2010年8月20日金曜日

 ― 『点る』 記憶 ―

「箪笥の底の・・・」というよく知られた句がある。皆、ある程度の年齢を超えると、そんな共通する何かを、どこかに隠してあるものだろう。自分が、というわけではないのだが、母の桐箪笥の引き出しには、多少着物類が仕舞ってあり、すでに着ている姿はほとんど見かけなかったが、時折虫干しに広げるたびに、そっと触れさせてもらうのが幼い頃の楽しみだった。といっても、既婚者の箪笥の中はさっぱりとした柄が多くて、そもそもふわふわした色の訪問着などは私の好みでなく、小さい頃から花柄といったものも好かないのだが、ひとつだけ、どうしても欲しくて仕方のない着物があった。それは、黒の絽の着物で、ところどころ、赤や白や青の水玉状の色を散らしてある薄絹だった。大きくなったらこれ着る、絶対頂戴、と一人で言い張っていたのだが、母には相手にしてもらえなかった。思春期を迎えた頃か、もうそろそろそれが着られるくらいの背格好になったか、という頃に、思い出して母に進言してみると、あれは、祖父がもらったものだから、と言う。もうとうに亡くなっていたが、祖父が戦後都内に店を出していた頃に、どこかの芸者さんか誰かから譲られたらしい着物だ、というのだ。粋筋の人の好みのものだし、絽は時期が難しい、それに何十年も仕舞いっぱなしで、手当てをしないと。母はそういって、そこらの学生風情の着られたものではないと話を打ち切ってしまった。


小林苑を氏の句集『点る』より(ありがとうございました)。どこかに昭和の記憶を留めた句が、あえかな叙情とともに読み手に迫る。しかし、甘さではなく、この世の不可思議さといったものに、常に焦点が合っているような。


  群青の水着から伸び脚二本


  遠泳の母の二の腕には負ける


  すかんぽやこの家は傾いてゐる


  父の日のグラビアに横たはるべからず


  姉さんを剥けばつひには梨の芯


  目をつむる遊びに桜蘂降れり


「群青」の句、十代のスクール水着姿を題材にしながら、思春期特有のナルシシズムとはおよそ対極にある詠みぶりだ。むしろ、実際の心理は、こんな風に、自らが変貌している途中の肢体への違和感であったのではないか。手塚治虫の『ふしぎなメルモ』で、子供から一気に19歳の身体に変わったときの脚、『不思議の国のアリス』の中でいきなり天井に頭がぶつかってしまったアリスがはるか彼方の我が足を見下ろしているような、そんな疑問を形にした句とも思える。

「目をつむる遊び」、少々シニカルとも言える視線の句の中で、そこにエロスの萌芽といったものが付加されている句も多く見受けられる。「桜蘂」は、長くたっぷりとした睫毛をも想起させて、目をつむり待つ行為とは?と、胸のどこかに皆が持つ記憶を呼び覚ます。


  自転車に乗つて巣箱がやつて来る


  東京タワー崩るるほどの熱帯夜


  あれは夜汽車とひまはりの囁きぬ




  ふらここの縛られてあり常夜灯

(小林苑を 句集 『点る』 ふらんす堂 2010)


 「自転車に」の句、そういえば、昭和期のドラマや映画の中では、様々なものが自転車の荷台にくくりつけられて運ばれていた。大きな出前持ちなどは今でも見られるだろうが、ビールケース、書店の配達、ちょっとした距離の物の運搬なら、一般家庭においても、何でも自転車に乗せて行ったのだ。その頃の、隣人同士の繋がりといったものも描き出して、懐かしさの中に、現代の人間関係の希薄さを炙り出す。


「東京タワー」、常に、現代の都市生活を詠みながら、そこに現れる季節の移ろいをありのままに、飄々と、恬淡と、詠む。技巧を感じさせないようでいて、この句も、「崩るる」の形容が、熱帯夜の、湿度の高い大気の中で見上げる東京タワーの灯のゆらぎを描き出して、鉄が溶解するほどの夜の妖しさの幻影とともに、印象に残る。


己の経てきたたくさんの時間と記憶を、チューブから搾り出すかに少しづつ俳句に乗せていく楽しみが溢れていて、羨ましくなる句集だった。自分の中にはまだ少ししかない濃密な時代を、どうやって補っていくか、だろうか、遅れてきた我々に出来ることといえば。











  





  





  

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