2009年8月12日水曜日

観劇録(2) 国立文楽劇場『天変斯止嵐后晴』

先週この欄に国立文楽劇場夏休み公演第一部の観劇録を書いたが、それを観た前日、午後7時開演の第三部を観ていたので、そちらについても書いておく。

「サマーレイトショー」と銘打たれ上演された演目は、シェークスピアの『テンペスト(あらし)』を翻案した『天変斯止嵐后晴』(てんぺすとあらしのちはれ)である。
「天変斯て止み、嵐のち晴れとなる」と読み下す外題は、文字を奇数にするというセオリーを守りつつ、芝居の内容を象徴するものとして、脚本担当の山田庄一がパンフレットで自画自賛していた。
私も見事な外題だと思う。

言うまでもないが、文楽とは人形遣い、大夫、三味線の三業がひとつとなってつくりあげる総合舞台芸術である。
そして、三者のうちもっとも目立たないのが三味線であろう。

その三味線がずらりと正面舞台に並び、大夫も人形も登場させず、その演奏のみによって吹き荒れる嵐の様を表現する冒頭の場面はとてもすばらしく、三業のなかでも三味線を特に愛好している私にとって、感慨一入であった。

故石井眞木に、マリンバ、打楽器、テープ、それに文楽大夫による曲がある。
補陀落渡海をテーマにしたもので、音響詩 「熊野補陀落」というタイトルであったが、2001年7月、草月ホールにその演奏(大夫は竹本綱大夫)を聞きに行ったとき、曲はともかくとして、パンフレットに「三味線を排除し」などと書かれていて憤慨したものであった。
その仕返しというわけではないだろうが、この「あらし」の場面では大夫のほうが排除されているのである。

『天変斯止嵐后晴』の作曲を担当したのは、先ごろ人間国宝となった鶴澤清治。
正確無比で豪快、繊細にして大胆、金属のように乾いて純粋な清治の三味線の、私はちょっとした贔屓である。
情感のふくよかさといった面では、もう一人の人間国宝である鶴澤寛治に及ばないかもしれないが、それぞれに魅力的である。
寛治がクラプトンなら清治はジェフ・ベックといったところか。

すでに廃業してしまったようだが、清治の弟子に清太郎という若く実力抜群の三味線弾きがいた。
その清太郎が2002年5月、紀尾井ホールで「清太郎の会」という催しを行ったことがある。
自作の三味線曲「夢心」を数挺の三味線をしたがえて演奏していたが、文楽三味線のみによる楽曲演奏を聴くのはそのとき以来かもしれない。

清太郎の曲は、西洋音楽の影響があらわで、演奏はすばらしかったが曲としてさほど面白いものではなかった。
一方、師匠の清治による「あらし」の曲は、音楽であると同時に効果音でもあり、弦楽器であると同時に打楽器でもある文楽三味線というものの特徴を活かしきったものだったと思う。

 *

さて、このように冒頭の場面にばかり行を費やすのは、その後の場面の印象があまり残っていないからである。

睡眠不足のせいもあるが、芝居全体をとても冗長に感じてしまい、ひたすら睡魔と格闘する時間が続いた。
パンフレットには、ピンチヒッターとして脚本を依頼され、時間がなかったなどといった山田庄一の言い訳めいたコメントが掲載されていたが、その脚本にばかり非があるとも思えない。

私が大学生の頃だったから十数年前、資料によると1991年、市川染五郎主演で、当時の東京グローブ座で上演された『葉武列土倭錦絵』という演目があった。
もちろん『ハムレット』を歌舞伎に翻案したものであるが、これも残念ながら印象希薄だったと思う。
古すぎて記憶にないだけかもしれないが……。

『天変斯止』も『葉武列土』も、戯曲を翻案するにあたって、いわゆる「時代物狂言」の世界にあてはめているのだが、先週『化競丑満鐘』の観劇録において述べたとおり、時代物の登場人物に内面の葛藤というものはない。
また、赤姫には赤姫の、若侍には若侍の類型的なキャラクターがあり、それぞれの行動パターンはほぼ決まっているのであり、そこからはずれた行動には、どうしても違和感をもってしまうのである。

このように書きつつも、忸怩たる思いがあるのは、蜷川幸雄演出の歌舞伎版『十二夜』を観ていないからである。
何度か再演されているにもかかわらず、タイミングがあわずに見逃してしまっている。
何度も再演されるほど評価が高いということは、もしかしたら上記の困難さを、蜷川幸雄独特の方法でクリアしているかもしれない。
次の上演を心待ちにしている。

  液晶に秋の天気図指紋捺す    中村安伸

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