2009年8月19日水曜日

  秋の蚊やジグソーパズルとなる笑顔   中村安伸

またも文楽の話で恐縮だが、三年前の八月に国立文楽劇場で観劇したときのことである。
人間国宝の竹本住大夫が『夏祭浪花鑑』の「釣船三婦内」を語り、いよいよこの場の主役、団七女房お辰が登場したときだった。
住大夫がお辰の声を発した瞬間、藪から棒にけたたましい笑い声がひびいた。
それは、私のすこし前の席に座っていた白人女性があげたものだった。

80歳を越えた老人が女性の声を出して演じるということそのものが、彼女には滑稽にうつったのだろう。
私だって路上や居間でそんなことが起きたら笑ってしまうか、逃げるだろう。
しかし、ことは舞台上で起きているのである。
文楽では一人の大夫が子供や娘なども含め、すべての登場人物を一人で語る(そうじゃない場面もある)のだが、仮にそのことを知らなくても、最低限の芸に対する敬意と公共心があれば、静まり返った劇場の客席で、唐突に笑い声をあげたりなどしないだろう。

さすがにその白人女性も状況を理解したようで、その後、いちども妙な笑い声を立てることはなかった。
おそらく、軽い物見遊山のような気分で、特に予備知識も持たずにやってきたのだろう。
驚きとカルチャーショックが本来の公共心を凌駕し、思わず笑ってしまったのだろう。
迷惑なことではあるが、まあ仕方がないのかもしれない。

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上記はやや特殊な例だが、文楽よりも大衆人気の高い歌舞伎の場合、似たような事例はさらに多く見受けられる。

たとえば「最近のお客さんは馬が出てくると笑う」というようなことを、ベテラン役者の芸談で聞くことがある。

『源平布引滝』「実盛物語」の幕切れの斎藤実盛や、『仮名手本忠臣蔵』十一段目の桃井若狭之助など、武将が馬に乗る場面というのがけっこうある。
そのようなとき、大部屋役者が二人がかりで馬を演じるのだが、これが登場すると客席に失笑が起きるのである。


言うまでもないが、歌舞伎にしろ文楽にしろ、始終静かに見ていなくてはいけないというわけではない。
チャリ場とよばれる笑いを意図した場面があるし、意図していなくても、自然なおかしみによって笑いを誘われこともある。
しかし、白人女性の場合も馬の場合も、おかしみによる笑いではなく自分にとって縁遠いもの、たとえば田舎の奇習などを小バカにするような、嘲笑に近い笑いであると思う。

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劇場の客席などで遭遇する不愉快な笑いにはもう一種類ある。

こちらはさきほどの例とは逆に、演者が笑いを意図しているときにおきることが多い。
自然な笑い声に混じって、不自然に大きな声の、奇妙に耳障りな笑いが聞こえることがある。
目立つのも道理で、これは人に聞かせようとする笑いなのである。
つまり、自分がいかにこの舞台を楽しんでいるか、それを周囲の観客に、そしてあわよくば演者にまでもアピールしたい。
そのような心理に裏付けられたものであると、私には感じられる。

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さて、「週刊俳句」掲載の佐藤文香の記事「夏休みグラスに砂を満たしけり~第12回俳句甲子園 うちらの場合~」に以下の記述があった。

〈審査員の先生は「これは病院の診察室でのことですか」のような質問をした。それは読者が考えることだから、那須くんは「診察室でなくてもいい、七夕に子供に聴診器を渡す、それだけ」のような応え方をした。そしたら観客席の、ある高校の引率の先生が「はっはっはっわからな~い」と手を叩いて笑った。〉

ここに描写されている先生の笑いは、上にあげた二種類の笑い、すなわち自分から遠いものを嘲る笑い、そして(この場合は「わからない」という)自分をアピールする笑い、その両方を兼ね備えているようだ。

3 件のコメント:

  1. 一観客として感じる違和感ありますよね。最近のバレエ公演などで目につくのは、あきらかに出演者側の関係者の人々が、固まって立ち上がって「ブラボー!」「ブラボー!」のスタンディングオベレーションをするんです、その他大勢の観客はそこまで熱狂していないのに。ほとんどお約束になってます。本来は観客席全体からばらばらと立ち上がってブラボー!の渦が始まり皆が呼応していくものですが。

    歌舞伎の大向こうの方たちのほうが、もう少し批評精神があるように感じます。

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  2. あ、上のコメント、Standing ovation(スタンディングオベーション)でした。訂正です。

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  3. スタンディングオベーションとか、カーテンコールとか、儀礼的になっている側面はありますね。茂根さんの書かれている事例などは、主催者側が、招聘した演者のご機嫌とりのためにやってるんじゃないかと思います。

    カーテンコールがしつこいのは、演者の自己満足につきあわされている気がして、いくら舞台がすばらしくても興醒めしてしまうことがあります。

    歌舞伎の大向こうには批評性も必要ですが、演出の一部でもあるので、面白い存在だと思います。いないとさびしいのですが、調子に乗りすぎた素人さんの大向こうなど、すこし不愉快に感じることもありますね。

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