2010年3月5日金曜日
― 煙の中 ―
風船のからみて夜の樹のゆらぎ 青山茂根
行き過ぎてから沈丁花に気づく夕べには、湯たんぽをそろそろ支度せずともよいかどうか迷う。自分が小さい頃使っていたのは、乳児用だったという乳白色のなめらかな手触りの樹脂製のもので、真ん中に湯音によって色の変わる小さな窓がついていた。肌に触れても、ブリキ製のもののように熱くなりすぎることもなく、かなり大きくなるまで気に入ってそれを使っていたが、いったいあれはどこにいったのだろう。数年前、家の小さいもののために、その昔の製品に似たものを随分探したのだがもはやどこにもなく、仕方なくゴムの氷枕を小さくしたような、暖かなカバーのついたものを求めてきて使っている。
もらわれてきたばかりの子犬や子猫が湯たんぽを入れてやると落ち着いて眠るように、人間の幼いものもたやすく眠り落ちる。夜中に寝ぼけて、或いは怖い夢でうなされても、無意識にそれを探して腕に抱いてまた眠る。柔らかさと、適度な暖かさの中に、安心といったものも詰まっているようだ。
また、寝る前のお話して、と催促が始まったときに、とっさに口をついて出てきた話は、「・・・二人がぐっすり眠っていたら、足元で何かボコボコと膨らむ感じがしたので、目を覚ました途端、ポン!と音がして二人の蒲団の中の湯たんぽの口が開いて、煙と一緒に何か出てきました・・・。」だった。ここで、あれ、もしかして、と思った人はたぶん私と同世代だろう。「・・・煙とともに、出てきたのは湯たんぽの精でした。」と続けたら、子供たちは大喜びした。そう、最初は1969年から70年に放映されていたアニメ番組『ハクション大魔王』のパクリである(私が見たのは再放送かもしれない)。現在また何度目かの再放送をされているらしいことは、今日知った。もともとは「アラジンと魔法のランプ」の設定を模したアニメなのだが、子供心に強く印象に残っていて、現にこうして不意に記憶が蘇ってくる。その後に読んだ『アラビアンナイト』の本でも、金色のランプの挿絵を飽きもせずずっと眺めていた。ランプをこする仕草の描写を真似して、お茶のポットとか色々なものをこすってみたりしたものだ。似たようなものがもしや売られてはいないかと、古道具屋などを見かけると覗いてみたりした。
父の背の広さよ江ノ島鯨ショー 山田耕司 『大風呂敷』
積木つむ音をちひさく春の雪 小川春休 『銀の泡』
雛飾りなどから受ける印象もそうなのだが、古い物語などにまつわる価値観は時代とともに変化するが、そのもの自体から受けるwonderや、そこから感じるfantasyといったものは時が経っても色あせない。どの時代にも人を魅了し続ける。俳句も、同じことだろうと思う。
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どんぐり城はどうなったのだ!
返信削除匿名さま
返信削除はいっ!
どんぐり城ですね!