むしろリアルすぎる、といってもいいそのブローチを、外出するときは帽子やワンピースなどにつけて行くのがうれしくて、得意だったが、多分周囲の人々には奇異に見えていたのだろう。ただ、どこに行っても、必ず誰かが、「あら、セミ?」と触れて声をかけてくれた。一瞬本物そっくりに見えて、そんなところに留まっているのをいぶかしむといった調子だったが。「木」、でありたかったのかもしれない。そこにいると、いつも誰かがやってきて、留まって歌ってくれる、木。向こうからやってきて、ずっと自分のために鳴いてくれる蝉を、どこかで欲していたのかと。
「私はよく蝉の木彫をつくる。」ではじまる高村光太郎のエッセイを、幸田露伴の「秘色青磁」と室生犀星の「日本の庭」が載っている本のなかに見つけたのだが、かなりインターネット上でも読めるものであることを、あとから知った。私自身は、幼い頃あまり蝉捕りをした記憶がなく、そのためには殺さねばならぬ標本作りも手を出さなかった。高村光太郎が書いている「クモの巣の糸を集めて捉えるという方法」など、初めて知るものながら、「セミの彫刻的契機はその全体のまとまりのいい事にある。」と滔々と語られる造型的な蝉の美を染み入るように読んだ。それはほとんど蝉への愛といってもいいほどで、その木彫は今でも見ることができるし、かつて大岡信が「蝉の指紋-高村光太郎」という講演をしたこともあるという。どちらも私自身まだ未見ながら、そろそろ蝉の声が、という今頃の季節になると、思い出す。
・・・木彫ではこの薄い翅の彫り方によって彫刻上の面白さに差を生ずる。(中略)すべて薄いものを実物のように薄く作ってしまうのは浅はかである。丁度逆なくらいに作ってよいのである。木彫に限らず、此の事は彫刻全般、芸術全般の問題としても真である。むやみに感激を表面に出した詩歌が必ずしも感激を伝えず、がさつで、ダルである事があり、却って逆な表現に強い感激のあらわれる事のあるようなものである。
・・・微細に亙った知識を持たなければ安心してその造型性を探求することが出来ない。いい加減な感じや、あてずっぽうでは却って構成上の自由が得られないのである。自由であって、しかも根蒂のあるものでなければ真の美は生じない。
(『世界教養全集 別巻1 日本随筆・随想集』 「蝉の美と造型 高村光太郎」 編・川端康成 平凡社 1962)
翡翠や昼の彗星を知らず 青山茂根
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