよくあちこちの媒体でみかける著名人というわけではなく、私の頂いてきた14号の特集「電車に乗って。」の巻頭エッセイは、蒸気機関車への憧れから線路・信号機の製作所へ勤め、蒸気機関車が廃止された後はJRの食堂列車へ乗り込み、長く調理師として働かれた方が執筆している。現在は九州鉄道記念館の副館長をなさっているとのことだが、その、鉄道のうつりかわりをいとおしむ、といった語り口が素晴らしい。そのほかの記事も、各駅停車に乗りながら、町の、お小遣いで食べられるようなちょっとしたおいしいものを紹介していたりして、そこに暮らしているかのような町歩きの視点に、あ、行ってみたい、と引き込まれる。と、ここにもトロッコ列車が。かつての、<穀物やセメントなどを、門司港から積み出し港であった田野浦埠頭まで運んだ臨港(貨物)線を利用している>という「門司港レトロ観光列車・潮風号」。しかし、この地域情報誌『雲のうえ』は、かなり話題になっていて人気らしく、なんとフリーペーパーなのに有志による応援サイト『雲のうえのしたで』まである。ちょっとびっくり。というわけで、もう北九州にはいつか行かなくては、と日々楽しい空想に浸っている。ひとりでヒートアップしすぎて、俳句について書くことがどこかへいってしまったわけで。すみません。