2009年8月4日火曜日

 ― ホースラディッシュ ―

 
   空耳やキャンプファイアーの闇に  青山茂根


 夏はバジル。だいぶ前に、植物を育てるのが趣味の人たちのメーリングリストに参加していたとき、とにかく皆それぞれバジルを育てていた。春、種を蒔くことから始まり、それも3月のまだ肌寒いうちに早蒔きし、部屋の中で管理して(だって誰よりも早くからその味を楽しみたいのだ)、ばら撒きした芽がある程度育ったらポットに植え替え、本葉が2,3枚になったらプランターに上げて、と手間がかかる。だが、夏の間中、摘んでも摘んでも増える葉はいろいろに活用できた。ピザやパスタ、サラダに載せるのはもちろん、イタリア料理の定番前菜のブルスケッタ、鯛などの白身魚のカルパッチョもこれを刻んで散らす。タイバジルの代用にも使う。ナンプラーで味付けしたトマトと鶏肉のバジル炒めもおいしいご飯のおかずだし、ベトナムの生春巻きにもミントとバジルの葉を巻き込まないと現地っぽい味にならない。そして、大量に使う楽しみはなんといっても自家製バジル・ペースト、所謂ジェノベーゼソース。本式には大理石のすり鉢でごりごりやるのだが、冷凍庫で冷やしておいたコンテナを使えばミキサーでも簡単でかなりおいしい。自家製の新鮮な香りと色の楽しみ。皆で育ち具合の情報交換をしたり、多く作りすぎた苗をやりとりしたり、食べ方の新しいレシピを教えあったりしていたのも楽しかった。

 そんなメーリングリスト仲間で、日本では手に入りにくい種を海外の種苗会社に皆で注文したりしていたが、どうしても私のほしいものがトンプソン&モーガン社のカタログにも、サットン・シーズ社のにも載っていなかった。他にはだれもそれを欲しがっていなかったし、どうしようかな、と書き込んだら、メールが届いた。「ローストビーフにはホースラディッシュ、欠かせないですよね。うちの近くの園芸店で根っこを売ってますから送ってあげますよ。」という親切なメールで、とにかくホースラディッシュを育てたい!と思っていた私には願ってもない申し出だった。それは、アメリカ在住の日本人の方で、現地の方と結婚して、その親御さんと一緒に昔のままの生活で、ほぼ野菜類は自給自足だということだった。しばらくして届いた根茎は、時折スーパーの野菜売り場でみかけるものよりひねこびていて、本当にこれが育つの?という印象だったが、やがて芽が出て、本葉が茂ると、「サラダに入れるとぴりっとした味わいがある」という葉を摘んで食べるのが楽しくなってしまった。夏の暑さや、葉を摘んでばかりいたせいか、その年の冬に掘り上げてみた根はかなり小さく、でも自家製ローストビーフにほんの少し添えるには事足りた。本来は2年目までおいて太らせるものらしかった。 今になって調べてみたら、北海道では明治時代に輸入され、栽培されたものから野生化もしているという。

 育てている間のメールのやりとりに、彼女の家の夏の終わりの収穫作業の様子、自家製のインゲンや人参やトマトなどをどんどん水煮して冬に備えて家で瓶詰めを作るさまなどが書き綴られていて、まさに幼い頃読んだアメリカ開拓時代の話『農場の少年』などの世界そのものなのが、羨ましく、自分の今の暮らしが、少し寂しく思えた。

 そういえば、趣味で俳句を少しやってるんですよ、と書いたら、あ、うちのハズバンドもhaikuやってるんです、と返信が来た。見せてください、とお互いにメールで俳句を送りあった。そのアメリカ人のハズバンド氏のhaikuは、自然詠の3行詩といった趣きで、海外では俳句はこのように認識されているのだろうと推測はできた。だが、数日後の彼女からのメールにはこうあった。「実は、あなたの俳句を彼に見せたら、怒り出してしまって。これは俳句じゃない、って言い張るんです。日本で現在詠まれている俳句なのだ、と言っても聞いてくれなくて。夫婦喧嘩になっちゃいました。」そもそも私の句なぞどうでもいいようなものなのだが、自分の非とも言いきれない事に、私がメールで謝るわけにもいかず、相手はアメリカ人なので、それは奇異に映るだろうし、と大したことでもないのになんとなく気まずいやりとりをしているうちに、お互い連絡が途絶えた。

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