2009年10月23日金曜日

 ― 蹴球 ―

 土曜日は句会に出なくちゃ、と思いつつ、ついJリーグの試合を見に行ってしまった。大してルールも用語も詳しくないし、スポーツニュースを毎度チェックして試合結果を追いかけているわけでもないのだが、あのスタジアムの独特の雰囲気が好きだ。では他のスポーツではどうかというと、なぜか野球にはあまり関心がもてない。ナイターは季語だし、と、この夏も神宮球場に出かけたりしたのだが、すぐ飽きてしまい、結局途中で出て、近くの店でお茶して連れが観戦を終えるのを待っていたという不真面目な観客だった。試合そのものはサヨナラホームランとかで、歓声が球場の外まで響いていたが。刻々と移り行く空の色は確かに美しい、それとて国立競技場で見た景色のほうが数段勝るように感じたのは、単に私の気質が血は流れずともラテン系に傾いているのか、そのすり鉢の大きさと夜間照明の配置の具合に拠るものか。

 その日行ったサッカー場は、まさに離陸直後の飛行機をすぐ脇に眺められる立地で、コンパクトな滑走路を緑が取り囲む風景にも心和む。大体、サッカーを熱心に見るようになったのも1998年のワールドカップ辺りからで、頻繁に海外に出かけた頃に現地で試合を観戦したこともなかった。家の幼い者が、某Jリーグチーム関連の子供向けサッカースクールに入れてもらったのがきっかけで、そこのホームゲームに足を運ぶことになったようなものだ。それも、将来はサッカー選手に、とか夢見るわけでもなく、近所の駒沢公園の天然芝のところで練習できるなんて入らなきゃもったいない、というのが動機だった。出来るなら私が参加してボールを追いかけたいくらいだ、コーチはスポーツマン系イケメンだし。

 応援するチームがなんとなく決まってくると、観戦に行くのも楽しくなってくる。Jリーグが始まったばかりの頃に、仕事で有名選手に会ったり招待チケットをもらって何度か見に行ったこともあるのだが、その頃はあまり面白く感じたことがなかった。10年ほどのブランクの後に、再びスタジアムへ足を運んでみると、あきらかに変わった、と感じることがあった。チームカラーのウェアを身に付けたりして、自分もそこに歩み寄ろうとしていることもあるが、サポーターの応援がJリーグが始まった当初とは格段に進化しているのだ。以前は多少フーリガン的な行動も目に付き、その中へ同化して応援しよう、などとは少しも考えなかった。どこか統率を欠いた、剣呑な、熱情的というよりはただ騒ぐために来ているような客が応援団を成している中に混じっていたような印象がある。しかし、昨今の試合に行ってみると、自分もついサポーターが集う席に程近いところで、チームカラーのタオルマフラーを掲げたり、よく知らないのに応援歌を口ずさんでしまう。サポーターたちは三々五々集まってきて、いつのまにか歌声が始まり、大体どんな場面でどの応援歌(各チームに数種類ある)を選ぶかは暗黙の了解があるようだ。観客席の傾斜が大きいのか、沸きあがる、といった形容がぴったりな太い歌声だ。野球ほど、厳密に応援がマニュアル化されていないようにみえるのも好感を持つ(ファンの応援サイトを覗いたら、今度のナビスコカップの最終戦で、勝利の瞬間にチームカラーの紙テープを投げ込んでいいものかどうか、議論が交わされていた。こうして節度ある応援のルールが形成されていくのだろうか)。

 そんなサポーターたちを見渡すと、割と30代以上の年齢の人々が多いことに気づく。その試合中の一喜一憂、ゴールが決まった際の興奮ぶりを見ていると、勝敗には関係なく不思議な悲哀が感じられて、バブルの崩壊がこの効果をもたらしたのかも、と唐突に思った。Jリーグ設立当時は、もっと皆金銭的に余裕があり、スポンサーも多く潤沢に投資していて、そういったスポンサー流れのチケットで観に来ている客も(自分を含めて)多かったはずだ。新し物好きがJリーグが出来たから、チケットが手に入ったから、といって女の子を誘って来ていたり、割のいいバイトで稼ぐ学生やフリーターたちがとりあえず話の種に的ノリでかなりの数を占めていたように思う。現在はといえば、楕円形の短い弧の部分、ゴール裏に陣取るサポーター群と少し離れた席で、自分の座る辺りを見渡すと、親子連れはもちろん、中年の夫婦、おじさま二人連れの客、つっかけサンダル履きで一人で来ているご老人、赤ちゃんを連れた(その赤ちゃんが青赤のタオルマフラーを巻いていてかわいい)夫婦とそのどちらかの両親といった三世代も見受けられて、ほほえましい光景だ。そして、試合が終わると、いっせいに自転車を連ねて帰っていく父子連れなどが大通りを埋めるのだ。欧米ではサッカーチームは地域密着型が基本であるはずだが、日本ではバブル時代の設立当初スポンサーの思惑が何より優先であったのかもしれない。裕福な時代が弾けて、地元の人々がちょっと応援にくる、休日や退社後の楽しみとして機能しだしたのか。きっと普段は普通の勤め人であるサポーターたちの、仕事や実人生での大小の成功や挫折を、試合ごとのひとつひとつのシュートやパスに映しこんで、どよめいたり歓声をあげたりしている姿であるように。違った意味での、バブルの恩恵のひとつが、今のプロサッカーリーグ人気につながるのかもしれない。

 ささいな、取るに足らない記憶の中から、あれこれを拾い出す。アンダルシアの田舎町で、昼間からカフェに集ってサッカー観戦に夢中な年配の男たちの姿、サッカーを見ないのかこの試合は見なくちゃ、いや闘牛に行くと言ったらけげんな顔をされた(こちらの言語力が拙かっただけか)。フィレンツェのドゥオモの裏手の石畳で、ボールを蹴りあってゲームに興じていた少年たち、三十三間堂の脇でキャッチボールするような感覚だろうか。ベトナムの海辺の町ニャチャンで、日が傾いてようやく涼しくなってきた海岸べりのコンクリートの上、潮風を浴びながらサッカーボールを真剣に追いかけあう勤め人らしき青年たち、昼間の仕事を終えて別の夜業へ行くまでのつかの間の楽しみだと。ボールをめぐる物語はまだもっと存在するだろう。

  夜業着を背負ひて長き橋渡る      青山茂根

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