2011年7月22日金曜日

 ― てのひら ―

 

  掌の釘の孔もてみづからをイエスは支ふ 風の雁来紅(かまつか)
    
塚本邦雄 『星餐図』


 『短歌』誌七月号<技術・方法論「限定・飛躍・異化」>特集の吉川宏志氏「言葉の枠組みを揺さぶる」の中に挙げられていた歌。この震災後に、塚本邦雄の<日本脱出したし 皇帝ペンギンも皇帝ペンギン飼育係りも>(『日本人霊歌』 四季書房 1958)の歌をやりきれない思いとともに脳裏に浮かべた人も多いだろう。ある面、戦後日本の敗戦国としての閉塞感をあらわした歌といわれるが、他にも何か現代への予兆めいた歌をいくつも塚本邦雄は残しているようで、読み返さねば、と思いながら、まだ心の落ち着きが取り戻せていないようでためらう。 

 …十字架の像を詠んでいるのだが、私たちは普通、イエスの受難の場面としかそれを見ることができない。ところが塚本は、逆にイエスが自分の身体を釘によって支えているのだと歌う。まるで体操の選手が吊り輪で自分の身体を支えているように。ここに塚本のキリスト教に対する痛烈な皮肉が込められているのだが、そこまで考えなくても十分におもしろい歌である。
       (『短歌』2011七月号 吉川宏志氏「言葉の枠組みを揺さぶる」より 角川学芸出版)

 自分の身体をこの世に吊り支える、というこの記述に、先日web上で見かけた報道記事が頭の中に蘇って愕然とした。現実は、創作を超える。それを見通すものが、詩歌にある座標軸のひとつだと。


 流された2階で水に漬かりながら壁づたいに外へ出た。つかまる場所を探して、屋根の方を見ると、くぎが1本、柱のようなところから出ている。右手で屋根を抱えるようにして、左の手のひらを押しつけるようにしてくぎに刺し、抜けないようにした。

「そのまま手を下に曲げてさ、手にくぎがひっかかるようによ。つかまるところがないのだもの。流されると思ったからねえ。(攻略)」
     (「産経新聞」 2011/5/20の記事より)











  

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