2009年12月11日金曜日
― 悪役礼賛! ―
群舞また始まる寒林を抜けて 青山茂根
上野の辺りには、異空間が存在するようだ。先週の週末、バレエを見るために東京文化会館へ向かった。言わずと知れた、バレエの殿堂である。大井町駅でJRを待っていると、ホームに子供を二人連れた母親らしき女性がいた。わりと大きな荷物を持ち、母親は何かを一心に調べている。その傍で二人の兄弟らしき男の子たちは、ふざけあうかと思うと蹴りあいになり、三年生くらいのお兄ちゃんのほうが、二つ下くらいの弟のおなかにボディーブロー、それがけっこう強力そうだ、大丈夫か、と心配になる。下の子は泣くわけではないがおなかを押さえてうずくまっていた。しまいに母親が仲裁に入り、「だってお兄ちゃんが・・・。」という弟に、兄が反論を始め、こちらは少し離れたところから面白く見物していた。
入ってきた電車に、こちらも乗った。電車の中でまた二人は小競り合いを始め、ぴあマップか何かを見入っていた母親が、「あれ、この傷どうしたの?」と兄の顔を見咎める。「○○がさっきひっかいた。」「全くもう、あんたたちは・・・。」という会話が切れ切れに耳に入ってくる。「今日、僕の知ってる人出るの?△△△とか?」と聞こえた言葉にあれっと思った。それはどう考えてもロシアか或いは東欧方面の名前だったからである。
案の定、彼らも私たちと同じく上野で電車を降りて、公園口へ向かうようである。科学博物館かも、でも電車の中の会話からすると、もしかして、と思いつつ先を急いだ。
クラシックバレエを見始めたのは最近で、勤め出してから自分で先行発売のチケットを買って行っていたのは、もっぱらモダンバレエやダンスの類だった。ほとんど着ているかどうかといった衣装から、極限までの肉体というものの美しさが感じられたからだ。今回、クラシックバレエ鑑賞四回目にしてやっと、なぜ今まで自分がそれに興味を感じなかったのか悟った。そういや、小さい頃から、子供向け童話に登場するヒーロー、お姫様を助ける王子様に、全く関心がなかったのだ。それより、お城の絵が出てくると、じっと見入っている子供だった。もちろん、クラシックバレエの演目には王子様などの登場しないものもたくさんあるが、日本で客が入るのは古典的な白鳥の湖やくるみ割り、といった公演なため、自然とそれ以外の演目はあまり舞台に掛からない。
と、いうわけで、その日の「眠れる森の美女」も、知り合いから友達が行けなくなったからチケット買ってくれない?と頼まれたからだった。ワガノワバレエ学校日本校関係者の席で、前から3列目とオーケストラピットから近いのに興味を持ったせいでもある。そんな席は生まれて初めてだった。そして、生オケって素晴らしい!と大興奮。生の演奏がついているというのは、バレエには必然なのだ、と悟る。トウシューズのつま先が床に当たる音を、舞台下から湧き上がる音楽が消してくれるのだ。録音のテープを使う公演だと、スピーカーが上部にあるため、このアタック音が非常に耳につく。自分にとって、それは大きな発見だったが、次回からこのような席でないと堪能できない身体になりそうで怖い。どうしよう、だって今回は知り合いが割り引いてくれたからいいが、通常はかなり高い。
さらに、その舞台近くで見る、ダンサーたちの素晴らしさ!周りの女性たちは老いも若きも、王子様役のダンサーの金髪と整った容姿(まさしく白系ロシア美男子!)に(もちろんその技術にも)、感嘆の声を挙げていたが、私は全く違うところで一人盛り上がる。悪役のダンサーがなんとも魅力的なのだ。デコラティブな白いきらきらの乗り物を手下の悪の精に引かせて登場し、黒いマントを翻しながら、杖を振り上げ、やりたい放題の演技。しかも、邪悪な作りながらめちゃイケメン。ああ、悪の精カラボス!とクラクラである。衣装の見事さも目をひいた。王子様はよく見かけるのと同じ白いきらきらした上衣に白いタイツで、日本のバレエ団の公演とそう変わりばえするようには見えないが、この悪の精カラボスは、つま先まである黒い光沢のあるベルベットのロングガウンにスワロフスキーの輝きをふんだんに散りばめてまあゴージャス。ど派手なゴスロリである。他で見た日本の公演でそんな衣装はなかった。こういうところが本場ロシアでも最高峰のバレエ団らしい。舞台全体の迫力というものを、計算し尽くしてあるのだろう。
しかも、そのやりたい放題カラボスを取り巻く邪悪な手下たちの踊りと衣装がまた凝っていた。コウモリのような黒い魔物たちが外側を跳ね回り、オフホワイトの衣装の手下たちがゴシックレースの袖口を指先よりびらびらに長く垂らして、インベーダーのように身体を屈めて踊りまくる。楳図かずおの『漂流教室』に確かこんな人間の変化したやつ出てきたはず、と見入ってしまった。もうこのヒールたちが見られただけで幸せ。この場面で舞台に心奪われて放心状態なのは多分私一人か。周りの席の人などもう目に入らない、至福の3時間半だった。
こういった観劇の楽しみは、幕間に、来場している観客たちの着てるものチェックをすることにもある。たまに結婚式の御呼ばれと同じような格好で来る人たちがいるが、かなり格好悪いとしか見えないことを知らないのだろう。こういう場合、華はステージ上であり、自分は少し引いていながら、バレエを見る喜びを服装でもどこかで表現しているのが理想。と、自分をかなり棚にあげているが、とにかく来ている人を見るのは楽しい。その日はわりと観客全体が地味だったが、きちんとスーツに身を包んだロシア人のカップルや、やはりロシア系らしい白と黒の市松模様に黒いベルベットのドレスの女の子など、こちらも思わず笑みがこぼれる。今時ボディコンの短いワンピースはコールガールにしか見えないだろ、と突っ込みたくなる二人連れの白人女性もいたが、エスコート無しなところを見ると本当にそっち系の方かもしれない(いや自分だってエスコートなしの娘連れだが)。などと、ソファに座って観察していたら、さっきの男の子たちがいた。よく飽きてしまわなかったな、と感心する。いやがるのをとにかく着せました、という感じのボタンダウンシャツとカーキのコーデュロイのズボンが、開けた襟元(というより一番上までボタンを留めるのをいやがったのだろう)やゆったりした足まわりなどかえってこなれていておしゃれに見える。小さい子にもきっちりスーツにネクタイを着せる人もいるが、お式でもないのに何か形式ばっていてつまらない。男の人の場合は、ばっちりきめるにしろルーズに着こなすにしろ、その人の雰囲気に合っていないといま一つなようだ。とかなんとか、アルコールのグラスを傾けながらぼんやり眺めるのが幕間の楽しみなのだ。ガラスの外は、見事な銀杏黄葉だった。
前回は10年以上前のキーロフ・オペラだったか、久々の上野に行くならコリアンタウンだよ、と数人から言われていたのだが、バレエを見た格好ではそうも行かず残念だった。匂いもつくだろうし、ディープな店にはかなり場違いである。観劇のあとのリラックスした食事も、欠かせない要素なのだが。結局いつも劇場の上の店でお茶を濁してしまうので、どっか上野で探しておかなくちゃ、ともう次を見る気になっている。
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