2009年11月6日金曜日

― コドモの嗜好(1) ―


  落花生干して聖書の上の手よ     青山茂根


 男の子はなぜカードが好きなのか、謎だ。自分は姉妹しかいなかったので、子供がハイハイのうちから(歩けもしないじゃん、と突っ込みたくなる)、車のおもちゃを手につかんでガーガーやってるのを面白く見ていたが、歩けるようになってからは、工事現場を見つけると一時間でも二時間でも眺めていて動かない。それも卒業すると、何やかやの蒐集が始まった。

 といっても、自分の小さい頃でも、お菓子に入ってたフラワーフェアリーズのカードを集めてたし、日曜学校でくれる聖句のカードもあった(友達の家が牧師館だった。あれを配るのも人間の収集癖に訴えるためか)。壜の王冠集め(ドラえもんにもその話あった)とか男の子はビックリマンチョコのおまけか、私の親世代は切手やコインやめんこだったんだろう。

 家の幼いものを見ていても、パスモやスイカが登場するちょっと前、電車の写真などがついたプリペイドカードの使用済みのを引き出しにためることから始まった。誰かと交換したりゲーム性のある所謂トレーディングカードは持ってないのだが(興味がないらしい)、それでも、今現在子供が持っているものだと、電車のカード(なんであるのか?)、野球の選手のカード(お菓子にもついているが、試合を見に行くともらえる)、サッカー選手のカード(同じく試合に行ってもらう、海外リーグものもあり)、世界のカブトムシのカード(本屋でセットになったのをねだられた)、世界のクワガタのカード(同じく)、他に闘いもののヒーローや怪獣のカードなど知らないうちに溜まっている。それらを、部屋の片隅で一人、ときどき広げて眺めるのが楽しいらしい(しかも数系列のカードを散らかしたまま片付けない。怒!)。ゲーム機も持ってないが、それよりカードそのものが優先であり、要は、集める・広げる・眺める、なんだろう。

 蒐集するという行為は、もしかしたら遺伝子の中に潜む狩猟本能と関係があるのかもしれない。嗜好に合致するものを見つけると、とにかくなんとしてでも手に入れるという行動形態は、視野に入った獲物を条件反射的に追う行為に似ている。例えば恋愛や、株の売り買いや、物品の買い付けなど、実業実生活に於いて狩りに近い行動パターンをしていない人のほうが、コレクター化する傾向があるようにも見える(もちろん、どっちもイケる、というパワフルな人もいるだろう)。実生活で発揮できない潜在的な狩猟本能を、物を蒐集することで解消しているのだろうか。
 
 雑誌「ブルータス」が、仏像特集を組んだときに、中ほどにミシン目で切り取れるようになった、主だった仏像のカードがついていた。子供のころから仏像好きだったという千宗屋氏の監修によるもので、カラー写真の裏にそれぞれの説明がある。書店で立ち読みしながら、うーむ、これ子供にあげたらどう反応するかな、とつい買ってしまった(うかうかとマガジンハウスにしてやられた感がしないでもない)。家に帰って、適当に切り離して渡したら、「かっこいい!」と喜んだが(つまりカードという形状ならなんでもいいのか)、私の切り取り方が雑だと文句を言っていた。切り取るのから自分でやりたかったらしい。どうもあの、ミシン目というやつに、いわく言い難い魅力があるのか。アバウトな私には向かない作業だが。

 そのブルータスの綴じ込み付録のカードには、超有名なのから、私も知らなかった象や鳥に乗った尊像まで、ジャンル様々に取り上げられていて、どうやら、そういうライドオン系とか、口からなんか出てるとか、手・顔がいっぱいある、いろんなお道具手に持ってる、後ろに炎しょってる、といったカタチの面白さに子供は惹かれるらしい。渡したときに、入れるケースが欲しい、というので、適当なプラスチックの箱を探してあげたはずだったのだが、今見たら、ウルトラマンの怪獣カードを買ったときについてた箱(つまり怪獣の絵が全体に描いてある)に入れてあった。そういう認識なんだろうか。

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