とりあえず時間が空いたので、というときに、選ぶならウディ・アレン。出先で不意に映画館に入りたくなったとき、まあ退屈はせず、眠り落ちることもなく、大外しもまずない。といいつつも、ウディ・アレン監督作品は好きなほうで、日本で公開されたものはかなり見ているかも。あ、『マッチポイント』(2005)を見落としている。
で、最新作『それでも恋するバルセロナ』(2008)だ。ベトナムだか韓国人の養女(しかも当時の同居人ミア・ファローの連れ子)に手を出してスキャンダルになったあたりから、ウディ・アレンの映画はいい方向に壊れだして、愛だ×××だと引っ掻き回されるコメディが冴えてきた。でも、オープニングから、状況設定やら人物像をすべてナレーションで片付けちゃうなんて手を抜き過ぎな本作だが、どうしてこれがアカデミー賞やらゴールデングローブ賞やら採れるのかそこが現在の米国映画界のていたらく、ってことだろう(アレン自身はそういったハリウッドの賞が嫌いで、授賞式もすっぽかす)。いや、面白かったのだ、べた褒めするわけではないがこの映画。そんな、手だれ感を見せつけられてもだ。主演に助演のキャスティングがどんぴしゃなのはさすがいつものアレン卿だが、女優が皆いきいきとしてうーん、いい女!と同性の私でさえ唸ってしまうほど(その辺もこの映画の展開のひとつ)魅力的なのも監督の相当な女好きの証しだろう。途中、P・ルコントばりの荒唐無稽な部分もあるが、ロメールを思わせる恋愛模様に軌道修正される。男優もいけてるし、ガウディの建築やらミロの絵画、スペインギターの味付けもあり、スペイン語の会話の冴えは、アレンが若い頃NY大学でスペイン語を専攻したためか。ストーリーとしてはいつものアレン調で、しかし舞台がいつものNYでないせいか理屈っぽい登場人物もいないし、娯楽というかひとときのトリップとして充分な満足感。いえ、そうではない映画も好きですが、夏、だからか。ラスト近くの台詞、―成就しない恋はロマンチック―との〆は、頷けるか否か。
と、対照的に思い出すのは、英国女流作家の書いた『碾臼』。マーガレット・ドラブルが1965年に世に出した小説だが、惹かれながらも同性愛者だと思っていた男と思いがけず一夜の関係を持ち、子供が出来てしまうというストーリー。相手がバイセクシャルゆえにその事実を告げられず、未婚の母として生きていく姿を描いたものだ。これが1965年という時代に、おまけにケンブリッジ大学首席卒業という作者に書かれたというのにも驚く。風俗小説という面ばかりでなく、現代人の孤独さと他者との微妙な関係の筆致が深く胸に残る。ラストはE・ロメールの『冬物語』(1991) を思わせながら、リアルな苦さだ。
映画の『ウェディング・バンケット』(1993、アン・リー監督)には、米国に帰化したゲイのカップルが親の手前、ノンケのふりをして偽装結婚する話が描かれる。花嫁に選ばれたのはグリーンカードが欲しい画家の卵。偽装のつもりが同じベッドで・・・、という展開は『碾臼』と同様ながら物事の全くの裏側を見せる。そこで、ゲイ青年の結婚式に台湾からかけつけた富裕な母親の台詞がなんとも。花嫁とショッピングにでかけたが、手ぶらで戻ってきて、「いいなと思って手に取るととみんなメイドインタイワンかチャイナじゃないの。」確かに、DKNYもラルフローレンもジルスチュアートもしかり。日本ではその後揺り戻しが来ているが、米国は今も同じか、いやその生産国はもっと広がっている。
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