2010年7月15日木曜日

森林浴(その二)   広渡敬雄

みづならの影の明るき山開き       広渡敬雄

青葉が山々を覆う六月中旬、奥多摩の主峰雲取山に隣接し、石楠花が満開の飛龍山に出かけた。奥多摩から奥秩父にかけての山域は日本有数の石楠花のメッカであり、飛龍山山頂付近の石楠花の群生は殊に圧巻。
但し、山梨県丹波山村の集落から標高差1300m近くを登らなくてはならず、かなりの健脚コースでもある。
伊豆の天城山、奥秩父の西沢渓谷の石楠花はハイカーでも気楽に行けるので、開花期は大変な混雑となるが、この山域は、静かに石楠花の群生に浸れる。
 八王子インターを過ぎ圏央道に入り、日の出ICで下車し、青梅から多摩川に沿って遡上する。
 何年か前、「青梅マラソン」で青梅から川井駅先(東川井)の折返しを走ったコースなので、不思議と風景が鮮明に記憶に残っていて、感慨深い。
懐かしい小澤酒造を過ぎる。
銘酒「澤の井」は、奥多摩の森林が育む清冽で美味しい水から生まれるものと改めて感じられるほど、周辺の山々は溢れんばかりの青葉であった。

 東京は西に山なす新酒かな
この句は、「澤の井」を意識して以前に作った句だ。
東京の水瓶である奥多摩湖で一服する。湖面は流木もなく穏やかで、湖を囲む万緑の山々を映している。
 しばらく走ると、山梨県丹波山村に入る。道沿いの斜面の畑には、ジャガイモの薄紫の花が広がり、葱、蒟蒻、蕨等が植えられている。
 東京都の水利権のある多摩川は、更に延々と奥秩父の笠取山(1953m)の頂上近くの水干(みずひ)源流地まで伸びているが、集落の手前から後山林道に入る。
 少し行くと片倉谷で通行止めとなっており、秘湯で有名な「三条の湯」までのんびりと林道を歩く。「熊注意」の標識がある。そう言えばさっきの山畑の垣も猪より熊対策のようで頑丈だった。
道端に夏薊が繁茂しており、けたたましく出迎えてくれるたのは、ほととぎす。
そう言えば「東京特許許可局」とも聞こえる。古来、和歌、俳句で多く詠まれているため、手練俳句の象徴の様な季題とされているが、緑溢れる森林でしか聞きなれないせいか、筆者にはいつも新鮮に耳に響いて来る。
奥多摩は古来からみづなら、ぶな、桂、栃、タブ等の大木が多く、新緑、万緑、紅葉、冠雪の四季のさまざまな景が楽しめる。
 後山川沿い林道が川床に近い所では、せせらぎの音が急に大きくなり、河鹿の美しい声も打ち消される程だ。河鹿の恋の季節もそろそろ終わりに近づいている。
 大きな黒揚羽がゆっくりと先の方に飛んでいったかと思うと、かすかに弱い硫黄の臭いが漂ってきて、自家発電の音が聞こえて来た。
 三条の湯だった。
源泉の温度が10cの沸かし湯のため、小屋の手前に薪が堆く積まれている。
標高1100m強の地味ながら著名な秘湯。
 既に宿泊客は、雲取山に向かったのか、窓を開け放って掃除する姿が見える。
湯にのんびり浸かりたい誘惑が起きたが、そのまま気が緩んで長居をしてしまうので立ち寄らずに飛龍山に向かう。
雲取山方面とは、逆の南西方面のサオラ(竿裏)峠を目指す。
蕗が繁茂したあたりからからまつの林が続く。からまつ林の道はその落葉が何十年、何百年と降り積もった腐葉土で弾力があり、足裏にやさしい。
枝がほぼ水平に広がる傾向があり、その細やかな束生の葉とあいまって音を奏でる様な趣きがある。殊に新緑、黄葉の折はそう感じる。
雪はもう消えている。今年は、四月まで雪が降ったうえ、寒冷な気候が続いたため、最近まで残雪があったとも聞いた。
みずならの大樹が見え始めるとサオラ峠だった。標高1300m少々。
だだっ広い平らな峠だ。丹波山の集落から直登してくる道もあり、祠がある。
このあたりはみずなら、岳樺、ぶなの大木も多く、森林浴の聖地みたいな感がする。
そのみずみずしい葉が初夏の陽光に透けて、顔に染み込むようだ。
こころの中までじわりじわりと広がって、満ち足りて行く。

みずならは綿虫の来る淋しい木
この句は、この地からそう遠くない多摩川源流の笠取山直下で、すっかり葉を落とした初冬のみずならの大木を見上げてふと口ずさむ様に生まれた句だった。
今、眼前のみずならの大木は、その青々とした葉が燦々と輝く太陽を丸ごと吸い込み、静かな鼓動のように発する酵素やかすかな香りがあたり周辺に漂い、大いなるセラピー効果があるように思う。
森林浴の醍醐味だろうか。(写真①)












その薬事的効果うんぬんより、やはり視覚的、皮膚感覚的なやすらぎが大きいのではなかろうか。
 年輪を重ねた大人たるみずならの生み出す豊かな木陰が広がるにつれ、更にその思いを強くする。
ほとんど、二抱え近い大樹は、悠然と太い幹を縦横に広げ、空も殆ど見えない。
静かだ!と思った途端、夏うぐいすの声が近くで聞こえた。
愛を鳴き交わしているのだ。
峠の南西の方から涼しい谷風が舞い上がって来て、心地よい。
春蝉も鳴いている。
緩やかな登り下りののち熊倉山に着く。三等三角点があり、1624m。
また、ほととぎすが鳴いている。
前飛龍山が見え始める。色鮮やかなミツバツツジが目に飛び込んで来る。(写真②)









丁度、急登が始まった場所でもあり、ほっと息をつく。目の休養をし、喉を潤す。
この急登を経て前飛龍山直下の岩峰に着く。ここは、雲取山、大菩薩峠方面の好展望地だが、ここから石楠花の大群生地が始まる。
まず、白っぽい石楠花。この山域に多い種とも言われている。(写真③)









前飛龍山を過ぎて鞍部に下るあたりは、文字通り全山石楠花一色。
淡紅色の石楠花が谷筋から湧きあがるように山全体を覆い圧巻だ。
その匂いのようなオーラを全身に浴びる。溜め息が出るような美しさ。(写真④)









幹も枝も縦横無尽の繁茂ぶりだ。
鞍部から登り直して、飛龍権現で縦走コースと遭遇するがそのまましばらく登ると
飛龍山山頂。のんびりと湯を沸かしコーヒーを飲む。
その芳しい香りが16cの爽快な頂上に広がる。
奥多摩の主峰雲取山に標高で優るものの展望もそれほどなく地味な山だ。
2077mの山頂標識と「山梨100名山」の標識がある。
日本100名山の東京都最高峰「雲取山」の喧騒と比べ物にならないくらいの静寂な山である。
復路も石楠花、ミツバツツジの群生を満喫しながら下る。(写真⑤)









標高1500mあたりから春蝉が聞こえ出す。生態上の標高があるのだろう。
サオラ峠近くの、みずなら、ぶなのプロムナードのような樹林帯は、まるで森林浴のメッカのような地点。心置きなくゆっくりと下った。
足裏にやさしい弾力のある落葉道で心地良かった。(写真⑥)












参考文献:日本の樹木―山渓カラー名鑑―(山と渓谷社)

写真(クリックで拡大表示):
  ①サオラ峠のみずならの大樹
  ②ミツバツツジ
  ③石楠花(白色)
  ④石楠花 (淡紅色)
  ⑤前飛龍山手前の岩峰から熊倉山、サオラ峠方面
  ⑥サオラ峠手前のみずなら、ぶな樹林

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