2010年6月23日水曜日

森林浴   広渡敬雄

春蝉や切株は地に還りつつ       広渡敬雄

 青葉が目に鮮やかな六月上旬、木曾ヒノキのメッカである長野県上松町の赤沢自然休養林に遊んだ。
 樹齢500年近い木曾ヒノキが堂々たる風格で立ち並ぶ景は壮観で、20年ごとに伊勢神宮の神木として伐り出された跡も残り、歴史の重みをひしひしと感じた。

 日本を代表する自然休養林(※1)として森林浴発祥地(※2)としても名高く、年間10万人のハイカーが訪れるフォレスター(※3)推薦の森林でもある。
1 特に風景が美しく森林を利用した様々なレクレーションに適している森林。自然探勝、登山、ハイキング、キャンプ等全国荷90ヶ所。

2 植物の発散する酵素や微妙な香りには殺菌浄化作用が含まれ、森林の四季の色彩(殊に新緑、万緑、紅葉の頃)、爽快な大気も含め人にとってセラピー効果がある。森林は、二酸化炭素を樹々に固定化する(貯める)働きもあり、地球温暖化を抑える効果も大きい。

3 国有林の保護管理の最前線(営林署、森林事務所)で働く森林官    
 昭和30年代までは、伐採した材木を運んだ森林鉄道は木曾谷全域で57線、428kmに及んだとも言われるが、現在は、観光用として小さなディーゼル機関車に牽引された客車が1.1kmの渓流沿いのコースを走る。
 黒部渓谷鉄道もそうだが、トロッコ列車は郷愁と童心を蘇らせ、発車する前から心の躍動がある。

 その発着地である赤沢橋には、「森林浴発祥の地」の石碑とともに、熊やカモシカの剥製がある「森林資料館」、名物のアメリカ製蒸気機関車「ボールドウィン号」が展示された「森林鉄道記念館」がある。

 また、俳人松本たかしが昭和28年に檜山の大景を詠んだ句碑がある。
眠りゐし檜山は餘木あらしめず

 目の前の清流・道川(どうがわ)には吊橋もかかり、何人かの子供達が水遊びに興じていた。

  木曾の子の言葉きらきら水眼鏡

 江戸時代の支配した尾張藩が木曾の山地を立入り、伐採禁止(留山:とめやま)とし「ヒノキ一本首ひとつ」と厳しく保護育成したため、秋田スギ、青森ヒバ等とともに、日本三大美林の「木曾ヒノキ」となったが、ヒノキの他にサワラ、ネズコ(ひば)、翌檜(あすなろ)、高野槙が木曾五木として大事にされてきた。

 まず、トロッコ列車(赤沢森林鉄道)に乗る。
 切符は洒落た薄い檜板(8cm四方)で、香りが芳しい。
 ゆっくり1.2km強の軌道を走り出す。石楠花の鮮やかな花の群れが現れる。
 河鹿の声とともに、ひぐらしのような蝦夷春蝉の声が静かな森林の中に響きわたる。

 渓流沿いの軌道なので、檜林の間から道川の瀬や滑(なめ)が見える。
 瀬越しの水音が耳に心地良く、畳大の平たい一枚岩を水が滑るように走る滑が美しい。
 芭蕉のような葉越しに水芭蕉の花も見え隠れする。もう少し鑑賞したいとも思うが動く列車からの景、直ぐ視界から消える。

 時速10キロの速度の嵐気の何とも言えぬ爽快感は、樹林のセラピー効果だろうか。
 途中で伊勢神宮に20年に一度の奉納する神木の伐採地が見える。
 神事ゆえ、鋸を使わず、斧のみでの伐採のため、伐り株はすり鉢状であり、伐り株には白い幣としめ縄が施してある。
 ついつい伐採した檜の大木をこの深山から伊勢まで運び出す辛苦を思う。

 程なく、終点の丸山渡に着く。列車の先頭の牽引車(デーゼル車)が切り離されて、再び最終客車向に接続される。
 殆どの乗客はそのまま乗って戻ることはなく、いくつかの散策コースに歩き出す。

 一番長く、美林を堪能出来る「冷沢・上赤沢コース(3km)」を取る。
 ややアップダウンはあるが好展望の「赤沢台」もあり、人気のコース。

 まず、道川本流の本谷橋を渡る。「熊注意」の看板。元々は彼らの生息地。
 出て来ても不思議ではない。
 黒い魚影が過ぎる。岩魚か山女か、この時期は雪解川で身も締まっていると言う。

 檜の根が地表に出ているため、一面にチップ(木屑)を敷き詰めてあり、足に優しい。
 勿論檜の根の保護にもなるのだろう。

 地面に大きな朴の枯葉があったので見上げると、豊かな朴の葉群れの中に白く神々しい朴の花があった。緑に溢れる森の中では存在感があり、芳香が漂ってくる感もした。
 亡き師・能村登四郎先生が愛された花だったことをふと思い出した。

 伐採地のためか明るく、六月の木曾の空は殊に広く青く澄んで見える。
 何時ごろ、伐採されたかは、定かではないが、古い切株は朽ち果てて、殆ど土となりかけているものもある。土となりまた新たなる檜の新芽を育てるのだろう。
 「生死」の輪廻を思う。

 まだそう古くない幾つかの切株からは、ひこばえや新芽が伸びていた。これらの新芽が1m位の樹高になるには十年余を要するとも聞くし、その後の間伐等で生き残って大木になるのは、ほんの僅かの檜だろう。

 登り詰めると「冷沢峠」となる。
 ここは、檜の巨木が林立しており、見上げる空は狭い。首が痛くなる程の樹高だから30mはあろうか。

 巨木が空を覆い、地面には殆ど下草がない。植物の生育にとって、太陽の光の恵みを納得させられる。
 地表には、ほんの少し羊歯が茂っている。「ミヤマイタチシダ」と名札があった。
 そう言えば、片栗も落葉樹が芽吹く前に花を咲かせ、種を残す。
 そうしないと樹木が繁茂して太陽が遮られ花を咲かせることが出来ないからだ。

 ゆっくりと下ると「椹窪(さわらくぼ)」。
 このあたりは木曾五木のひとつである椹の天然林が広がり、その大木がある。
 檜と椹はよく似ており、区別は難しいが、ガイドには葉先が尖っているのが「サワラ」、尖っていないのが「ヒノキ」とあった。

 ここから少し登ると「ひのき大樹」。
 木曾では直径60cm以上を大樹と言い、木曾全域で18,000本が確認されており、この赤沢地域には2,690本があると言われる。
 この「ひのき大樹」には、ひときわ大きな檜が集まっており、空は殆ど隠れるほどで、この晴天でも薄暗い。

 ベンチに座っておにぎりを食べ、さっきの「本谷橋」で汲んだ清流を飲んだ。
 じわっと喉元に広がる甘さ。檜のエキスなのかも知れない。
 森林鉄道がカーブをまわる時の警笛がかすかに聞こえる。距離的にはそう遠くはない筈だが、巨木の繁茂する林だと音の伝わりも緩まるのだろうか。
 蝦夷春蝉が鳴く中、時々、駒鳥の囀りも聞こえる。
 鮮やかな苔が生えている切株があり、その緑が鮮やかだった。

 また、「椹窪」に戻り、清流の橋を渡る。橋から流れを見ているとアカヤシオの一花が瀬の中で流れず漂っていた。淀みなのだろう。
 ここにも山女らしい魚影が見えたが直ぐに消えた。

 ここからはやや急な登りで「ほうのき峠」に向かう。
 文字通り、檜、椹の姿が消え、朴、桂、コナラ、ミズナラが増える。
 これらの樹々は落葉樹で、丁度新緑の美しい時期。
 殆どが、木曾五木等の常緑樹の赤沢自然林では、珍しい林相だと言う。
 殊の外大きな朴の葉は、日差しを返しつつも透けて美しく、神々しい純白の花からは、甘い芳香が漂っていた。

 峠より「赤沢台」に向かう。東屋のある展望台に着くと、眼前に残雪が輝く木曾御岳の全容が見える。息を飲む美しさだ。まだ六分位雪が残っている。
 この展望台の周辺も、眼下の森も檜の樹林帯。その中に浮かび上がるような御岳。
 三名の先行者もしばらく声も立てずに見入っていた。

 遠望の御岳を見るたびに、眼前に果てしなく拡がる「檜」の森の広大さを改めて感じた。
 前山に遮られて、乗鞍岳は頂上あたりが僅かに見えただけだったのが心残りだった。
 名残を惜しみつつ「赤沢台」を降り、のんびり下って赤沢橋に戻った。
 途中、大きな「翌檜」の樹があった。明日は檜みたいな立派な樹木になろうと志を立てたのでその名が ついたと言われるが、なかなかどうして檜も圧倒する巨木だった。

 囀りや翌檜は空押し上げて

 吊橋を渡って「中央アルプス」の木曾駒ヶ岳、宝剣岳展望の「見晴台」に寄り、「大山蓮華」繁茂地にも足を伸ばしたが、まだまだ蕾だった。
 途中、大きな「根上がり檜」に出会った。かって伐採した切株の上に種子が落ち、発芽し成長した後に元の伐採木の切株が朽ちて消えたために生じたもの。
 この大きな「檜」と巨木として伐採された「檜」、その二本の「檜」を思うとその長い年月に感慨深いものがあった。


・参考文献:「林野庁フォレスターが選んだ森と樹木のフィールドガイド」(山の渓谷社)
     「赤沢森林鉄道」(上松町観光協会)
     「赤沢自然休養林散策マップ」(木曾森林管理署)

・写真(クリックで拡大表示)

1木曾五木











2赤沢森林鉄道









3本谷橋












4冷沢峠の檜の巨木












5檜大樹の掲示板












6同上の苔むした切株









7赤沢台からの木曾御岳









8根上がり檜












9見晴台からの中央アルプス(木曾駒ヶ岳、宝剣岳)









赤沢自然休養林は、「森林浴の森100選」「21世紀に残したい日本の自然100選」
「かおりの風景100選」にも選定されている。



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