2009年8月26日水曜日

転害門海龍王寺太極殿

  秋空の一点に吊る転害門   中村安伸

今年はお盆から一週ずらして帰省することになった。
祖父の初盆に供物をいただいた家へ、20日、21日の二日間でおさがりを配る予定になっていたからである。そうした雑事の合間に奈良市内のいくつかのスポットを訪れることができたので、写真とともにご紹介したい。


1. 転害門(てがいもん)周辺
奈良と京都を結んで南北に通う古い街道の途中に、芝で覆われた広場が開けている。そこに大きな鳥が永遠に羽をやすめているような姿の、一層の門があった。
東大寺の他の建造物、たとえば南大門や大仏殿の豪壮さとは違う簡素な美しさに惹かれた。

この門は東大寺のいくつかの門のうち、現存する最古のものであるという。
害を転じる門と書いて「てがいもん」と呼ぶが、近くにあった銀行に「手貝支店」と書かれていたので、地名としてはその字を書くのだろう。

転害門の東には正倉院がある。
しかし、周囲の木々にさえぎられ、校倉造の建物をのぞむことはできなかった。

正倉院の南、戒壇院の裏手にあたる池の周囲に仔鹿をふくめたくさんの鹿があつまっていた。

一頭の鹿が池に浸かり、水草を食べていた。


2. 海龍王寺
転害門を起点とする一条通りを西へゆくと海龍王寺がある。

海龍王寺は、総国分尼寺として有名な法華寺に隣接するちいさな寺である。これら二つの寺は藤原不比等の邸宅の址であるという。

門をくぐって境内へいたるまで細長い路地が続いている。
両側の築地塀がところどころ崩れ、木や草が根を張っている。
塀に沿って木立が高く聳えている。
木立から漏れる陽の光をたどってゆくと、その先にもうひとつの門があり、境内が開けていた。
寺の名に引き摺られてか、竜宮へと海の道をたどってゆくような気がしないでもない。

本堂の厨子の中に安置されたご本尊は、やや華奢な十一面観世音菩薩。
他に、飛鳥時代のものと思われる、素朴な聖徳太子の木造があった。
また、四海安穏祈願のため、各地で採取したという海水が、ガラスの器に収められ奉納されていた。
かつては遣唐使など海運の安全を、ここで祈願したのだという。

西金堂には4メートルほどの高さの五重小塔(国宝)がおさめられている。心柱のない、箱のような構造の仏塔である。


3. 太極殿
海龍王寺からさらに西へ進むと平城宮址である。青草が風に吹かれて波打っている。

きらきらしく復元された朱雀門は、ドラマ『鹿男あをによし』でも印象的に使われていた。
来年、平城遷都1300年記念の年をむかえるということもあって、まあたらしい太極殿が復元中である。
建築中の姿を覆っていた巨大な屋根も撤去されつつあり、朱色を基調とした二層の楼閣が顔をのぞかせている。

この場所がかつての都の跡であることは、すっかり忘れ去られていたらしい。
太極殿があった場所は芝で覆われた土壇で、地元の人から「大黒の芝」と呼ばれていたという。
明治三十年にこの地に赴任した関野貞がこの名を聞いて太極殿を連想し、それをきっかけに調査と保存が行われるようになった。

1300年の間に、都が栄え、そして消え、ただの草原となり、ついには政庁の場所すら忘れ去られた。
そしてふたたび遺構が発見され、極彩色の建造物として復元されようとしている。

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