2010年4月9日金曜日

 ― 芽から葉へ ―

  

  行く春の錨のまはりにも魚よ       青山茂根


 冬に一輪だけ咲いていた、庭の薔薇を伐って花瓶に挿したときに、茎がもったいなかったので、駄目元で鉢に挿し木してみた。通常、気温が低いときはつきにくい、まず発根するのは無理だろうとほったらかしておいた。冬の乾燥した日が続いたときに、一応その鉢にも水遣りをしておいた程度だったが、今朝みたら、新葉が出ていた。発根剤を一応塗っておいたのが良かったのか、今年の気候のためだろうか。

 イングリッシュローズのパット・オースチンという品種で、この系統の薔薇の中では四季咲き性が強いほうだろう。しかし、あまり世話をちゃんとしていないので、春・秋のシーズンにも咲き乱れるほどの花を見せてくれない。そんな、赤銅色の、思いがけず美しく咲いたその年の最後の一輪だった。私の住む辺りでは、霜が降りるか降りないかの時期に、くたびれかけた葉の中からすっくと一つ花が咲くのが冬薔薇だ。冬の休眠期に入る前に、最後の持てる力を出し切ったとでもいうように、やっと一、二輪花をつけた、という風情がいたましくいとおしい。無残な葉の状態にふさわしくないほどの、意外な大輪の花になることもあるが、たいていは、開ききるまで気温の高い日が続かずに、花弁の縁が乾燥して、色あせた花のまま、散ることもならずに枯れかけた姿を幾日も曝している。

 そもそも、四季咲き性のモダンローズでなければ、屋外でその時期には咲かないので、俳句で言う「冬薔薇」とはまずこれを指していると思われる。温室で育てられた、切花として流通している薔薇を、「冬薔薇」あるいは「冬の薔薇」として季語に使っている例をたまに見かけるが、それは本来の「冬薔薇」ではないだろう。無季の扱いで作句すればいいものを、「冬」とつけて冬の句にしているだけだ。 切花の温室で咲かせた花が持つ風情は、実際の屋外の寒さの中で咲く花とは全く異なる。

 四季咲きのバラは秋にも咲くが、暖地ではそれが冬まで続く。すでに葉の色も変わり、冬枯れの中にわずかに一つ二つ、残りの花が開く姿は、華麗な花だけに寂しさが増す。
            (『図説 俳句大歳時記 冬』 角川書店 昭和48年)

 四季咲き大輪種は晩夏に剪定する。仲秋から咲き始め、寒さに向かい渾身の力をふりしぼり咲き続け、その品種そのものの彩(いろ)を見せてくれる。最後の一輪を剪るときは、大きなためらいがある。
            (『新日本大歳時記 冬』 講談社 1999年)

 と歳時記にあるのを、育ててみて実感する。霜が降りるほどの時期に、葉や花が凍るような上からの水遣りなどもってのほかだ。そも、水遣りは株元にするのが園芸上では基本であり、夏場などの葉の乾燥を防ぐ以外は上からの水遣りはしないほうが植物にとって望ましい。

 季節がずれた話になってしまったが、その後、暦の上で春を迎えたまだ感覚的には冬の時期から、薔薇の芽は膨らみ始める。他の大方の植物の芽がまだ動きださない頃に、赤みを帯びた芽が、皮膚の下から透けて形を見せるエイリアンのように、表皮を持ち上げて次第に紡錘形を表す。そんなあれこれも、世に多く出ているどれかの歳時記には確かに載っていて、文字面だけの知識ではわかりえない微妙な色や他の植物の状態との違いを、実際に記憶しつつまた歳時記に戻って確認するのが楽しい。初春の季語である「薔薇の芽」を過ぎて、赤みがかった新葉がいっせいに開く時期もまた心躍るものがある。新葉の先端、ムーミンに出てくる謎の生物、ニョロニョロの手のような、柔らかなぎざぎざが枝一面に春の深まりへ誘うのだ。 もう今は、ほぼ葉が出揃ってきて、そこに蕾のさきがけが見えやしないかという頃合に。庭にあるもう片方の薔薇は、知り合いからもらった枝を挿し木して大きくなった一季咲きで、偶然だが、毎年変わらず自分の誕生日の頃に花を見せる。 

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