2011年5月27日金曜日

 ― 檜物町 ―



  袋掛済みたる木々へ泣きにゆく       青山茂根



 小村雪岱の随筆、『日本橋檜物町』のこれは初版だろうか、元は和綴じだったものを洋綴じに仕立て直した、原稿用紙様の縦罫に印刷された一面をそのまま折にして綴じてある、いわゆる袋綴じを切らない体裁のものを図書館で見つけた。頁をめくると、和綴じの丁寧な目打ちの跡がそのまま、奥付には、「昭和十七年十一月二十日發行」とあり、定価は三円八十銭。発行所は東京市本郷区切通坂町十二の、「髙見澤木版社」とある。

 扉の次には、多色刷り木版の女の絵が一枚。これだけの年月を経ていても、みずみずしく引き込まれる美しさで。随筆も、東京の、ところどころの、古い町並みや人々や風俗の描写が鮮やかで、しばしその時代の水の匂いにタイムスリップしてしまう。その中の『春の女』という一文、初出の掲載は、「東京日々新聞 昭和九年四月」ながら、ふと、現代にも変わらぬ情が描かれていてはっとする。

 ・・・御堂の縁に若い女が寝てゐるのです。こちらへ背を向けて襟足を長く出して前屈みに倒れた様に。薄色の着物に白地の帯が眼につきました。病気か、泣いてゐるのか、前へ廻つてそれとなく見ますと頬を縁へつける様にして指の先で縁板へ何か書いて居る様子でありましたが私を見ると顔はそのまゝにして眉を顰めて眼だけ笑ひました。
 逃げる様にしてまた本堂の方へ廻る、年は二十か一位、非常に色の白い切れの長い大きな眼に締つた小さな唇が眞紅に見えた。咄嗟に埃及古畫の女の顔に似てゐると思ひました。(中略)・・・何時帰つたか姿はありません。気は咎めましたが何が書いてあるか見度くなりましたので縁へ近寄ると古びた板に錯落たる爪の跡が見えます。文字の様でありますから更に近く寄つてよくよく見れば
   靑天白日覓亡子
   白日靑天覓亡子
   靑天白日覓亡子
        (『日本橋檜物町』 小村雪岱 髙見澤木版社 昭和17年)一部旧字体が出なかった部分あり。

   
  

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