2010年7月16日金曜日

 ― モアイの影 ―

 その朝見上げた飛行船と、足元に転がってきたおもちゃのラグビーボール。W杯での国歌斉唱するチリの選手たちの横顔に、その斜めの光線の影とともにモアイ像を見てしまったこと。会田誠の絵画「ジューサーミキサー」に、大正時代の日本画家甲斐庄楠音の「畜生塚」が、画面のはるか奥深くから現れて近づいてきたり。全く異なる平面上にある二つの事柄が、あるとき不意に交錯し像を結ぶことがある。多くは、一瞬の他愛もない閃きに過ぎないのだが。 (モアイ像を建てたのは、ポリネシア系の原住民らしく、南米チリの住民もネイティブ・アメリカン系とポリネシア系が混ざり合っているという。また、イースター島とヨハネスブルグ、ブルームフォンテーンは南緯が26~29度の間に存在するので、太陽光線による影の出方も似ているかもしれない。会田誠は、別の「犬」シリーズについてであるが、つぎのように語っている。「僕がこの<犬>シリーズで狙ったのは、大正期あたりの日本画の<美人画>が秘めていたような、繊細で柔弱でどこか楽天的な変態趣味を、濃縮して抽出することでした。」『孤独な惑星』より・・・展覧会でのパンフレットより抜粋

 話題になった『1Q84』を、まだ読んでいないのだが(実はこの著者の翻訳物ばかりを手にとってしまって、小説のほうはほとんど読めていない)、そういえば、1984年は、晩年はアルコールと薬物依存を繰り返したトルーマン・カポーティの亡くなった年だった。著者村上春樹氏は、カポーティの美しい文体に影響を受けている、といった内容をどこかで書いていたのだが、それが、翻訳本のあとがきのどれであったか、探し当てられない。もちろん、ウィキペディアには、オーウェルの『1984年』を土台にした小説の構想が執筆の動機とインタビューに答えている旨が記されているので、それが第一義の理由であるのだろう。しかし、思考とは、様々な要因が縒り合わせられて出来ているものだ。或る一年とは、自分が影響を受けた誰かの死とともに、長く記憶される。といっても、もうこれは既に誰かが言っていることかもしれないし、ただの偶然に過ぎないのかもしれない。それでも、少なくとも私にとっては、1984年という数字が、カポーティと、1Q84という暗号とともに、これから思い起こされることとなる。


  今宵すべての冷蔵庫を降らせよ     青山茂根

0 件のコメント:

コメントを投稿