漂流の小さき机をフレームに 青山茂根
子供が一人でベッドに入り、親が部屋の電気を消しておやすみなさいと言うシーン、アメリカの映画などでよく見かけるものだが、現実はなかなかそうはいかない。友達の、ご主人がアメリカ人の家も、最初はあちら式に「子供は一人で寝る習慣をつけなくては」と言って、1歳くらいから一人部屋で寝かせようとしていたが、結局寝付いてくれず、母親が添い寝やらなんやらしていた。小学生になった今でも、背中をとんとんするなど傍で就眠儀式をしないと寝ないとか。いったいどうやったら、勝手に一人で寝てくれるんだろう。「須可捨焉乎」のしづの女じゃないが、眠くなる風邪薬でも飲ませるかと時々思う。
幼い頃、家にあったLadybird社の簡単な英語の本にも、七時半を示す時計の絵のページには、親がおやすみなさいを言いに子供部屋のドアを開けると、ベッドに仁王立ちになった姉弟が枕投げの真っ最中という絵が描かれていた。枕投げは万国共通らしい。
というわけで、寝付かせるのはなかなか至難の技である。一喝すると余計寝ないので、仕方なくでたらめな作り話を寝床で始めたら、それがないと寝なくなってしまった。良妻からも賢母からも程遠い私は、さっさと寝かして、自分の時間にしたくていらいらしているというのに。その場で思いつきのでっちあげ話に過ぎないのだが、架空のお城を舞台にし、子供たちを主人公にしたら大喜びで聞く。仮に「どんぐり城」としておくと、もうこっちはくたくたなのに、毎晩「ねえ、どんぐり城のお話は?」と言って目を輝かせてくる。寝付かせるためなのに、本末転倒だ、とがっかりしつつ、それでも話をひとつ「・・・それで二人は眠りました。」と終えると、「次の日、次の日。」とさらに続きをせがまれる。うーん、こんな筈では、と捨て鉢な気分で話を続けられるときはまだいい。大概は、話の途中でこっちが眠くなり、いつの間にか自分が寝てしまっている。「・・・砂浜について、・・・二人は郵便やさんでした。」とかめちゃくちゃな繋がりになり、「ちがう。」と子供に起される。それでも私が起きないのであきらめて子供は寝てしまい、夜中3時ごろ目を覚ました私は、ああ、今日も何にも出来なかったと、駄目駄目感でいっぱいになる。
何の話をしたのか、私自身はすっかり忘れてしまっているのだが、子供は覚えているものらしい。「あのときの、あの話の続きして。」とせがまれるのだが、自分は全く覚えていないので、「・・・どういう話だったっけ。」と聞き出してやっと断片を思い出すくらいである。それでも、何か出来事が起きて、さあどうする?という展開に自然となっていって、それが一番子供受けするようだ。毎日二つも三つも話をでっちあげるのは面倒くさいので、適当に昔話なんかの内容を主人公と舞台設定だけ変えて話すと、「それはあそこにあった話でしょ。」とブーイングが来る。「月から兎の石が落ちてきて」とか、無茶苦茶な話ばかり、事件の勃発後の対処方法を考えるのが毎回しんどくなってきて、「・・・そこで二人は、どんぐり城図書館に行って、『どんぐり城の歴史』第一巻から十六巻を出してきて、最初から調べていきました。」とやってみたら大受けした。「・・・第五巻の中ほどに、ありました!月から石が落ちてきたときは、まず・・・」と、そこに対処方法が記述されている、という展開に大喜びするのである。唐突な思いつきで始めた方法ながら、何故受けるのか自分でも不思議だ。水戸黄門の印籠とか、終了10分前にヒーローが現れるお約束みたいなものだろうか。
そのパターンが出来ると、自分も適当な話をつなげるのがちょっと楽になってきて、話の始めのほうからもう子供たちは、「ねえ、今日はどんぐり城図書館に行かないの?早く行ってよ。」とせっつく。そうなるとこちらも天邪鬼なので、「・・・と行ってみたら、今日はどんぐり城図書館は休館日でした」とか、「蔵書整理の真っ最中でした」と言って、『どんぐり城の歴史』第一巻から十六巻を調べないパターンに持っていこうとするのだが、「やだやだ、どんぐり城図書館で調べなきゃやだ」と始まるので、仕方なくそこから方向修正して、「・・・お城の人にカギを開けてもらって、図書館に入りました。」とか繋げる羽目になる。
最近はさすがに、毎晩お話をしなくても寝付いてくれるようになってほっとしていた。そんな折に、ぱらぱらと、『芸術新潮』の今月号を斜め読みしていたら(学生時代から、これか『美術手帖』かどちらかをたまに買っている)、冷泉家のマニュアル本の話が出ていた。和歌の「冷泉家のひみつ」という特集なのだが、今をときめく歌人の方々のアンケートが、それぞれの作歌への思いなどとともに語られていて、俳句総合誌のそういったアンケートよりよほど面白い(10月26日付の荻原裕幸さんのブログにも出ている。http://ogihara.cocolog-nifty.com/)。俊成・定家の書の話も、そちら方面に疎い私は、先だって安伸さんがブログで書いていた俳人の書の話題など思い浮かべて読んだ。この特集で語られている定家の人物像からは、時折身悶えてるオタク系らしさが伺えなくもない(歌に黒髪へのフェティシズムが出てたりする)。究極のアウトドアイベント、熊野詣でに不平たらたらなのが記事になっていて可笑しい。実際、身悶えあたりから文学は立ち上がってくるものだろう。
で、冷泉家のマニュアル本、『朝儀諸次第』は、朝廷での儀式の際の道具やら人の配置やら、イラストまで入っていてゲームに起してもなかなか楽しめそうな作り。といっても、子孫たちは官職のポジション争いに必死だったのだろうからそんな暢気なものでなかったことはわかるが、シュミレーション用の小さな紙の束帯人形まで付いている(特集最後の頁)。平面図(現在我々が無意識に描くものに大差ないことに驚く)に実際置いてみて、ここで拝礼とか何歩下がるとかやってみたのだろう。う、かわいい、これストラップになりそう、と思っていたら実際展覧会の会場でこのデザインの根付を売っていた。
そんなこんなで、よし、また夜お話をするときに、「・・・『どんぐり城の歴史』第十六巻の裏表紙を見たら、小さな紙の人形がついていました。」と新たな展開が出来るぞ、と思いついた。
こんにちは、はじめまして。いつもhaiku&meたのしく読ませていただいています。
返信削除このおはなし、読んでいるうちになんだかこちらもこどもの気分になってきてしまって、「茂根ママ!はやくつづきつづき!」と、へんに盛りあがってしまいました。「・・・と行ってみたら、今日はどんぐり城図書館は休館日でした」・・・そ、そんな!、みたいな。とても面白かったです。茂根さまの俳句は、異国の物語のワンシーンのようで不思議な感触があるので、こどものための夜話づくりもすごい魔球をもっていらっしゃる感じがあります。翻訳家の柴田元幸編集の「モンキービジネスvol.7 物語号」で、歌人の石川美南が「物語集」という連作を載せていたのですが、そんなものも、思い出させました。
umina さま
返信削除こんなブログにお付き合いくださりありがとうございます。
もう毎日、やってられん・・・、の繰り返しなのですが、
子供にかえってお読みくださったとはうれしいかぎりです。
石川美南さんの物語集、たしか墨ベタのページに白抜きで
記されてましたでしょうか。(違ったかな・・・)
35文字は物語として成り立つのがうらやましいです。
俳句だと一句で物語性を負わせるのが難しく、
ともするとステレオタイプなドラマになりがちでしょうか。ねじれた世界をどこかで語れればうれしいです。
こんにちは、茂根さんの出身校OBです。
返信削除場違いで迷惑な書き込み、失礼いたします。
誰だか、判るかなぁ~
私は茂根さんのこと良く覚えていますよ。
俳句の世界で活躍されていることをかなり前から存じ上げていましたが、
こちらのブログサイトのことを最近知ってお邪魔した次第です。
相変わらず、というか、いつも感覚が鋭く、そして面白いですね。
さらに魅力(魔力か?)が増したようにも思います。
今後益々ご活躍、楽しみにしています。
では~
C級サラリーマンさま
返信削除こんにちは、どなただかわからないのですが、
お読みくださりありがとうございます。
こちらは俳句をメインにしておりますので、
よろしければmixiのほうで検索して頂けますと、
そちらのページが出てくるかと思います。
更新をさぼっていますが、チェックは日々していますので。
魔力はありませんので、未だドバイの石油王の第四夫人にもなれぬままです。
どうぞよろしくお願いいたします。 青山茂根