2009年12月8日火曜日

三角点

  
  月明の三角点に獣来る    広渡敬雄


 今年の夏、新田次郎原作「劒岳 点の記」が封切されて話題となった。

 1907年(明治40年、)日本山岳会初代会長小島烏水(仲村トオル)等と競いながら、
参謀本部測量部の測量手柴崎芳太郎(浅井忠信)、案内人宇治長次郎(香川照之)、測夫生田信(松田龍平)ら総勢七名が、周辺の山々の頂きに三角点を設置後、難航不落と言われた劒岳に紆余曲折の末、長次郎谷の急峻な雪渓を攀じ登り三角点を設置した事実を映画化。過酷な気候の中、日本地図完成の為に最後の空白地点を埋めるべく、命を賭けて挑む男のドラマとして注目された。

  四季折々の美しくも厳しい大自然がスクリーン一杯に圧倒的迫力で迫ってくるのは、名カメラマン木村大作の50年の映画人生での始めての監督作品であるからかも知れない。前人未踏と言われたこの頂きには、既に祈願礼拝の法具(錫杖、鉄剣の先等)が残されていて、今でも初登頂者は謎と言われる。

 「点の記」とは、三角点の戸籍と言われ、設置日時、場所、設定者、経緯、周辺略図等が記載され、永久保存されている(閲覧可能)。明治24年の東京湾平均海面による「日本水準点」を元に、麻布にあった旧東京天文台と千葉県鹿野山(マザー牧場、神野寺で名高い)とを結んだ線を基本底辺(基準方位)とした三角測量をスタートし、その後は同様な三角測量を展開。

 概ね一等三角点は、一辺25~45キロ毎に全国に975ヶ所、一辺8キロ毎の二等三角点は約5,000ヶ所、一辺4キロ毎の三等三角点が、約32,000ヶ所あり、現在も増えている。

 重さ約90キロの三角点標石、45キロのその磐石、測量機材等を運び上げる苦労は並大抵では無かったろう。その当時、殆どの山には概ね道がなく、地元の猟師、木樵等を雇って進めたと聞く。また、それを設置する場所の選定(選点)も大変だった。

 測量上他の三角点からの眺望の良さに加え、観測用の櫓を組み、標石を埋め込めるかがポイントになるからである。標石を埋め込めない岩峰は不可となるからである。

 現在は、車で容易に行ける場所に、GPS(全地球測位システム)を利用した電子基準点が増大している。

 意外に思われるかも知れないが、「三角点」に関心を持つ人は多く、ブログ等が多く開設されており、その解説書、三角点の山からの展望図の書物も多い。

 「日本百名山」同様に、「日本一等三角点百名山」もあるが、その内の2~3の山は道がなく、猛烈な藪を漕ぐか、沢づたいか、積雪期登山でしか登頂が出来ず、文字通り三角点が設置された百年以上前を彷彿される登山となる。

 三角点は、山頂ばかりでなく、平地にも多く、校庭、田畑、住宅地にもある。
意外な所としては、お台場公園の第三台場、女人禁制の山上ヶ岳、自衛隊敷地内の大滝根山、東京天文台の敷地内の堂平山、絶海の孤島の渡島大島等がある。

 三角点のある山頂は総じて展望に恵まれるが、既に設置されてから百年以上経過しているため、樹木に覆われて全く展望がきかないところ、その三角点すら見つからないのもある。
(三角点の設置場所は、国土地理院の地図に△印と、その標高の表示がある)

 日本で一番高い一等三角点は、富士山でも第二の高峰北岳でもなく、南アルプスの赤石山脈の盟主赤石岳(3120.06m)、ちなみに富士山は二等三角点(3775.6m)。

  この山の所有者は東海パルプ(旧大倉林業)。大倉財閥の総帥大倉喜八郎が、1926年(大正15年)88歳の時、駕籠に乗り、200名の従者に風呂桶、水、食料等を運ばせ愛人と伴に大名登山を行い、頂上で風呂に入ったという逸話もある山であり、日本アルプスの父であるウオルター・ウエストンも来日早々の1892年(明治25年)に登っている。殆どの高峰が国有のなか、稀な私有である。この地域は、戦前南アルプスの大量伐採した木材を筏に組み大井川の水流を活用して搬送していた。

  翻って最低の一等三角点は、大阪・堺の蘇鉄山(6.80m)。蘇鉄山は人工の盛土だが、名勝大浜公園内にあり、地元の俳句結社の吟行地にもなっている、階段をとんとんと登れば山頂である。

 三等三角点まで広げると、大阪港の天保山(4.53m)。文字通り天保時代(1831~33年)に安治川、木津川の河口改修の浚渫の土砂を積み上げ最盛期には高さ20mはあり、大阪町人の春夏秋冬の行楽地として賑わった。現在も海遊館を中心に大阪ベイエリアの人気スポット、話題のユニバーサル・スタジオ・ジャパンも近い。大阪人らしい「遊びの精神」で近くの店で10円の登頂認定書をもらえる。直ぐ横は岸壁で海。

 三角点は、頭部が18cm角(正方形)が標準、全体の高さは82cmで、そのうち70cmが地中に埋められている。つまり、よく山頂で見かける三角点は、氷山よろしく大半は地中にある。標石に南面に三角点(一等、二等、三等)の表示があるので、その面に立てば、顔の向きは北となる。

 標石の頭部の中央に+印が刻んであるが、極めて稀のケースでは、それが×印のものがある。測量部の指示が地元の石屋に徹底しなかったからとも言われているが、南アルプスの深南部の黒法師岳、他にも少々。マニア垂涎の山であるが、深山の秘峰。

 これまで踏破した中で殊に印象深かった一等三角点は、九州の屋久島と種子島。

 屋久島は洋上アルプスとも言われ、九州最高峰の宮之浦岳(1934.99m)は、美しい花崗岩とそれを埋め尽くす笹原の中にあり、全方位に海が見下ろせる。

 その森林限界の下は世界自然遺産ともなっている「屋久杉」の宝庫。屋久島では、樹齢7,200年とも言われる縄文杉他樹齢千年以上の大杉しか「屋久杉」と呼ばれないそうだが、一ヶ月に35日雨が降るという年間3,000~10,000mmの降水量と温暖な気候が豊かな大杉を育てる。鹿、猿も住民の数以上に生息している。

 一方、その屋久島の東に対照的に平らな種子島がある。鉄砲伝来と内之浦のロケット打ち上げで有名だが、宮之浦岳から見ると、その中心部が低いため、一島が離れた二島のように見える。この島のやや北部の上大久保の一等三角点(158.06m)は、なだらかな丘陵地帯の一面のサトウキビ畑の中にある。そこからサトウキビ畑越しに宮之浦岳を始めとした洋上アルプスの屋久島がまるで巨艦のようにぽっかりと海を隔てて見えて圧巻だった。

 対照的なふたつの島とその一等三角点が忘れえない。

参考文献:日本山岳会会報「山」、ウオルター・ウエストン「日本アルプス 登山と探検」、窪田弘「一等三角点」(新ハイキング社)、他各種三角点関連出版資料、ブログ。

1 件のコメント:

  1. 記事中の訂正箇所があります。

     ・・・三等三角点まで広げると、大阪港の天保山(4.53m)。
    の、登頂証明書は、正確には「10円」だそうです。

    訂正が遅くなりまして、申し訳ございませんでした。

    しかし、この値段設定が、なんとも大阪。
    これ以上まかりまへん!って感じですね。   

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