2009年10月22日木曜日

こっそり出かけて ―「陶猫展」回想―

八月の末のことだから、もうひと月以上前のことになるけれど、こしのゆみこさんの「陶猫展―コイツァンの猫―」を観るために銀座へ行った。最終日で、一人で、はじめていくギャラリーだったので、少し緊張していた気がする。

こしのさんの第一句集『コイツァンの猫』が上梓されたのが今年の四月。その句集と同じ名前の個展がひらかれるという案内のお葉書を、ちょっとしたきっかけがあっていただいた。「陶猫展」というのは、猫の陶芸作品を集めた個展で、今までに何度も開かれているそうだが、伺うのは初めてだった。イタリアの小さな海の町だという「コイツァン」が、きっとこしのさんを魅了したのだろうな。そう思いながら、こしのさんの俳句も陶芸作品も大好きな私は、こっそり出かけていった。(どうしてか、こっそり、という気分だった)。

会場は、細長いビルの4階のフロア。ガラスの扉を開けてギャラリーに入ると、L字形の室内に、まずモノクロの写真に俳句が添えられた作品が並んでいる。写真に映っているのは、こしのさんの「陶猫」たち。一枚一枚の写真と俳句は、それぞれがよく合っていて、しかしちょうどいい距離感がある。お互いがお互いを補完しあっているというより、手をつないで、遠心力でくるくる回っている感じ。

左へ進むと小さなスペースがあって、数十センチの、色も大きさも表情も様々な猫たちが十何匹も展示されていた。そこに、こしのゆみこさんもいらした。ご挨拶すると、久しぶりだったから分からなかった、とのこと。どうぞ見ていってください、とにこやかにおっしゃったこしのさんは、私が名乗る前からずっと目を細めて笑っていらして、猫たちのなんだかたのしげな、優しい雰囲気に溶け込んでいるのだった。

こしのさんの創る猫の表情は、その殆どが、はっきりとした感情を指し示してはいない(笑っている顔、とか、せつなそうな顔、とかいうふうに)。それなのに、びっくりするほどそれぞれに表情が豊かだと思う。そしてそれは、観ている私に、説明しがたい色々な感情を呼び覚ます。そしてそれは不思議なくらい、なつかしさと深く結びついていて、淡く胸がざわつく。

思うことには、たとえば“癒される”というほど、こしのさんの猫の性質は“寛大”ではない気がする(結果的に“癒される”というような気持ちになるのは、とてもよく分かるのだけれど)。きっともう少し、好き嫌いのはっきりしている猫(猫だもの)。キャパシティが決して広くない、その“広くなさ”がすなわち純粋さであるような。そして、自分の好きなものをよく心得ていて、だからこそちゃんと自力で満ち足りた気持ちになれる。そんな猫に見える。

実際、猫たちに囲まれてお茶をいただき、俳句と陶芸との関係や、俳句のどこに惹かれたのかなどをこしのさんに伺っているあいだ、おどろくほど私は安らかな気持ちでいた。猫たちの発するオーラが、とても優しくて、静かで、険がないのだ。思わず、「なんだかすごく安らぎます」と言ってしまったほどだった。あの安らかさはきっと、猫たちの寛大さではなくて、猫たちの満足によっていたのかなと思う。

販売コーナーで、横たわった猫(白くて、耳が桃色なので、少しうさぎのようにも見える)の小物入れと、絵葉書を買った。小物入れは、顔と身体の上半分にあたる蓋を開けると、中が浅い器になっていて、底が引き込まれるように深い青色をしている(ガラスを溶かしたものを流し込んで創るのだという)。その猫のそっけない外見と、内側の美しい青の対比が気に入って、(散々迷った挙げ句)それに決めた。茨木のり子の『みずうみ』という詩に、「田沢湖のように青く深い湖」という言葉があったことを思い出した。

帰り道、私はとても満ち足りた気分でいた。何かの展覧会に行って、こんなにいい気持ちで帰ってきたのは久しぶりだった。普段なら、銀座に行くと、何かと寄りたくなってしまう伊東屋や、入りはしないけど前を通ってみたくなる資生堂パーラー、思い出のあるミニシアターなどに、その日はひとつも立ち寄らないで、やっぱりこっそり帰った。その快い気分を、気を散らして逃してしまいたくなかった。

あの日出かけたときも、帰る道でも、どうして「こっそり」という気分だったのか、今になって考えてみる。それは多分、こしのさんの作品が、大袈裟な、飾り立てたもの、巧妙で、目立ちたがるものを好まないからだと思う。こしのさんの創る句や猫は、にぎわいから少し離れた木陰にちょこんと坐っている子供のような感じがする。きっと(まだ社会的には)無力で、華やかに見える場所から少し距離をおいてはいるけれど、すっとして曇りのない、澄んだ目をしている(それは汚れていないという意味ではなく、ごまかしのきかない、という意味)。そういう、小さいけれど完全な猫。

こしのさん自身は、陶芸の分野でも、俳句の分野でも華々しい活躍をされていて、旦那様と世界中を回る生活をなさっているけれど、きっとずっと「そういう部分」を持ち続けている方なのだと思う。こっそり出かけた私が、こしのさんの作品からつよいなつかしさを感じたのも、きっとそのためなのだろう。

踊り場の壁のかたさや星月夜   浜いぶき


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