2009年8月14日金曜日

― グランギニョル ―

 
  八月十五日の紙飛行機を追へば       青山茂根 


 もともと、それほど音楽に傾倒していたわけでもなく、大学に入ると、体育会系クラブの活動の傍ら、芝居やら美術やらを見るほうが面白くなっていった。友達が参加している劇団を覗いたりしつつ、(全ての劇団に当てはまるわけではないし、そうでない人もいると思うが)どうもあの一部の劇団系のフリー×××的傾向(『愛の新世界』1994高橋判明監督作品、の中にもカリカチュアして描かれている)には拒否反応があった。

 東京グランギニョルの飴屋法水が作る世界が一番自分の見たいものに近く、グランギニョル解散後もその芝居やパフォーマンスを追いかけたりした。現代美術と銘打ってはいたが、大森のレントゲン藝術研究所で最初に行われたインスタレーションなどは、エイズ患者の本物の血液を大量に集めて展示する、といったもので、どこが美術なんだかよくわからないが、ホルマリン漬けの標本室に迷い込んだような怪しい空間を作り上げていた。

 その芝居も、グランギニョルの由来から連想されるような退廃の美、学生服姿の登場人物、血のりとびかうスプラッタまがいの演出、廃墟風の舞台美術(実際に廃墟となった工場跡で上演していたときもある)、少年愛に破壊行動(芝居に熱をいれるあまり上演中にほんとに骨折したり満身創痍になったり)、耳をつんざく音楽に彩られていた。しかし、内容は存在とは何か考えさせられるものが多く、1988年にアート・ユニット「M.M.M」を結成して上演したサイバーパンク芝居、『スキン/SKIN』を見て以来、劇中に出てきたバッファローの頭骨(それは今までオキーフと置き換えられるものだったが)を見るとあのメカニックな舞台装置と実験用マウスの肌を戦慄とともに思い出す(家の近くに岩城滉一のバイク・ウェアショップがあり、そこに常に飾られているのだ、バッファローの頭蓋骨)。

 17歳で状況劇場に参加していたという飴屋法水の描きだす世界は、今になって考えると、攝津幸彦の俳句世界と通じるものがあったのかもしれない。その頃は攝津幸彦はおろか、俳句なぞほとんど読んだこともなかった。

 一時芝居からも美術活動からも遠ざかって、フクロウ専門のペットショップなどを開いていた飴屋法水だが、一昨年から舞台演出を再開していたようで、ついこの12日までも原宿で芝居がかかっていたのだが、とうとう足を運べないまま過ぎた。

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