2009年11月27日金曜日
― ラム肉 ―
煖炉より遠く道化として眠る 青山茂根
もとより、煖炉のあるような家の生まれではない。知人の別荘に呼ばれたときに、夏といえど雨の夜は肌寒く、煖炉を焚いてもらったとか、その程度である。それも、ときどき焚いておかないと、スズメバチが煙突に巣を作って困るから、というのだった。
郊外では、一軒家を建てると薪ストーブを置くのが流行っていて、以前住んでいた横浜の外れ辺りでは、取り付けている家がときどきあった。散歩していると、煙突のある家が結構あるのだ。子供の通っていた園にも、大きな薪ストーブがあり、その薪拾いのために秋から冬はたびたび近くの森へ遠足に出ていた。頼りがいのある暖かさは魅力だったが、あまり掃除好きではない私には、厄介な代物だろうな、と思えた。
子供の頃は、焚き火も好きだった。いろいろなものをくべて、その反応を楽しむこともあるが、火を見ていると、不思議と気持ちが落ち着くからだろうか。風向きを見て、風上に通風孔を取り、小枝を組む。燃えにくいものは焔の天辺の一番温度が高いところにあてるように、風を送るときは焔の下を狙って火の粉を撒き散らさないように、と、自然に覚えた。
煖炉にまつわる最初の記憶は、古い農家の建物を改装して住んでいたムッシュ・サイトウの家に招かれた幼い日のことだ。既に日本国籍を捨ててかの地に帰化していて、もうおじいさんだったが、生粋の現地人である奥さんと暮らしていた。といってもやはり夫君と同じくらいの年齢らしく、あえて田舎風に装ったファッションは、昔話にでてくるおばあさんにそっくりで、子供心には近寄るのがためらわれた。かたつむりの形のチョコレートをもらったときだけ、その手に触れたように覚えている。夕暮れを帰ってくる羊のための裏木戸がついた、その納屋風の家の食堂には、煉瓦作りの大きな煖炉があった。まさに赤々と燃える薪の上には、子羊の丸焼きがかかっていて、何もかもが初めてという子供にとっても、香ばしい、食欲をそそる匂いをたてていた。あの遠い日の光景を、時折思い出して、オーブンでラム肉の切れ端を焼いてみたりするのだが、なかなかこれという味にならない。
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