今年は曲亭馬琴作『化競丑満鐘』である。
親しみやすい妖怪たちが多数登場することから選ばれたのであろう。
しかし、これは浄瑠璃のなかでも現代人にとっては難解な「時代物狂言」のフォーマットに基づいた作品なのである。
紛失したお家の重宝「文福茶釜」詮議のため牢人住まいとなった狸。
妻の雪女。
ふたりの間に一子川太郎(河童)。
狸の子は子狸のはずでは、などと突っ込んではいけない。
あくまでも化物たちがそれぞれに割り振られた役を演じているという趣向である。
狸の住居を、主家のろくろ姫が尋ねてくる。
姿は時代物狂言の赤姫そのものである。
不審な時刻に戸の叩かれるのをいぶかしみ、狸は得意の狸寝入りを決め込む。
戸を開けてもらえないろくろ姫は、こんなときこそと首を伸ばして座敷へと侵入する。
白い首がにゅるにゅるとうどんのように伸びてゆく様子。
そして、自らの境遇を訴え、座敷にある顔と戸の外の胴体がそれぞれに嘆く様子など、奇怪で面白かった。
この演目は歌舞伎でも上演されたことがあるようだが、私は未見である。
上記のシーン、歌舞伎ではどのような仕掛けを用いたのだろうか。
首の部分は布などで作るのだろうが、人間の顔との質感の違いが気になってしまうのではないだろうか。
すべてが人工物で出来ている人形ならではの、リアルなろくろ首であった。
さて、狸がろくろ姫を匿っていることは敵方に知れていた。
鎌鼬に呼び出された狸は、丑三つ時に受け取りに行くから姫の首を渡せと言われ、思案しつつ帰宅する。
ろくろ姫のかわりに、面差しの似ている妻の首を差し出すことを思いつき、川太郎も見る前で雪女を殺害する。
雪女も夫の意図を察し、よろこんで死ぬ。
「寺子屋」「熊谷陣屋」などでおなじみの偽首の趣向である。
あわれなことに、雪女の首はすぐ水になってしまう。
偽首に気づいた鎌鼬は手下の小化物らを従え取って返すのだが、悲しみの涙で頭の皿を満たした川太郎が千人力で彼らを追い払う。
時代物狂言では、主君への忠義こそ絶対至上である。
そのためには、一時しのぎの方策としてすら躊躇なく身内の命をさしだす。
もちろん主人公は大いに嘆き悲しみ、犠牲となった妻や子を惜しむのだが、迷いや葛藤はない。
あらかじめ定まった優先順位に従って行動するのみなのだ。
『菅原伝授手習鑑』の「寺子屋」における武部源蔵の「せまじきものは宮仕え」という台詞は、観客の慨嘆の声でもある。
同時代の観客たちは、登場人物たちの悲惨な境遇に同情しつつ、わが身をふりかえってほっと胸をなでおろし、涙を流しながら拍手喝采したのだろう。
さて、私が観劇したのは日曜日で、多くの観客が親子連れであった。
時代物狂言の約束事など知る由もない子供たちに、こうしたシーンはとても理不尽なものに映っただろう。
何が起きているのかさえよくわからなかったかもしれない。
終演後、ロビーでは狸、川太郎、ろくろ姫の人形が出迎えてくれていた。
女の子がちいさな手で、さらにちいさなろくろ姫の白い手を握りしめ、離そうとしない様子が印象的だった。
赤姫に臓腑の無くて日傘かな 中村安伸
「この演目は歌舞伎でも上演されたことがあるようだが、私は未見である。」と書きましたが、実は観ていました。
返信削除妻に指摘され、観たという事実は思い出したのですが、ろくろ姫の首がどうなっていたか、まったく思い出せません。ちなみにろくろ姫を演じたのは片岡孝太郎丈です。