haiku & meの言葉・即物・浪漫……高山れおな
「俳句界」の十二月号をパラパラしておりましたら、半頁大のとある広告に目が止まりました。「宝井其角生誕三五〇年記念 本邦初 俳文コンテスト作品募集」というのがそれです。選者には、加藤郁乎氏を先頭に、土屋実郎、須藤徹、鳴戸奈菜、二上貴夫……と、知った名前や知らない名前がならんでおります。驚いたのは主催者で、NPO法人其角座継承會というのです。うーむ、其角座などというものがいまだ存続していたとは。さて、その広告の「俳文の定義」の項を見ますと、「公募にあたり一義的に俳文の定義を定めず、《少なくとも俳句一句以上を含んだ、千二百字以内の文章》とします。」とあります。「haiku & me」の皆さんが、俳文という意識で書いておられるのかどうか、今ひとつ判然としませんが、どうせならその方向で純化してゆくことを試みられたら面白いのに、といつも思いながら拝見しておりました。そんなこともあって、「俳句界」の広告にハッとしたのでした。
「haiku & me」の俳句を鑑賞せよと青山茂根さんから御下命を受けたまま日がたってしまいました。ホームグラウンドである「俳句空間――豈weekly」にさえ記事を書けない状態がずっと続いておりました。御海容を請う次第です。で、日がたちすぎて「haiku & me」の何月分を鑑賞せよというお話だったのか忘れてしまいました。茂根さんに尋ねればいいんですけど、それも面倒なので、ラベル欄の掲出順に、既発表作を全て読んでしまいます(十一月二十日分まで)。基本的に対象は俳句だけ。文章の方は、必要に応じて参照します。
上野葉月
流星やバカと囁かれてみたい 10月8日
鍵盤を滑る指先秋桜 9月15日
朝顔の薄い薄いと呟けり 9月8日
肖像の首長くあり桐一葉 9月3日
パプリカのサラダさらさら夜の秋 8月25日
零戦に尾鰭背鰭のありにけり 8月18日
梨硬しメール取り出す塾帰り 8月11日
言葉の意味はわかっても、何を表現したいのかが伝わってこない憾みがあります。着想、レトリック共に、突き抜けたものが感じられないのは残念でした。例えば一句目「流星やバカと囁かれてみたい」。着想が、いささか古めかしい通俗歌謡の歌詞のようでいただけません。作者は、ほんとに「バカと囁かれてみたい」のでしょうか。気がお若いのはよくわかるのですが。
それから六句目「零戦に尾鰭背鰭のありにけり」。零戦にはとうぜん主翼があり尾翼があり垂直翼があります。飛行機の翼はそもそも魚の鰭のような形をしています。元来、似た形状のものを、「尾鰭背鰭」と言い換えることにどのような興があるのでしょうか。南方で撃墜された零戦が、魚のように海中をさまよっている、といったようなイメージなら興の在り処は見えます。しかしもちろん、この句はそのようには書かれていません。
次の「梨硬しメール取り出す塾帰り」も表現が舌足らずに思われます。塾が終わってポケットか鞄から携帯電話を取り出し、メールをチェックしている情景なのでしょうが、「メール取り出す」は言い回しとして熟していない感じがします(スラングとして定着している?)。「梨硬し」も情景にふさわしくないようです。弁当に梨が入っていることはあるにせよ、「塾帰り」なんですから今さら弁当の梨でもないでしょう。リンゴを歩きながら皮ごと食べることはあっても、梨はあまりそのようにしません。それとも、もう家に着いているのでしょうか。帰宅してパソコンを開いている。だったら景としてはまだしもわかります。でもどちらにしてもあまり面白くないし、再現的な句なのにピントが甘いのは争えません。他の四句は特に難も無いものの、ごく普通の俳句という以上を出ないようです。
中村安伸
ブラックコーヒーといふ喪装や秋晴れに 10月28日
きちかうに神経に火をつけむとす 10月21日
十月の森に囲まれ大使館 10月14日
月姫のつめたき肌を病みにけり 10月7日
引く波の渦を残せり秋彼岸 9月30日
こほろぎを聴く図書館の設計図 9月23日
緞帳の河緞帳の月映る 9月16日
果てることなき休暇とも纏足とも 9月9日
水の秋余白を毀す碧梧桐 9月2日
秋空の一点に吊る転害門 8月26日
秋の蚊やジグソーパズルとなる笑顔 8月19日
液晶に秋の天気図指紋捺す 8月12日
赤姫に臓腑の無くて日傘かな 8月5日
沈鬱な表情をたたえた佳句がいくつもあり感銘しました。一句目「ブラックコーヒーといふ喪装や秋晴れに」は、コーヒーの黒を喪の表象としての黒にとりなしているわけですが、喪服ではなく、「喪装」という見慣れない言葉を持ってきたのがポイントだと思います。喪服では具体的に過ぎ、平俗で理に落ちた印象になったでしょう。この句では具体的なのは「ブラックコーヒー」だけでいいのです。身近な誰かの死があったと読んでもいいし、そうではなく、何らかの失意をこのように表現したとしてもよいと思います。明るい「秋晴れ」を背景に、コーヒーの黒いたゆたいに見入っている暗い心を感じ取れば充分です。
次の「きちかうに神経に火をつけむとす」も同様の構造を持っています。「きちかう」は、前句の「ブラックコーヒー」同様、眼前の実です。前句の人物がコーヒーに見入っていたように、この句の人物は「きちかう」に見入っているのですが、その心情は一層激しく、失意を通り越して身の内を焼くような怒りに苛まれています。それが「神経に火をつけむとす」というメタファーを呼び起こします。この「きちかう」は、いま現在うつくしく咲いているのであり、それに火をつけることはありえませんが、一方、枯れた供花を燃やすのは普通のことです。そこで「火をつけむとす」のメタファーは単なる比喩には終わらず、半ば実の裏づけも持っているのです。そのことが自分で自分が何をしでかすのかわからなくなっているような切迫感に、リアリティを与えています。「きちかうに神経に」というたたみかけるようなリズムも内容によく合って、強い句になっています。
四句目「月姫のつめたき肌を病みにけり」は、上五中七を短歌の序詞のように読みたい。つまり、句の内容は「病みにけり」だけということです。本当に病んでいるのでも、病んでいるような気分だということでも、それはどちらでもいい。で、それはどんな病、どんな気分なのかといえば、「月姫のつめたき肌」のような病あるいは気分なのだという。世界から拒絶されたような、冷え冷えと萎縮した、そんな心持ちでしょうか。オタク界に「月姫」というアニメキャラクターが存在するようですが、この場合はそれではなく、文字面から読み手各人がイメージする「月姫」でいいし、かぐや姫の物語もありますからそれもそんなに難しいことではないでしょう。
六句目は、「こほろぎを聴く/図書館の設計図」と句切って読めば、建築家が図書館の図面を引いている、あるいは関係者が図書館の図面を囲んで打ち合わせをしている、開け放たれた窓からはコオロギの声が聞こえてくる、といった情景を無理なく得ることができます。しかし、同時にそれだけで終わらせたくない気もします。そんな気を起こさせるのはもちろん「図書館」の力でしょう。もし、図書館をマンションに置き換えたらどうか。「こほろぎを聴くマンションの設計図」――うん、これでも全然、問題はない。むしろ情景としてはより普遍的かもしれません。でもしかし、やはり図書館の方がよいのです。そこでいっそ前述のように句切らずに、「『こほろぎを聴く図書館』の設計図」というふうに読んでみたらどうかと思うのです。秋には虫がすだくような庭のある図書館、あるいは建物の裏がそのまま山野に臨んでいる図書館かもしれません。江戸時代には、虫聞きといって、虫の名所に出かけていって虫の声を楽しむ習俗がありましたが(子規&虚子の道灌山一件で有名な道灌山はそうした名所のひとつでした)、そういう場所に建てるのだから、せっかくなら秋には虫たちの声を聞きながら本を読める構造に設計しよう、クライアントか建築家がそんなアイディアを思いついたとしたら……。想像をたくましくし過ぎだと言われそうですが、図書館の本質がじつはそのようなロマンティックなものなのではないでしょうか。我々の街のつまらない図書館ですら、一生かかっても読みきれないほどの文学と科学の、つまりは人間の想像力の産物を集積した場所なのです。いわんや史上のまた現在の数々の大図書館においておや。というわけで、最初に記したような実際的な情景を担保しつつ幻想に溶出してゆく、そんな二重性を持っているところが、この句の素晴らしさだと思います。
八句目「果てることなき休暇とも纏足とも」も面白い。たまたま作者の中村さんの個人的状況を存じ上げていますし、またその個人的状況が機縁になって詠まれた句には違いないでしょうが、それにしても下六の「纏足とも」の転回には驚かされます。「纏足」という言葉に託されたのが閉塞感や地に足がつかないような不安な気分なのだとしても、この飛躍自体に一種の救いを覚えます。これをしも境涯詠と言って言えなくはありませんが、だとしたら境涯詠のニュータイプに他なりますまい。
次の「水の秋余白を毀す碧梧桐」は成功作ではないとしても、凡作でもない。“余白の美”なる逃げ口上がわが国の造型美術を多分につまらなくしたと思っている人間としては、「余白を毀す」者として再定義された「碧梧桐」に快哉を叫ぶのにやぶさかではありません。しかし、「水の秋」――「余白」の語には映っているけれど、「碧梧桐」には合っているのかな。そこが今ひとつわかりません。
十句目「秋空の一点に吊る転害門」。奈良といえば芭蕉であり、子規であり、秋櫻子であり、誰であり、彼であり、要するに俳句史はかなりの佳什を蓄えてきました。本作は、その列に加わるに足りる出来ではないでしょうか。まずは、転害門(てがいもん)という目のつけどころが冴えています。同じ東大寺の門でも、南大門や中門のあたりは観光客でごったがえしておりますが、広大な境内の西の外れに孤立している転害門まで見にゆくのは結構な物好きだけです。じつは東大寺でも唯一の創建当初の建物で(三月堂もそうですが、鎌倉時代に大改修を受けています)、単層の簡素な造りながら、やはり後出来のものとは違うんですね、アルカイックでとても美しい。そんな名建築が、車がビュンビュン行き交う道路のそばにさりげなく建っているのも古都の凄みではあります。さて、作者はそのような門を「秋空」に「吊る」してしまいました。この自在なイメージは、安井浩司(「埜をやくやしじまの空に馬具ひとつ」など)や攝津幸彦(「秋風の机上に六波羅蜜寺かな」など)に学んだものでしょう。天然の清爽と人工の清爽を、「一点に」貫いた佳吟です。
十一句目「秋の蚊やジグソーパズルとなる笑顔」は、ただでさえ皺だらけの老人が笑うといよいよ無数の皺が寄ってまるでジグソーパズルのようだ、と言っているわけでは多分ない。というか、そうとも取れますが、それだとやや浅薄な見立て俳句にとどまるようです。年齢によらず笑えば皺が寄るわけで、皺は発想源にあるにはある。しかし、そこからさらに一歩踏みこんで心理的な崩壊感とか、疎隔感を詠もうとしていると思います。ジグソーパズルとは崩れを内包したものであり、かつイメージが細分化されている結果、元のままのつるんとした絵や写真よりも遠くにあるものだからです。「秋の蚊」にはそのような崩壊感、疎隔感とパラレルな、寓意的なニュアンスがこめられていると見てよいでしょう。そのあたりさえ押えておけば、自称と取るか他称と取るかなどは、読者の好みでよいと思います。
最後に「赤姫に臓腑の無くて日傘かな」。歌舞伎のお姫様役は、赤い着物を着ていることが多いため、赤姫と総称されるそうです。赤姫は、生身の役者が演じているにもかかわらず、いわば「臓腑の無」い記号そのものではないか、と作者は言っているのでしょう。それにしてもなぜ“赤”姫なのでしょうか。他の色ではいけなかったのでしょうか。だって例えば、わが国の最高の文学作品で最高の女性として描かれている貴婦人をシンボライズする色は、紫だったではありませんか。もちろん視覚効果ということを考えれば、わからないではありません。しかし、それはほんとうに単なる視覚効果のためだけなの? 「蓮實重彦の書物は女が出てくるとにわかに精彩を放つ。それはまるで批評書ではなくフィクションを読んでいるような体験だと言ってもかまわない。そしてそのとき、読者の目の前で、本書に点在する『赤』は生々しい傷口、『フィクションという尋常ならざるものへの不気味な開孔部』になり、禍々しい緋文字、真っ赤な嘘に変貌する。」――これは二年前に出た蓮實重彦著『「赤」の誘惑 フィクション論序説』(新潮社 二〇〇七年)についての若島正氏の書評の一部です。赤姫が赤姫でなくてはいけない理由をかすめているのではないか、そんなふうに思って、唐突ながら引いてみました。この一節を読むと、「臓腑の無くて」の表現がいよいよ納得されるようです。中村赤姫は、おのが体腔の真っ赤な空虚を見せつけながら、長々と赤い裾を引き、日傘を差して俳句という舞台を悠然と横切ります。その時、生身即記号の存在である赤姫は、境涯即言葉の位置へと通過しようとする中村俳句の象徴と化すのかも知れません。
広渡敬雄
かなかなに遠き祖先やこの山毛欅にも 11月5日
雪解けの水吸ふ音か山毛欅稚し 同
雲生まる雪渓よりもまだ淡く 10月1日
露過ぎしあとの水滴鳥兜 同
広げたる地図に雲海迫り来る 同
先日は、御句集『ライカ』(ふらんす堂 二〇〇九年七月五日刊)の御恵投にあずかりました。遅ればせながら、この場を借りて御礼を申し上げます。人事句、自然詠、それぞれに読みどころ満載の句集だと思いましたが、とりわけ自分ではよくしない自然詠に惹かれました。櫂未知子さんの栞文に、「写生と情との間に存在する、曰く言い難いもの。自然の中に人間が分け入って、その言い難いものを得るのが俳句の理想ならば、敬雄俳句はその王道を歩んでいるといえるだろう。」とありますが、言い得て妙だと思います。
一句目「かなかなに遠き祖先やこの山毛欅にも」はしかし、櫂さんの言う情の部分が、やや性急に前に出すぎて消化不良になってしまったようです。この場合の「遠き祖先」はもちろん、生物進化上の祖先ということでしょう。なるほど、「かなかな」にも「この山毛欅」にも「遠き祖先」にあたる種はあるに違いありませんけれど、そのことにシンパシーを抱けといわれてもいささか難しいのかなと思います。かなかなにせよ山毛欅にせよ、種としてあまりにも人間から遠過ぎるためです。
二句目、三句目、四句目は、『ライカ』で拝見しました。どれもすがすがしい句ですが、こんどの文章と一緒に読むと、句の理解という点では逆に混乱するように思いました。例えば「雲生まる雪渓よりもまだ淡く」の句に引き続いて、大水上山に登られた話が出てきて、三角雪渓周辺の様子などが語られます。ために引きづられてこの句を近景を詠んだものと思って腑に落ちなかったのですが、句集では「乗鞍の雪渓見ゆる馬柵の冷え」と並んでいますから、遠景の句なのだと了解しました。それならよくわかります。三者のうちではとりわけ、「雪解けの水吸ふ音か山毛欅稚し」が好きです。御句集中には他に、「蓬摘む畦の弾みの伝はり来」「春筍を掘るや鼓動を探るかに」などがありましたが、それらと同様の視線のやさしさ、濃やかさに打たれます。
句集の中に、「日本三百名山完登」との前書があって驚愕しました。五句目「広げたる地図に雲海迫り来る」は、ベテラン登山者である広渡さんにはごくおなじみの体験ということなのでしょう。尾根の上で地図を広げ、コースを確認している場面などが想像されますが、現実の地形を二次元に縮小した地図と現実そのものとが重ねあわされることで、句の中に懐かしくも広大な空間が開かれるように感じられるのが不思議です。現実の反映であると同時に、観念の反映でもある地図という存在の二重性が、その不思議を引き起こしているのでしょうか。また、「雲海迫り来る」によって、尾根を吹き渡る風が見えてくるは言うまでもないことです。
榮猿丸
水洟を拭かれこどもや話止めず 11月16日
文化祭即席バンド音符にルビ 11月9日
相部屋の隅のトランク櫨紅葉 11月2日
新米に埋もれ計量カップなる 10月26日
ブルドーザーの椅子尻の形(なり)鰯雲 10月19日
胡麻振るやハンバーガーのパンの上 9月28日
蜜厚く大学芋や胡麻うごく 9月21日
恋文を燃やす灰皿秋暑し 9月14日
怪談の擬音が怖し夜の秋 9月7日
穴開きしれんげや冷し担々麺 8月31日
襟首に汚れ二すぢ百日紅 8月24日
すいかバー西瓜無果汁種はチョコ 8月17日
ロックフェスティバル先づ麦酒のむ草に坐し 8月10日
ひるがほや錆の文字浮く錆の中 8月3日
榮猿丸さんの文章は少しも理解できません。というのは言い過ぎで、話題が俳句の場合は大丈夫ですが、音楽の場合は全くチンプンカンプンです。もちろん、当方が音楽を聴かない人間だからです。それでもクラシック音楽であれば多少はわかりますが……。難しい話がされているわけではないのは承知しております。しかし、当方にわからせようと思ったら一行一行に注釈が要るでしょう。難解だ平明だといっても、要するにたまたまある情報のセットを共有しているか否かに過ぎなかったりするわけで、俳句の価値判断に無造作に持ち込むのは考えものです。これは余談。
さて、上掲の十四句のほとんどが、真・行・草でいえば真、すなわち楷書体の句です。最後の「ひるがほや錆の文字浮く錆の中」だけが行書体といったところでしょうか。要するに非常に明解な再現性を帯びていて、鑑賞といっても何を付け加えたらよいのやら困るところがあります。しかし、あえて気になるところにこだわれば、例えば一句目「水洟を拭かれこどもや話止めず」の中七のや切れです。いわゆる澤調の一特徴であり、他に七句目に「蜜厚く大学芋や胡麻うごく」があります。なぜここに「や」を使うのか。「水洟を拭かるるこども話止めず」「蜜厚き大学芋の胡麻うごく」でも内容は変わらないし、むしろリズムがなだらかになる分ベターであるという判断もあり得ます。作者も多分それを承知の上で「や」を使っている、そこが気になる。結論から言ってしまえば、これらの句では描かれている景と読者の間に、作者という抵抗体が挿入されているのではないかと思います。そしてそのことにより、一句を仕立ててゆく意識の流れのようなものが外在化される。「水洟」の句はおそらく、子供が母親に鼻水を拭いてもらいながらも、興奮して喋り続けているのを面白いと思って作られたのでしょう。その様子は、充分よく捉えられていますが、再現性が高まるほど、その出来上がりまでのプロセスで積み重ねられる取捨選択の痕跡は掻き消されてしまいがちです。そして実際、ホトトギス系の写生などは、上善は水の如しとでもいうような、作者の存在を完全に消去したゆき方になっている。ところがこの作者には、それでは物足りないという思いがあるのでしょう。その思いが、このように必ずしも必要ではない「や」を要請しているのではないでしょうか。
作者という抵抗体の挿入の仕方にはこのような「や」の使用だけではなく、五句目「ブルドーザーの椅子尻の形(なり)鰯雲」におけるような字余りもあれば、十二句目「すいかバー西瓜無果汁種はチョコ」のような視覚とリズムの微分化、十三句目「ロックフェスティバル先づ麦酒のむ草に坐し」のような倒置法によるいささか駄目押し感を伴う下五の斡旋など、さまざまなやり方があるようです。つまりはこの作者(というより「澤」に、というべきかも知れませんが)に遍在する手法に他なりません。手法というよりは態度という方が正確なのかしら。どちらにせよ作者は、この手法もしくは態度の採用によって、文学からはもちろん俳句からさえもこぼれ落ちてしまいそうなあらゆる瑣末な事象を、トリビアリズムの無味乾燥に陥ることなく、また伝統美学による保証抜きで、作品化する自由を手に入れたのです。
最後に、これのみは行書体の句ではないかといった「ひるがほや錆の文字浮く錆の中」については、神野紗希さんと中村安伸さんの名鑑賞があるので、ご参照いただきたいところ。中村さんが「ところで『錆の文字』という書き方は、すこしばかり曖昧だ。」と指摘する、まさにその点が、当方が行書体を云々するゆえんです。神野さんが提示する漁港風景という解釈はまず穏当なところでしょうけれど、そう書かれているとも言い切れない、言葉の上からは。中村さんが一案として述べる「錆」という文字そのものが錆びた鉄板に書かれているのではないかというイメージはですから、あり、だろうと思うのです。例えば「錆び落とし」などと書いてある、板金工場や自動車修理工場の古びた看板を思い浮かべればいいわけです。看板自体は錆びていなくても、看板が掛かっている工場の壁が錆びたトタンだったりするのでもよい。このように多義的な解釈を許す曖昧さがつまり行書体ということで、個人的には楷書体より好きなようです。
浜いぶき
踊り場の壁のかたさや星月夜 10月22日
助手席の少女越しなる花野かな 8月27日
一句目の人物は「踊り場」にひとりでいるのでしょうか。ふたりかも知れません。といったあたりから当方はすでに妄想ないし回想モードに入っております。ほっておいてください。
二句目ですが、ロードムービーを話題にした文章に付いた句ですので、映画のワンシーンということかも知れません。それはともかく、いちおう車の運転もする人間として申せば、この状況は危険です。やっぱり運転手は景色は楽しめないものでして、ややリアリティの薄い句ということになりそうです。
興梠隆
さみだれをしのぐに高し関門橋 11月12日
上田五千石に「塔しのぐもののなければしぐれくる」という名句があって、郁乎御大が激賞していたやに記憶します。その句など思い出しました。掲句は五千石句のようなシリアスな求心性よりは、雨宿りしようとしたが橋が高すぎ、斜めに雨が吹き込んできて埒があかない、というコミカルな内容が持ち味になっています。文章の方を短く整えれば、それこそ格好の俳文が出来上がりそうです。
青山茂根
冬薔薇のちぎり取られし名を拾ふ 11月20日
漂流の小さき机をフレームに 11月13日
落花生干して聖書の上の手よ 11月6日
くづほれるとき赤い羽根あたりより 10月30日
夜業着を背負ひて長き橋渡る 10月23日
航海を終へたる銀杏黄葉かな 10月16日
名月の中にも骨を拾ひをり 10月9日
滑走路途切れて虫の闇はじまる 10月1日
少しだけあらがふやうに砧かな 9月25日
飛行機を降りて夜食の民の中 9月18日
どれほどの船を見て来し小鳥かな 9月11日
誰が袖にあらずや菊枕咬めど 9月4日
鈴虫を連れ隊商(キャラバン)の最後の一人 8月28日
カンテッラとはかげろふの歓びに 8月21日
八月十五日の紙飛行機を追へば 8月14日
墓石の雲居のしみを洗ひけり 8月7日
空耳やキャンプファイヤーの闇に 8月4日
水に棲むやうに遠雷を聞きぬ 7月31日
「haiku & me」発足のいきさつはよく存じ上げませんが、言葉主義、即物主義、ロマン主義と、三者三様のメンバーが一緒に事を始められたのが不思議でもあり、面白くもあり。そう、青山茂根はロマン主義者だなと、これら十八句を読みながら再確認しております。本人がそのように呼ばれて喜ぶか否かはさておき、それが客観的評価というものでしょう。
一句目「冬薔薇のちぎり取られし名を拾ふ」からして、ロマンティックな自己劇化が見られます。しかし、そうした自己劇化が女性作者によくあるナルシズムに陥らないのが、この作者の珍しい個性です。こんどの文章を読んで、ずいぶん薔薇に詳しいことを知りましたが、その詳しさが発想の前提になります。詳しくなければ、長たらしい片仮名語を薔薇それも冬薔薇の品名と特定することはできません。まして、「ちぎり取られ」ている以上、品名自体、完全な形では読めないかも知れないのですから。さて、「冬薔薇」も「ちぎり取られし」もそれだけですでに劇的な気配を帯びてはいますが、茂根ロマン主義の肝は、この場合、下五の「名を拾ふ」にあります。品名の書かれた札を拾う、紙切れを拾う、では猿丸即物主義になってしまいます。実際はそうだとしてもこの作者は「名を拾ふ」のです。なぜなら彼女は、「いま・ここ」には不在の「いつか・どこか」をこそ希求するロマン主義者なのですから。物としての「冬薔薇」はこの句の中に存在していません。しかし、「いつか・どこか」でそれは咲くのです。その「いつか・どこか」への通路になるのが「名」に他なりません。非在の「冬薔薇」は、「名」によって無への消滅を免れているのです。
二句目「漂流の小さき机をフレームに」は、やや歌い過ぎの感あり。「フレームに」は写真に撮るということでしょうか。雰囲気は良いのですが、どうも解釈しきれませんでした。
三句目「落花生干して聖書の上の手よ」。「落花生」の例句なら歳時記にありますが、「落花生干す」の説明は見つけられず……あ、いいものがあったと取り出したのは高山修一著『千葉はうまい 旬・菜・記』(崙書房出版 二〇〇九年十月二十日刊)。高山修一とは船橋に住んでいる当方の父親で、「食といえばフランス。フランスといえばプロバンスが頭に浮かぶが千葉にないのはワインぐらい。誰もいわないけど実は房総の方がはるかに幅広く奥深い食材の宝庫で、素材の実力では世界一豊かなのは千葉ではないか。」と、フランスにもイタリアにも中国にも行ったことない身で妄想を膨らませ、千葉の食材を紹介している地元自慢本です。大産地ですから、当然、落花生の項が立っております。「温暖な気候の県内の農産物は全国上位に位置する品が多い。ずば抜けているのが落花生で、全国の7割のシェアを占める。……乾燥のために落花生を積み上げたボッチは晩秋の風物詩だ。……ボッチは地面からの湿気を避けるため10センチほどの高さのパレットの上に重ね、雨よけにワラをかぶせる昔ながらのやり方で、丁寧に寒風を当て、乾燥させる。」――はい、「落花生干す」についてはわかりました。掲句に戻れば、もし「落花生“食ひて”聖書の上の手よ」なら、「落花生喰ひつつ読むや罪と罰 虚子」と同様の状況としていいのでしょうが、あくまで「食ひて」ではなく「干して」なのです。かといって千葉県のクリスチャンの農民を詠んだとも思えない。あれこれ考えた末、これはアメリカの黒人奴隷をモティーフにしているのではと思い至りました。かの国では、落花生には奴隷の食べ物との連想があるのではなかったかしら。一方、「聖書の上の手よ」はオバマ大統領の宣誓のイメージでしょう。黒人奴隷の受難史と、(本人は奴隷の子孫ではないとはいえ)初の黒人大統領誕生の栄光とが、モンタージュされているのです。落花生を干すボッチの嘱目から発想したものか、大統領就任式の報道から発想したものかわかりませんが、両者を結びつけた飛躍はみごと。「よ」の一語に共感を漏らしながらも、さらりと乾いた感触なのも良いと思います。
四句目「くづほれるとき赤い羽根あたりより」は基本的にはメタファーの句でしょう。その場合、「くずほれる」のは肉体ではなく心です。「とき」や「あたり」などの表現はゆるいと言えばゆるい。でも、だからこそ「赤い羽根」のはかなさに吊り合っているともみなせます。この句はもうひとつ、ロバート・キャパがスペイン内戦の時に撮った有名な《崩れ落ちる兵士》のイメージが元になっているのではないか、とも考えられます。《崩れ落ちる兵士》が撃たれたのは頭部ですが、もちろん「赤い羽根」を帽子に付けることはあるわけですし、また必ずしも頭部にこだわらなくともよいでしょう。「赤い羽根あたり」は、銃弾が貫く位置を示すと同時に、吹き出る血の幻視ともなっています。こう解釈するなら、塚本邦雄の「突風に生卵割れ、かつてかく撃ちぬかれたる兵士の眼」と同様の構造を持った句ということになります。「赤い羽根」という凡庸な風物詩と、戦場における無残な死、その両者のイメージの重ね焼き。エキセントリックで不吉な魅力を湛えた句です。
五句目「夜業着を背負ひて長き橋渡る」を読んで、自分も深夜まで働くことが多いが、その場合、着ているものは夜業着ということになるのだろうかとふと思いました。もちろん違うでしょうね。夜業とは基本的には工場労働であり、夜業着は工場の制服だと思ってよいでしょう。掲句は、仕事を終えた労働者が深夜ないし明け方、仕事の火照りの残る体を秋の夜風になぶらせながら帰ってゆく光景。季語発想で作ったに過ぎないかも知れませんが、「長き橋渡る」の設定が巧みで、しんみりとした叙情性を獲得しています。
六句目「航海を終へたる銀杏黄葉かな」もまたロマン主義者らしい作でしょう。長い船旅を終えた人と会っている、おりしも銀杏黄葉の頃であったというのが最も常識的な解釈。その航海を終えた人の眼に、このみごとな銀杏黄葉はどう映っているだろうかと思い遣った、ということでもよいでしょう。また、人生航路という言い方があるように、「航海」を比喩と解することも許されます。銀杏黄葉の壮麗さのうちに、喪失感と安堵感とがこもごもにわきおこる、そんな時間がしみじみと流れているようです。
七句目「名月の中にも骨を拾ひをり」は、美と凶の対比があざとく、それだけにどこか類型の匂いがします。
八句目「滑走路途切れて虫の闇はじまる」。これはもう実景そのもの。ではありますが、煌々と照明された人工の世界が「途切れて」、人間以外の生き物たちの闇の世界が「はじまる」という言葉の続けように、単なる描写にとどまらない思いの深さを感じます。なお、空港は(特に大空港は)たいそううるさいので、はたして虫の声が聞こえるかどうか。それでも、空港周辺の虫たちのいそうな闇ならきっと見える。その闇を見て、その声を心に聴いている、ということでもよいのです。
九句目「少しだけあらがふやうに砧かな」は、おそらく季語発想で書かれた実感の薄い句で、歌い過ぎでもある、というふうに思いました。
十句目「飛行機を降りて夜食の民の中」は、「民」という言葉が醸す距離感からして外国の空港に降り立った情景であると考えられます。「夜食の民」がいるのは空港ではなく、街の方でしょう。空港から車で市街に入ると、まだカフェやレストランは明るく、人々がさかんに飲み食いしているというのです。一読、降り立ったのはどちらかといえば貧しい国なのではと思いましたが、だんだんパリでもロンドンでもいいような気がしてきました。たった数時間前まで属していたのとは異なる秩序や時間の中に合流して覚える胸のときめきを、「夜食の民の中」という、いささか角張って大仰な表現で捉えています。この作者には珍しく、少しくコミカルな味わいがあるようです。
十一句目「どれほどの船を見て来し小鳥かな」は、やや感傷的ながら斬新。「船」も「小鳥」も、共に旅するものであり、それぞれに浪漫的精神を象徴する存在といってよいわけですが、この作者はさらに両者を結びつけ、交錯させてしまう。句の表面に現われた言葉は穏やかでも、高ぶった心が潜められています。両者の比較はまた、小さな哀れな小鳥が、人間の造った巨大で頑丈な船にも劣らず、何千キロもの海をわたる力を持っていることを想起させます。そのような生命の可能性に対する讃嘆や、いじらしいと思う気持ちも込められているでしょう。
十二句目「誰が袖にあらずや菊枕咬めど」の「菊枕」には、主君の枕を跨いだ罪で山中深く追放された周の穆王の寵童の故事に基づく、謡曲「菊慈童」の面影があります。また、「袖」は、『古今集』の「さつきまつ花たちばなの香をかげば昔の人の袖の香ぞする」以来、王朝和歌においては別れた恋人を思い出すよすがとされ、殊に『新古今集』の歌人たちはこの古今歌の本歌取りをさかんに試みました。花橘、菊の両者とも匂いが観賞のポイントになる花ですし、枕と袖をつなぐ媒介項としてはもうひとつ、“袖枕”という歌語の存在も指摘できます。この句、要は、男色の気配もまつわらせつつ、菊枕を咬んで過ぎた恋への感傷に耽る、茂根風新古今調の悶々ぶりを楽しめばよいのでしょう。新古今調なのですから言葉のつながりは曖昧模糊とした朦朧体でよいのですが、それにしても「誰が袖にあらずや」の疑問形は「誰が袖」にすでに疑問のニュアンスがある以上、少々おかしい気がします。語法的には「誰が袖にもあらず菊枕咬めど」とあるべきかも知れません。
十三句目「鈴虫を連れ隊商(キャラバン)の最後の一人」も、ロマン派的な旅への憧れの横溢した句です。日本人ばかりでなく、中国人も古来、虫の声を楽しんできました。この句の「隊商(キャラバン)」は中国人のそれでもよいですが、あるいは西域から来たイスラムの隊商のメンバーの一人が、中国人の虫声愛好に目を止めて、「鈴虫を連れ」て帰ろうとするところかも知れません。その方が、「最後の一人」のやさしい心栄えが際立つように思われます。
十四句目「カンテッラとはかげろふの歓びに」の「カンテッラ」をどう解釈したらよいか迷っています。この句を末尾に置いた文章は、「キャンプ場から戻ると、蜩が鳴き始めていた。」と結ばれています。ですので、キャンプ場などで使う照明器具のカンテラをあえてカンテッラと古風な調子に言いなした可能性がひとつ。昔、カステラをカステーラとも言ったのに準じたわけです。しかし、そうとも言い切れないのは、文章のタイトルが「―Candela―Buena Vista Social Club」であることで、Candelaすなわち光度の国際単位カンデラ(英語の発音ならキャンディーラ)なのかとも思えます。ちなみに照明器具のカンテラはオランダ語由来の外来語で、綴りはkandelaar。カンデヤという表記もあったらしい。両者のスペルを見るといずれ共通の語源に遡るのかとも思えますが、カンテッラははたしてカンテラなのかカンデラなのか。一方、「かげろふの歓び」は難しくはありません。カゲロウは成虫になるとすぐ交尾して、数時間で死んでしまう虫で、王朝時代には、はかなく終わった恋の象徴としてしばしば歌に詠まれています。従って、この「歓び」はカゲロウの生殖行為を第一義として、人間の性愛をも暗示しているとしてよいでしょう。句の内容はですから、カンテッラを照明器具とすれば、カンテラの光に、乱れ飛ぶ恋のカゲロウが照らし出されている、ということになります。また、光度単位カンデラだとすれば、カンデラという光の単位は、カゲロウたちの生命の燃焼に付けられた名だろうか、というほどの意味になるでしょう。つまり、どちらでも句として成り立ちますが、人間の性愛の暗示への傾きが強いのは後者ということになりそうです。とまれ、カンテラでもカンデラでもなく、わざわざカンテッラと表記しているのは、あるいは両者を兼ねた例の曖昧模糊たる新古今調を狙ったものかも知れません。あれこれ突っつきまわしているうちに、其角の「切られたる夢はまことか蚤のあと」について芭蕉が述べた、「かれは定家の卿也。さしてもなき事をことごとしくいひつらね侍ると、きこへし評に似たり。」という言葉(『去来抄』)が頭に浮かびました。もちろん褒め詞のつもり。この句の上ずったまま中空に消えてゆく声調はとても美しいと思います。
十五句目「八月十五日の紙飛行機を追へば」の「追へば」の言いさしは、句の意味を宙吊りにする効果をあげています。「八月十五日の紙飛行機」も、それを追う心も、どこにも着地することが出来ないので、句も着地することが出来ないのです。
十六句目「墓石の雲居のしみを洗ひけり」。雨風にさらされて墓石に浮いたしみを「雲居のしみ」と言い換えたまでですが、そこに眠る死者への思いもよく伝わってきます。墓石に霧がかかることは普通ですし、霧と雲は同じものですからこの句は一方で事実に即してもいる。また、イメージの上では、雲に包まれることは天上にあることを意味しますし、雲に乗った如来や菩薩がここに来迎したあかしの「しみ」なのかも知れません。「雲居のしみ」は単なる美辞ではないようです。
十七句目「空耳やキャンプファイヤーの闇に」は、五八三の破調です。表面上の意味は一見あきらかですし、ごく普通の句のようでいて、妙に切なく迫ってくる印象があるのは、字足らずの、つんのめるような、途切れるような、このリズムのせいでしょう。何が聞こえてきたのやら、なにしろ「空耳」ですからなんでもあてはめられるし、いろいろ言いたい感じもしますが、しかしそれこそ「さしてもなき事をことごとしくいひつらね侍る」この作者の幻術に翻弄される仕儀のようです。
十八句目「水に棲むやうに遠雷を聞きぬ」は、これまでの十七句より一段見劣りがします。「水に棲むやうに」は、こんにちではもはやインフレ気味の比喩ですし、「遠雷を聞きぬ」との連絡にも冴えがない。本作は、「haiku & me」の記念すべき一句目。作者はこのあたりからぐんぐん調子をあげてきたわけで、それについてはつまり本稿に縷々述べた通りです。
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