2010年12月10日金曜日

 ― 冬のドア ―



  苔の木へ枯野を渡りゆくところ     青山茂根


 どちらかというと、自動車より鉄道の旅を選んでしまうのは、そのたびに車酔いした幼い日の苦い、酸っぱい記憶(具体的ですみません)が頭のどこかに残っているからだろうか、成長するにつれて揺れや車中の臭いも平気になっていったのだが、今でも、素晴らしい山紅葉の情報などを検索しながらつい、そこに至る道の険しさを想像してしまう。う、という感じで。

 幼い日によく両親に連れて行かれたのは、蕎麦の生産地である大子町や花貫渓谷の辺りで、鄙びた店を訪ねて蕎麦を食べるのが父母の楽しみであったらしい。小さな滝のそばにある茶店で、客が来るたびに老夫婦が打つ蕎麦とか、今にして思えばなかなか味わえないものだったのだが、急カーブの狭い山道を車に揺られて到着し、ぐるぐるする胃と頭を抱えてやっと車外へ出、そこにあの、北関東特有の器の底がみえないほど濃い蕎麦つゆ、なんとか食べ終えても必ず帰りの車中で具合が悪くなるのだった。蕎麦と蕎麦つゆには非はないのだが。子供にはあの山道はハードだった。あの辺りの紅葉の素晴らしさを時折思うが、今年もまた訪れることが出来ないまま過ぎた。

 鉄道が走っていれば乗ってみたくなる性質で、このくらいの冬の時期に、以前あった東海道線終電大垣行きで関西方面まで旅したこともある。青春18きっぷの利用者にはよく知られたダイヤだ。普通電車なので、小田原辺りまでは酔っ払いの通勤客などが多いのだが、それを過ぎると次第に客が少なくなり、一人旅なので寝ないようにと思いながら、大垣で乗り継ぎついうとうとして目覚めると、米原あたりを電車は走っていて、窓の外は一面の雪だ。大阪で降りる頃には疲労感の一方で無性にハイな気分の、お尻の痛くなるような長旅ながら、不思議な充足感のある行程だった。

 先日、『地球の歩き方』に「ヨーロッパ鉄道の旅マニュアル」という本があるのを見つけ、手すさびにぱらぱらと読んでいる。もともとあまりこの手の本を利用しないし、自分がよく旅行していたころはこれは出ていなかった、そしてとりあえずどこに行く予定もないのだが。その日の気分で開いた頁を眺めて、ああ、これは乗ってないなあ、ここ行ったのに駅でお弁当買わなかったー残念、この寝台車体験したい!などと一人で盛り上がっている。実際に自分が乗ったのは、コペンハーゲンから郊外へ出る普通列車、ロンドンから郊外へ、アイルランド国鉄、フランスの誇るTGVでスペイン側の国境の町イルンへ、ラ・ロシェルへ、パリの地下鉄から伸びる郊外線、パリからスイス国内を経由してミラノへ到着する国際列車、スペイン国鉄のタルゴ、ブリュッセルからルクセンブルグへの国際列車、ICでミラノからフィレンツェ、ボローニャ、さらにベネチアまでの急行列車。しかし本を見ているとまだまだ、乗っていない鉄道があって、今すぐにでも行きたくなってしまう。 とにかく乗れるだけ乗る、というのではなく、沿線で降りて、知らない町を歩くのも楽しみなのだ。

 どの切符も、自分で駅に行って予約を取り、買った。英語が通じないことのほうがほとんどだが、鉄道の基本は各国共通だと思う。時刻表と、駅の大きなパタパタ変わる掲示板(今は電光式になっているものが多いか)と、路線図、そして実際の車両についている行き先表示板。それらを確認し、照らし合わせて、該当列車、乗車クラスと日時、行き先を指定すれば現地の言葉の単語を並べてでもなんとか乗車券を取って乗れるし、途中で間違えたことに気づいたら路線図の分岐点にある駅まで戻ればいい。どこの駅にも、鉄道にも、その土地の風景があるし、鉄道の旅のいいところは、乗り合わせた人たちを観察する面白さだ。そして特有の匂い。

 先月の終わりに、桐生へ紅葉を見に行ったときも、東武鉄道に乗るのが実は初めてで、今は静かな駅の佇まいに、往時の買い付けに来た商人たち、出迎え、見送る桐生の旦那衆たちや華やかな御姐さんたちのさんざめく様子を想像して、一人でわくわくわくわくしていた。もうひとつのJR両毛線のほうの、冬場は手で開けるという列車のドアも体験してみたかった。欧州の鉄道も、そうやって手で開ける電車が走っていた。今も地方へ行けば変わらないはずだ。ドアの前の乗客と、目で合図しあうその車内の一瞬の空気感は、冬場のほんのりとした温かな気持ちをもたらす。

2 件のコメント:

  1. 久々のアップを喜んでいる読者です。
    おとなになっても車に弱いので、同じく鉄道派です。
    欧州の鉄道の、特にコンパートメントが好きです。
    駅の珍しい自販機や、
    堅い木のベンチ、
    それこそ、ぱたぱた変わる発着ボードなど、
    わくわくするものがいっぱいで。
    また鉄道の旅がしたくなりました。

    返信削除
  2. 麻禰さま

    お読みくださりありがとうございます。

    コンパートメント!いいですよね。
    チケットの番号から該当のコンパートメントを探し出し、
    入り口の予約表と照らし合わせて、そっとドアをあけて
    同室の方を目にするときのあのドキドキ感といったら!

    TGVとか確かに快適なんですけど、座席が新幹線と一緒なので日本人にはもうひとつですよね。
    といいつつも、ドイツのICEにも乗ってみたいミーハーです。
    冬の旅、お出かけくださいね。

    返信削除