何の前置きもなくこの一文を冒頭に提示したのは、これが連句というものの本質をついていると思うからである。
私事であるが、私は学生時代から「草門会」に参加している。連句協会の常任理事・川野蓼艸(かわのりょうそう)、『現代連句入門』の著者・山地春眠子(やまじしゅんみんし)らが昭和62年に立ち上げた連句結社である。その例会の席で、特別ゲストとして招かれた俳人・眞鍋呉夫(まなべくれお)先生に、二度ほどお目にかかった。
二度目のとき、眞鍋先生は孫のような年齢の私に、
「貴方は連句をどう思っていますか?」
と丁寧にお尋ねになった。私はナマイキにも冒頭の一文のように答えた。
すると、眞鍋先生が、
「これは大変なことをいいました。僕は芭蕉も同じことを考えていたと思う」
とおっしゃったので、私は感動し、以来、連句とはどのようなものかと人に聞かれたとき、自信を持ってそう答えることにしている。
松尾芭蕉の名がでた。江戸期における巨大な「俳句の名人」として知られ、学校でもそのように教わるが、厳密にいえば、誤りである。「俳句」とは、近代になって、正岡子規が連句の発句(ほっく=第一句目)を独立させ成立せしめた、日本文学史的にいえば、比較的新しいジャンルなのである。
つまり、元来は「連句」であった。近代以前のそれは、「俳諧の連歌」(はいかいのれんが)、あるいは単に「俳諧」といった。だから、正確にいうと、芭蕉は「俳諧の名人」にほかならない。
以上は、余談である。連句の歴史について、ここでは長々と書くつもりはないし、第一、正直にいうと、筆者はさほど精しくもない。この稿は、あくまでも実践のための「初心者連句入門」としたい。
引き続き、連句の概要について。
歴史を語るわけではないが、芭蕉の言葉を引用する。
「たとえば歌仙は三十六歩なり、一歩も後に帰る心なし」(『三冊子』)
ここでいう「歌仙」とは、三十六句からなる連句のこと。後戻りをしない、というのは、連句の大きなルールのひとつである。つまり、連句は、前句を解釈し、一句ずつ連ねて作り上げる文芸作品であるが、同作品中に一句でも類想の句があってはいけないのである。付け句をしながら、イメージを新たにし続けてゆく。俳句が世界の”一瞬”を切り取った一枚の絵画であるとしたら、連句は、次々に場面を転換して一個の世界を成す映画といえるであろう。
ついでながら、俳句と連句の違いを今ひとついう。現代俳句は「写生」を重視し、俳人たちはその鋭き観察眼をもって日常の何気ない”一瞬”を切り取り、詩と化し、その驚きと感動を我々に伝える。
しかし、逆にいえば、現代の「写生の」(と限定しておく)俳句は、目に見えるもの(実感できるもの)以外の多くを切り捨ててしまったといえるかもしれない。
連句は、ちがう。俳句が、地に足をつけて詠むべきものだとしたら、連句は、地を離れ、高く大空へはばたいて、あるいは宇宙へ飛びだしてしまっても良いのである。つまり、あまり荒唐無稽な俳句は嫌われるが、連句は、虚実の世界を自由に往き来し、遊ぶことができる。そして、それこそが、連句の魅力なのである。
冒頭の”宇宙のミニチュア”という表現には、そういった意味も含まれている。
このブログの管理人である俳人・中村安伸氏の言葉に甘え、連句についての連載をさせていただくことになった。連句人口は、俳句のそれに比べ、非常に少ない。とりわけ若者が少なく、冒頭に名前の挙がった蓼艸さん(そう呼ばせていただいている)と私は、連句の未来について、憂いを共有している。おそらく、このブログには若い読者が多いと思う。拙文でどれだけの人に連句に興味を持っていただけるかはわからないが、少しでも増えてくれることを願うばかりである。
今回は、連句の概要について、あまりにも大ざっぱに触れた。次回より、さらに詳しく書いていきたい。
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