2009年10月9日金曜日
― ピース ―
名月の中にも骨を拾ひをり 青山茂根
ひとが語る故郷の話が好きだ。特に名所旧跡があってもなくても、それが誰かを通した言葉で語られるだけで、聞いているうちに憧れがつのる。その語る人物と特別な関係があるわけでもなく、日常の瑣末な描写―学校の帰りにどこの川辺でぼーとしていたとか、どんなものを食べさせる店があるとか―に胸が躍るのだ。誰かの記憶の断片から、空想の地を自分なりに作り上げて楽しめるタイプなのだろう。
時には、そうして話を聞いているうちにどうしても行きたくてたまらなくなり、そこへ旅してみることもある。案内にその語り手を頼まずとも、一人でも出かける。もう自分の中にある程度その地のイメージが出来上がっていて、残ったパズルのピースを埋めに行くようなものか。それが全く違ったピースであることはまずなくて、多少の紆余曲折があろうとも、自分なりに、残りのピースを探すのを楽しむ。観光名所の裏側に息づく、その土地ならではの日常のほうにより興味が湧いてしまう旅だ。
仕事が忙しい日々が続いて、休日も夏休みもないまま8月9月が過ぎ、秋も終わりの気配が漂い始めた平日に、やっと4,5日まとまった休みがとれることになったとき、真っ先に頭に浮かんだのは郡上八幡だった。まだ俳句なぞに首を突っ込んでいない頃だ。会社の数歳上の先輩が、その辺りの出身で、よく話を聞かされていた。一ヶ月あまりの期間、町のどこかで日々踊りが催され、お盆の三日間は徹夜で踊り続けるという郡上踊りの風景、町中を流れる水、少年たちの川への飛び込みの儀式。六本木にあった、郡上出身の青年が雇われ店長をしていたバーに行って、郡上ハムや朴葉で焼いた郡上味噌をつまみに飲みながら。その人物云々より、その人の向こうにある、その語る土地にすっかり心奪われていた。休暇の届けを出すと、荷物を掴んで夜行バスに乗った。岐阜からの電車はだんだんと車両が少なくなり、最初は通学の学生で混雑していた車内も、土地のおじさんやおばさんがぽつんぽつんと腰掛けているだけになる。窓からの景色も、のんびりした、特に変わったものは何もない風景に変わる。その過程が、面白いのだ。
郡上踊りを終えてしまった町は、ひっそりとしていて、自分しか観光客らしき人も見当たらなかったが、なんとなく歩いていた裏道に、紅殻格子を残している家々があったり、町中を水の流れが巡り、それが驚くほど冷たく澄んでいるのだった。ところどころの水舟と呼ばれる水槽では、今でもそこに住む人々が本当に野菜を洗っていた。飯島晴子の随筆にもある、郡上踊りはいまや観光客で溢れているらしいが、その少し先の、キリコ灯籠の下の白鳥踊りを見に、またいつか行かなくてはと思っている。
そのときついでに、郡上からさらにバスを乗り継いで、白川郷へ出た。その場のひらめきで、日に何本かのバスを見つけて飛び乗ったに過ぎないのだが、ちょうどそちらが秋祭りの最中だった。といっても当時はまだ村の鄙びた祭りで、観光客の姿もほとんどなく、裃姿に笛や太鼓を鳴らす人々が家々を回って歩くものだった。確かそのあとを獅子舞や竜がのし歩いていたように思う。笛を吹く青年の手甲に美しい刺繍がなされていたのを、夢にあったもののように覚えている。紅葉には、すでに遅かった。
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