2010年2月26日金曜日

― 蝶を見ない ―

  鳥交る日の堤防に描く輪よ      青山茂根


 ヒヨドリがひときわ高く鳴いていたある夕方は、不思議なほどあかるくあたたかく、ああもう春なのだなどという気持ちを誰にも起させる陽気だったが、それが、向かい側の大きな家の取り壊しの日で、コンクリートの塀が取り払われて、あらかたの大木が切り倒され、確か「○○区保存樹木」とプレートが着けられていたはずの木々のうちのほんの七本ほどが、申し訳程度に残されて新たに建設されるマンションの樹木となるのだと、そのやはりはす向かいに、ずっと昔からそこで小商いをしているおばさんから教えてもらって、でも、カブトムシやクワガタがたくさんいたんですよ、テラスのガラス戸を開け放っていると部屋の中でもたくさんの鳥の囀りが聞こえて、音楽をかける気にもならないくらいだったのに、と私が不平を言うと、それがねえ、あの落ち葉を毎日掃くのが大変だったのよ、だから仕方ないのよ、とおばさんに言われてしまい、いつもマンションの前の道路の向こう側まで掃いてくれる管理人さんにまかせっきりで、そんなことしたこともない私は黙ってしまうしかなかった。

 昨年の今頃は、ブロッコリーの葉の上で見つけた幼虫を小さなプラスチックの虫籠に入れて飼っていて、冬の間に、さなぎになっていたのをそのまま放っておいたら、ある朝、虫籠の中で2,3匹がばたばたしていて、開けてみたら少し弱りかけてすぐには飛べないのもいたりして、昨日かおとといに羽化していたのをどうやら気がつかないままだったのかも、と心の中でごめんごめんと謝りながら虫籠の蓋を開けて空へ高く向けてやると、元気な二匹はそのまま飛び立っていって見えなくなったが、最後の一匹は、自分で籠から出てくることもしないのが哀れで、その辺の植木鉢の葉っぱに乗せてやって、ところがあいにく開いている花がどこにもなく、何か蝶が食べられるものはないものかとその辺りを探しても、モンシロチョウの気に入りそうなものはなかったし、風に揺れながらもなんとか葉につかまっていることはできるらしい蝶の姿をしばらく眺めていたが、なんだかいたたまれなくなったので戸を閉めて中に入ってしまった。

 詩人の三木卓氏が、『沖縄探蝶紀行―蝶の島』(小学館ライブラリー 1995)という旅行記を書いていて、ずいぶん前に出ている本ながら今も時折読みたくなって手に取る本で、特に蝶に興味があるわけでもない私でも、沖縄の地には憧れがあって数回訪れていながらまだ足を踏み入れていない島々の話や、すでに知っている食べ物や知らない風物の説明が、詩人の柔らかな目で描かれていて面白く、那覇空港に到着して乗り継ぎを待つ間に、客引きたちがたむろする空港前の空き地にすでに蝶の姿を見つけていたり、その後着いた島の空港の天井に、タテハチョウがぱたぱたしているのを、荷物から紛失した携帯用捕虫網の行方のことで空港係員に詰め寄りながら目で追っていたりして、西表島の蝶の採集家たちがよく泊まる宿の近くで、畑の中におもいがけず「ヒマ」という植物を見つけ、それが第二次大戦の最中、その種から飛行機の潤滑油を取るということで日本および統治国の小学校で作らされた草だという話に、砂糖天ぷら、今ではこの辺のスーパーでも売られているサーターアンダギーを「オムスビドーナツ」と形容する詩人にほのぼのしながら、ちょっとはっとして姿勢を正す。

 『子規画日記』(日新房 1949 )には、現在もハーブの花や寄植え用としてよく出回っているナスタチウムやロベリアが描かれていて、絵から推測するにほぼ現在我々が目にするものと色、花の大きさとも変わりがないことに少し驚きつつ、「小園の記」の中の蝶の描写や、まさに「蝶」という随筆もあったことを思い出し、彼の庭にはどれほどの蝶が訪れたことだろうか、おそらく我々が見ている蝶たちと変わらないものが乱舞していただろう、と遠い時代に思いを馳せる。

 三月、石垣島あたりから、もうすぐ沖縄は海開きとなる。今年は、蝶を目にしていない。
 

  

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