2010年9月8日水曜日

何かいいことあったらいいです

残暑お見舞い申し上げます。今年に限っては酷暑お見舞いという言葉を使いたいぐらいですが。

あんまり暑いせいからなのかもしれないけど、とことん自分が大抵のことに忌み疲れているようにふと感じました。
生活は安定せず、相変わらず住所不定だし。三界に家なしとは私のような者のための言葉であるかの如く。
友人の中には私がこんな状況を楽しんでいるのではと勘違いしている向きもないわけではないのですが、正直に言わせてもらえば飽き飽きです。
本当に疲れるばかり。しかも回復力が低下しているし。我ながら本当に愚痴っぽくなったなあ。
若い頃は憂鬱が嵩じて自殺するぐらいなら、気晴らしに人でも殺して刑務所に入るぐらいの方がましだと考えられるような人間だったけれど、もうわざわざ人を殺すような元気もない。

考えてみると、これまで惜しみない賞賛に彩られた清廉潔白な人生を歩んできたのは、悪行を重ねて後ろ指をさされるような生活を送ったら両親が悲しむだろうということだけが倫理的な抑止力になっていたためのような気がする。ところが実際に親が死んでしまうような年齢になると、よくしたもので、悪行を重ねるだけの体力もない。
こういう場合、子供の存在というのはあまり抑止力を持たないように思う。私が逮捕されたりしたら子供達は迷惑には感じるだろうけど、あんまり悲しむような印象がない。いずれにしても犯罪に走る元気もないのでこうやって気晴らしに投稿したりしているわけだけど。
家族というのは本当に不可解なものだ。以前どこかに「人類を極端に自己家畜化の進んだ動物であるとする定義はけっこう有効」みたいなことを書いた憶えがあるけどやっぱり「人間は結婚する動物」だよなあ。
昨年『親族の基本構造』を読み返したばかりだけど、また読みたくなってきた。

ご存じのように私の俳号は葉月だが、だからと言って別に八月が好きなわけではないし、今年の八月は何しろ暑苦しくて何もやる気になれなかった。
それでも気になって八月中ずっと追いかけていたニュースがあった。
イラン初のブシェール原子力発電所。
燃料はIAEAの監視下に置かれる方針も通り、8/21には核燃料の装着作業開始ということで、21日までにイスラエルによる爆撃を危惧する声が各方面から上がっていたのだけど、とりあえず爆撃がなかったのは僥倖と言える。
何しろイスラエル空軍にはすでに完成間近のイランの原発を戦闘機で空襲・破壊した前科がある。あれは米国ではレーガン大統領の二期目だったからもう30年くらい前だ。

今回はイスラエル外務省が非難声明を出しただけにとどまっている。このまま進めば無事稼働に漕ぎ着けそうな気配。

イスラエル-英国-米国という連合の相対的な政治力の低下がまた顕わになった印象も強い。
そういえば6月にトルコ船舶をイスラエル軍が攻撃したとき、欧州各国のマスメディアが強い論調で非難したのも記憶に新しい。
本来、欧米のメディアでイスラエル批判を目にすることは少ないのは、ユダヤ系の影響力が強大なせいもあるのだけど、それ以上にどんなにニュートラルな報道に努めても、極右(反ユダヤ主義)または極左(親パレスチナ?大アラブ主義?イスラム原理主義?)どちらかに大きく振れた記事だと見なされてしまう雰囲気が色濃かったせいもあったと思う。どう転んでも極(エクストレーム)っぽく取られてしまう。それが6月にガザ支援トルコ船舶への軍事行動が正々堂々(?)と大きく非難されたのは私には時代の変化を如実に感じさせる出来事だった。
「ユダヤ人が二人集まると政党が三つ出来る」という諺もあるくらいで、ユダヤ人は一枚岩ではもちろんないし反シオニストも少なくないというややこしい状況もあり物事単純に考えるわけにはいかないのかもしれないけど猛暑で考える体力がない。

いわゆるリーマンショックの数年前ぐらい、00年代前半から、アメリカ外しとでも呼ぶべきものが国際的に拡がっている印象は相変わらず強い。というかすでに「アメリカ以後」の時代に入ってしまっているのかもしれない。
日本に住んでいるとどうしてもインドや中国の経済的な影響力の拡大にばかり目が行ってしまう傾向があるけど、この数年のイランやロシアの政治的影響力の強さはとても気になる。

どろ沼を求めて涼し河馬の秋  上野葉月

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