2009年10月16日金曜日

 ― ミューズ ―

   航海を終へたる銀杏黄葉かな     青山茂根

 ・・・小生に取りては階段のほとりに金ボタン輝したる番卒の如きもの立ちて、人の出入に敬礼する大旅館に宿泊するほど趣味なきものは無之(これなく)候。又四方より燕尾服着たる給仕人に見張りせられ燭光昼の如く石の柱に反射する処、銀器きらめく食卓に食事するほど耐え難きものは無之候。

 此れに反して小生は曲がりくねりたる巴里の小路の安泊りのさまを忘れ得ず候。・・・  

                       (『ふらんす物語』 永井荷風  「ひとり旅」より)  

 バックパッカーとまではいかないが、明治41,2年頃からすでにそんな安宿を好む風潮があったようだ。江戸の下町を徘徊した晩年の荷風を思うと、まだ青年の頃からそのような嗜好が芽生えていたのだろう。たとえそこが外遊先の欧州だとしても。


 ・・・かかる安泊りの殊に印象深きは、昼とも夕ともつかぬ薄暗き秋の日の午後(ひるすぎ)いつとはなく暮れ行く頃に有之(これあり)候。一室の空気は壁より生ずる幾分の湿気を帯び、永き昼のままに沈滞致し居り候。唯だ一つ、穿れたる窓より名残の空の光進み入りて白き窓掛を青白く照す。・・・


 そうそう、と思わず楽しくなってくる。荷風の言う「帳場には髪の毛汚き老婆」とか「窓の下には貧しき小路にのみ聞かるる女房の声」ってレベルまでは同意し難いが(そこまでだと治安もよくないし、娼婦街辺りはさすがにパス)、普通に庶民的な通りにある宿が私も好きだ。『○球の歩き方』に載ってる宿は往々にして日本語の案内書きがあったりして少々興ざめなところが多い気がするので(飲食店もしかり、日本人ズレしたとこ多し)、現地で歩いてみて探す。繁忙期や到着日の宿は各国の政府観光局などで調べて出発前に予約しておくが、観光局のホテルガイドと地図をつき合わせて部屋数が少なく、治安が悪くなく庶民の生活するエリアに近いところを見つける。当たり外れももちろんあり。といいつつも、プールサイドでのんびりを考えると、リゾート地などではやっぱり贅沢な宿も捨てがたい。懐具合も考えて、大都市なら二つ+から三ツ星レベル、アジアやリゾートならもう少しランク上、というのが旅の楽しみだ。この二つ+から三ツ星ランクで、家族経営のこじんまりした宿となると、現地語しか通じないことも。でも当地の会話集片手に単語を並べてもなんとかなるものだ。トラブルにあったときは別だけれど。その土地の近所の人々がフロントでおしゃべりに興じていたりするのも、何か懐かしい温かさだ。

 「寂寥は無二の詩神(ミューズ)」と荷風は書いているが、さて我が詩神は何処に行ったやら。

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