2010年9月30日木曜日

牛乳キャップの王

小学生の頃、キャップと呼ばれる牛乳瓶の紙蓋を収集することが流行した。
くっきりとした単色、ものによっては二色刷りで、円のなかに多少無理やりに、商品名や原材料などを記した文字が詰め込まれている。中央には日付を示すスタンプ。そのシンプルなデザインは見ていて飽きない。

メンコというものは収集したことも、それで遊んだこともないが、我々がキャップを使っておこなっていた遊戯は、メンコのそれと同じものだったようである。
机上に並べたキャップへ息をふきかけたり、あるいは、地面に並べたキャップめがけて一枚を投げつけたりして、風で裏返ったものを自分のものに出来る、といった遊びである。
このような遊びに使うためには、瓶の裏でこすって平らにするのであるが、平たくなった円の周縁部にできる余白なども面白く感じることがあった。

キャップの価値は入手の難易度で決まった。
最も価値の低いものは学校給食のときに出てくるオレンジ色の明治牛乳のキャップである。他にも雪印や森永などは比較的価値が低かった。
マイナーなもの、他の地域のものなど、入手の難しいキャップは垂涎の的であった。
また、同じ明治や森永のものでも印刷にズレがあるものとか、指でつまむための取手が付いたものなどは価値が高かった。

さて、私は、毎朝家に届けられる雪印ファミリア牛乳と給食の明治牛乳とで、最低でも一日二枚のキャップを入手できたし、家族旅行で行った淡路島で売店のおばちゃんに頼んで手に入れた貴重な物などを含め、量も価値も相当なコレクションを所持していた。

そんなある日、ある友人が持ちかけてきた話というのは、以下のようなことだった。
二人のキャップコレクションを共有ということにする。それをお菓子の空き缶に入れて、お寺の近くの(聖徳太子が掘ったという井戸のすぐ脇の)藪の中に隠しておく。

その友人のコレクションもなかなかに魅力的で、それを共有というかたちであっても自分のものにできるということが、とても素晴らしいことのように思えたのだろう。私はすぐに賛成し、上記のプランは実行に移されたのであった。

それから数日後、友人とともにコレクションを確認したところ、それは空き缶ごと消えてなくなっていた。そのときは誰かにゴミとして捨てられてしまったのであろうという結論になったのだと思う。

私は最近、ふとししたことでこの事件のことを思い出したのだが、今となってみると、空き缶ごとコレクションを盗んだのは、件の友人その人だったのかもしれないと考えついた。当時は少しも疑うことなく、彼も傷心をともにしていると思い込んでいたのだが、一度疑いはじめたら、コレクションの共有を持ちかけてきたこと自体が彼の策略だったのかもしれない、とまで思うようになった。

いまさらそのことを恨む気持ちなど全くないが、真偽を確かめてみたい気はする。しかし、その友人が果たして誰であったのか、それをどうしても思い出せないのだ。

稲妻を白磁に貼りて母を貼らず   中村安伸

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