2010年2月2日火曜日

ヴィレッジ・ハイク・プリザヴェイション・ソサエティ

『俳句界』2月号に師匠の句が掲載されているので、買おうと思ったんだが、ダサい表紙をみると買う気が失せる。いちおう言っとかないとな。買うよ俺は。

 俳句総合誌(に限ったことではないが、わかりやすいので)の頁をめくっていると、いったい今はいつなんだろう、ここはどこなんだろう、とわからなくなることがある。ある人にとっては、つまり「俳句村」の中で自足している俳人にとっては、そこは楽園なのかもしれないが、ぼくには息苦しくて仕方がない。モチーフやスタイルは関係ない。現代的なモチーフを詠んでいても、それがかえって古くささを強調し、読んでいて痛々しくなる。「現代的」と評された俳句を読んでみたら、世間的には「ダサい」ものであることも多々ある。黛まどかの「旅終へてよりB面の夏休み」が発表されたのは九十年代初頭だったと記憶しているが、この句を俳句を始める前に知っていたら、ぼくは一生俳句に近づくことはなかったろう。七十年代後期から八十年代初頭に流行ったシティ・ポップスのセンスをそのまま俳句に持ち込み、それがギャグではなく本気で詠まれ、しかも評価されているような俳句界に、いったいどんな若者が興味を持つというのか。こういう首をかしげたくなるような評価はもちろん現在でも続いているのだろうが、あまり若者を信用しないほうがいい。俳壇には若者は珍しいからこういうことが起こりやすいのだろうが、同世代の視点でみると、恥ずかしくなるような「現代性」はたくさんあるのだ。年齢とか世代とか関係ない。あたりまえの話。あーまた俺ってなんにも言ってねえ。

ぼくらは俳句村保存会、神よ、季語を、日常を、風土を護り給え

列車の扉【と】に凭るる汝【なれ】や雪に照る   榮 猿丸


7 件のコメント:

  1. お久しぶりです。

    今時、俳句に関わっている人々というのは、
    大雑把に言うと(語弊があるかもしれませんが)現代を生き抜く上では、それ程器用でない人々なんではないか、とつねづね思っています。勿論自分も含め。
    俳句総合誌って、まさしくその不器用さが凝縮されてしまっているような、
    「俳句村」のタウン誌(ヴィレッヂ誌か)のような、
    或るいじらしさを感じるのですが、でもゴメン、やっぱり買わないなぁ。

    やむにやまれず俳句村及び俳句村ヴィレッヂ誌を必要とする人が、少なからずいる、ということが、
    この現代の反映なのかも……、
    途中で3回転半ぐらいひねってしまっている気はするけれど。

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  2. えるさま

    おひさしぶりです。
    俳句も「詩」ですから、これに関わる人って人生器用というイメージではないですね。生きにくい人が「表現」に向かうという一般論になっちゃいますが。現代において「詩」を書くという行為自体がユーモアだ、とムーンライダーズの鈴木博文が言っております。関係ないか。

    でもけっこう「サロン」的に、俳句と関わっている方もいらっしゃいますし、有名無名を問わず、俳人って、社会的に地位のある方々も多いので、あまり不器用というイメージは俳句にはあてはまらないかも。

    ただ、たしかに、俳句総合誌の紙面をひらくと「不器用さが凝縮されてしまっている」という感覚は、いたく納得。
    ぼくはその「いじらしさ」が、なんだかんだ言って好きなんだなあと、あらためて思いました。

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  3. >でもけっこう「サロン」的に、俳句と関わっている方もいらっしゃいますし、有名無名を問わず、俳人って、社会的に地位のある方々も多いので、あまり不器用というイメージは俳句にはあてはまらないかも。

    ああそうか、そうですね~!いやはや、自分が不器用組なもので。

    「生きにくい人」で思い出しましたが、猿丸さまは哲学を修められたそうですね。
    哲学って、一見実学から遠いように見えて、
    人生で感じる「生きにくさ」を和らげる、非常に実用的な学問なのでは?と思ったことがあったのですが、どうでしょう。

    自分が生きる上で必要なことをじっくり考える、とか、ものごとを根本から問い直すとか、
    そういう営みは人を苦しみから救うような気がします。

    的外れだったらすみません。

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  4. えるさま

    ぼくが哲学科に入ったのは、とくにこれを学びたいというのがなくて、消去法で選んでいったら、最後に残ったのが哲学だった、という情けない理由からです。

    でもたしかに、高校の頃が人生で一番真っ暗だったので、その頃の自分にとってはもっとも「実用的な学問」だったのかもしれません。いまも変わりませんが。

    だいたい、高3の選択科目で「倫理」を選ぶ奴というのは、もう「不器用組」ですね。受験無視。いや、うちの学校だけかな。でもじっさい、「倫理」のクラスは、もう人生ドロップアウトみたいな奴らばっかりでした。いいクラスでした。

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  5. 高3で「倫理」選択とは、真・不器用クラスですね!!
    ……実は、私もなんですが。

    「消去法で選んでいったら、最後に残った」と謙遜なさいますが、
    何かを選択する理由って、結局のところ「自分はこのようにしか存在できないから」になるんじゃないかという気もします。
    (まぁ、後から、アレは判断ミスだった、ってことも出て来るわけですが)
    そう思うと消去法で選んだ人も、能動的に選んだという人も、大体おんなじなんじゃないかと。

    あっ、でも、器用組の人は無限の可能性の中からバシバシ良い物を選び取って、
    あとはバッサバッサ捨て去ったりしているのかも知れませんねー。
    うーん、よそのクラスのことは良くわからないなぁ。

    長々失礼いたしました。

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  6. えるさま

    あら、えるさんも倫理選択だったんですね。ははは。いや、失礼しました。

    結局、やりたくないことはやりたくない、ということですかね。己の欲望に忠実に生きる、という。

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