2011年3月8日火曜日

モラトリアムにサザンを聴く

桑田佳祐復活を伝えるテレビのワイドショーや、ニューアルバム発売で各音楽誌が特集を組んでいるのを目にしたせいで、サザンを久しぶりに聴きたくなった。

しかし、レコードプレーヤーを持っていないので、アナログ盤が聴けない。サザンのCDは持っていない。しかたないのでユーチューブで聴く。

背筋に冷たいものが走る瞬間、というのがあるが、ぼくは一回だけ経験がある。はじめてテレビでサザンの「勝手にシンドバッド」を聴いたときだ。小学5年生のとき、番組は「3時のあなた」だった。曲を聴くそばから、自分の中で何かが変わっていくのがわかった。なんて言うと臭い表現だけど、本当だったのだから仕方ない。感動とか感激などではなくて、ひとつ上のステージに上がった感じ。「勝手にシンドバッド」前と後、ができた。こういう経験はこのときだけである。

ぼくが持っているサザンのアナログアルバムは、78年のデビュー・アルバム『熱い胸騒ぎ』から83年の『綺麗』までで、つまり、この『綺麗』を聴いて、ぼくはサザンから距離を置いてしまった。
『綺麗』は、じつは最初聴いたときは興奮した。それは、サックス奏者・矢口博康が参加していたからである。ちょうどそのあたりから、ぼくはムーンライダーズのファンになっていて、矢口はライダーズ・ファミリー(という呼び名が当時はあったのだ。ライダーズ人脈というくらいの意味)のひとりだったからだ。
ちなみに、彼はその後のサザンのアルバムにも呼ばれて、『KAMAKURA』では、共同アレンジャーにまでなった。しかも、彼のバンド「リアル・フィッシュ」もレコーディングに参加している。

『綺麗』から、ブリティッシュ・ロックやデジタルなサウンドや手法を取り入れていくようになった。当時の流行といえばそうなのだけど、やっぱり、しっくりこないのである。矢口博康のサックスはたしかにかっこいいのだけど、そのかっこよさが浮いて聞こえてしまう。流行の服を着てみたのだけど、着こなせていない、といった風なのである。無理しているように感じられてしまったのだ。

桑田は資質としてポール・マッカートニーに似ている。無理しなくていいのに、無理したがる。
その見方を決定づけたのが、映画「稲村ジェーン」を桑田が監督したことだった。本当にポールである、彼は。
しかし、その「無理」も、小林武史と出会うことで、ようやく落ち着く。有能なスタイリストを得たことで、桑田の作る歌も格段に洗練されていく。
ぼくは、ポップ・ミュージックのメロディというのは、洗練されればされるほど、鼻歌に近くなっていくと思っているのだけど、彼のバラードは、いや、ロックンロールも、鼻歌のように美しい。

それなのに、なぜ離れてしまったのかというと、それは詞である。『綺麗』から、詞が変わった。ストーリーがあったり、設定があったり、社会批判やメッセージ、ヒューマンが入っていたり。「作って」いるのである。それまでの、パーソナルでローカルな直接性が失われて、そのかわり、知的な媒介操作の跡が見えるようになった。それは、一般的にいえば、うまくなったということなのだろう。詩的表現ということでいえば、洗練されたといえるのだろう。じっさいそう思う。あたりまえだが、プロフェッショナルなのである。しかしぼくは、「おれの歌は大学生のマスターベーション」と言っていた頃の歌のほうが、ずっと信じることができた。「言葉じゃなくて」とか「言葉にできない」というフレーズがやたらに頻出するのも、いい。無理に「言葉」にしないのがいい。もどかしさがもどかしいままにのたうちまわっている。

CDがないので、ユーチューブで聴いていると、音源に付けてある映像がビキニのお姉さんやグラビア・アイドルのものがとても多い。まあそうだよな、と思いつつ眺めているうちに、ノーズ・アートを思い出した。
アメリカ空軍の戦闘機の機首に、ピンナップ・ガールが描かれているやつである。ぼくにとって、初期のサザンの曲は、このノーズ・アートのようなものなのかもしれないと、ふと思った。

ユーチューブで聴いた結果、ぼくのサザンベスト10を。
1 C調言葉に御用心
2 いとしのエリー
3 シャ・ラ・ラ
4 栞のテーマ
5 思い過ごしも恋のうち
6 勝手にシンドバッド
7 いなせなロコモーション
8 恋はお熱く
9 お願いDJ
10 真夏の果実 

ぼくのなかでは、サザンは、なんというか、3月の気分なのである。「いとしのエリー」が3月発売だったからだろうか。「別れ話は最後に」が大好きだったからだろうか。3月にはどこかモラトリアムな気分がある。映画「真夏の果実」は大波を待つ映画なのだけど、この、ぼーっと海を眺めながら「待つ」気分が、青春であり、モラトリアムであると、思う。そうか、モラトリアム気分が抜けていなかった頃のサザンが好きなのだな。「ふぞろいの林檎たち」でサザンを使ったのは、まったく正しい。で、ぼくはあいかわらずモラトリアムなのである。

 巣つくらず巣箱にあまた鳥来れど  榮 猿丸

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