日本人が生の魚を食べることはよく知られているけど生卵を食べることはあまり知られていないような気がする。「卵が先か鶏が先か」ということより「攻めが先か受けが先か」というようなことが気にかかる夏も過ぎ去ろうとしておりますが皆様お変わりありませんか(たまには俳人らしく季節の話題)。
このあいだ『わたしたちは皆おっぱい』第一巻の登場人物紹介を見ていて気付いたのだけど、いつの間に「委員長といえば巨乳!」ということになってしまったのだろう。本当に私を置き去りにして全ては通り過ぎていく。
それにしても巨乳という言葉が登場したのは確か1980年前後だったと記憶している。が、まさかこんな下世話な日本語は定着しないだろうと思っていたのだけど、すっかり定着してしまいましたね。全ては私を置き去りにして……。
ところで久方振りに『電脳なをさん』の単行本が出ました。『電脳なをさんVer.1.0』。『新・電脳なをさん①』以来実に六年。
やっと出たと喜んだのもつかの間、その内容たるや単行本未収録の約300話中、最近の127話のみの収録という事態。いくらなんでもあまりといえばあまりにも不憫な。唐澤なをきの単行本ってそんなに売れないのだろうか?
いくらなんでも可哀想マックス(ご先祖さまありがとう)。お兄さんは刺されるし(刺されたのはお兄さんではなく相方です、念のため)。
連載で読んでいて『電脳なをさん』がどこからも訴えられないのが不思議だったのだが、要するに誰も読んでいないってことなのか?
「こんなときウォズニアックがいてくれたら」と遠い目をするスティーブ・ジョブスがあまりにもキュートなものだからきっと全世界のマック信者が買い揃えておかずにしているものだとばかり信じていたのに(念のため断っていきますがいくら私でもそこまでは考えません)。手塚オナ虫先生や麻宮再起動、黒井リサなども印象的だけど『電脳なをさん』のジョブス素敵過ぎる。最高です。何か人類の新しい夜明けを感じさせる。
『電脳なをさん』は連載で読んでいる分には、開いた口が塞がらないと思うこともしばしばありますが、こうやって単行本で読むと作者の恐るべき漫画的蓄積に圧倒されます。あの競争心旺盛で嫉妬深かった手塚治虫が大友克洋に対して「あなたの画の真似ならできるけど諸星大二郎の真似はできない」と言ったとか言わなかったとかいうやや喧伝されすぎているエピソードなどもつい思い出してしまう。
二ページとは云えこんな超弩級の週刊連載が十年にも渡って続いてしかも現在も継続中とは。まあ第111話の「だがこれはけっして手抜きではないのだ。週刊連載とはそれほど奥が深いものなのだ…」というアオリを見て以来私の中では連載中であるにもかかわらず完全に伝説の連載マンガではあるわけですが。身の置き所がないような襟を正さなければならないような気分になります。「マンガの神様」という称号は唐澤なをきのために用意されたものではないのだろうか?
なんでもあとがきに拠るとこの『電脳なをさんVer.1.0』がそれなりに売れたら追って『電脳なをさんVer.0.9』、『電脳なをさんVer.0.8』も出るとか。今までhaiku&meでマンガやアニメを話題にするとき特に買って欲しいとか読んで欲しいとか思って取り上げたわけではなく単に話題にしたかっただけなのですが、『電脳なをさんVer.1.0』ばかりは読んで笑っているだけにはいかない。Sara句会の参加費と同等の1K程度の円でこの傑作が手に入るのです!
これは買ってください。よろしくお願いします。
冷麦に女座りのふたりかな 上野葉月
昨日まで在庫無しだったAmazonが今日から在庫ありになっています。買ってください(割としつこい)。
返信削除http://www.amazon.co.jp/dp/4048687859?tag=yasnakam-22&camp=1027&creative=7407&linkCode=as4&creativeASIN=4048687859&adid=1R182E3S5PTQ78103M7V&