2010年1月29日金曜日
― 旅と鑑賞 ―
誰もゐぬ街よ手毬を追ひゆけば 青山茂根
・・・短期とはいえ、外遊の見聞が、日本人のみが持つ感、知性の本源をあらためて糺さねばならぬ実感として迫り、宿ったのもたしかなことのようであった・・・
(『歳華集』後記 赤尾兜子 角川書店 1975)
という、記述を紹介したあとに、平井照敏はこう続けている。
・・・私も一年間のヨーロッパ滞在によって、詩人から俳人への変貌をとげて帰国した経験があったからであった。もちろん外遊による日本再発見は、それまでに用意されていたものの意識化であろうし、加齢ということの重さも忘れるべきことではないだろうが、ともかく外遊をきっかけにして、兜子が日本的感性と知性とにある重要な再認識をし、それがかれの俳句に大きな変貌をもたらしたこと、それがかれの俳句に、かつてない大きなしぶとさを与えたことだけは確かである。
(『鑑賞現代俳句全集 第十巻』 立風書房 1981)
平井照敏による赤尾兜子鑑賞の一部分を引いた。だからといって、外遊を礼賛するつもりはないのだが、むしろ、「加齢ということの重さ」に注目したい。その上での「外遊の見聞」、それが影響をもたらしたと。それは、或る程度社会の一員として、自己の労働に対する報酬で得た資金によって、またその労働の経験により培われた認識ということでもあるだろう。 ま、自分がまた行きたいことの口実なのだが。
句の読みに作者の実人生を投影するのが正しいのかどうか、いつも迷いつつ自分としては結論を出せていない。ただ、いくつかのその時々の通過儀礼を追って、その事実を句の読みに反映するよりは、その実人生での経験が、作者のものの考え方にどのような影響を与えたか、それが現れていると思しき作者の文章を探しながら、句と対峙していきたいとは思っている。
先日、週刊俳句で、『新撰21』の一句鑑賞を書かせて頂いた。他で書くつもり(豈本誌次号)だったものを、シンポジウムから日をあけずに掲載したいということだったので、そちらに出させて頂いたのだが、あえて賛辞だけの句評にしたくない、という文が、別の読み方をされているようなので、少しだけ触れておきたい。
・・・一口に「旅」といっても色々あるが、私のそれは、『おくの細道』を辿る旅のこと。しかも出来るだけ交通機関を使わずに、芭蕉の辿った道を一歩一歩自分の足で歩いて辿っている。もちろん、一度の旅で全ての行程を辿り終えるような時間と金銭の余裕は持ち合わせていないので、毎年の夏の休暇を利用しては、大体三泊四日くらいで旅に出ることにしている。
東京の自宅から前回の旅の到達点までは、交通機関の力を借りて行く。しかしそこからは、全くの徒歩。八月半ばの炎天下を一日に四十キロくらい歩くのだから、正直言って、大変にきつい。全身汗まみれになるし、直射日光に焼かれた肌はじりじり痛むし、それに何といっても、歩き通しの体の疲労が甚だしい。(中略)
しかしほんの僅かであっても、当時の旅の実情を身を以て理解できるようになったのは、意義のあることだと思っている。
(『―俳句空間ー豈』47号 特集青年の主張「俳句は古いもの」 村上鞆彦)
作者自身によるこの文章が、源流として私の一句鑑賞の冒頭部分にあることを、読み取っていただければうれしい。
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